幽月邸

 僕と女の子は手をつないで歩いていた。僕が泣きそうになっているのを感じとったのか、女の子の方からするりと指を絡めてきたのだ。ちらりと顔を見ると、女の子は黙ってにっこり笑ってみせた。

 同級生の女子だったなら気恥しくってふりほどいただろうけど、彼女が小さかったからかその時の雰囲気からか、振りほどく気にはなれなかった。

 本当は心細かったのかもしれない。繋いでくれた指先とおしゃべりする甘ったるい声に、どこか安堵している自分がいた。

 その内容は「お月さまが隠れちゃったら、暗いのねぇ」とか、「お兄ちゃんの手、あったかいね」とか、どうでもいいようなことばかりだったけど。

 道はまたさっきまでのように薄暗い森の中に続いていたけれど、逃げ出したくなるような不気味さは感じなかった。彼女と手を繋いでいるからかもしれなかった。しばらく行くと、道は細く頭上を覆う木々は変わらないけれど、下草がきちんと刈られた手入れのされている小道になっていた。 


 この先に幽月邸はあるはずだ。なんの確証もないのに、感覚がそういっている。

 遠くからかすかにピアノの音が風にのって流れてくる。


「聞こえる?」

「うん、聞こえる」


 僕たちは顔を見合わせ、頷きあった。

 自ずと足が速くなる。だんだんと駆け足になって……。


 門扉が見えた。内側に大きく開かれている。


 小走りに門のところまで辿りつくと、庭園が広がっている。月光に照らされた庭園の奥には洋館が見えている。それはひっそりと建っているというにはずいぶん綺麗でお洒落な建物だった。ドラキュラ伯爵でも出てきそうだ。


「あれだ」


 ピアノの音は、さっきよりはっきりと聞こえている。切なく哀しい音色。懐かしいような胸を締めつけられるようなその音色は、僕の心に染み入ってくる。邸中の灯りがついているって話だったけど、中は真っ暗だ。その真っ暗な建物の中からピアノの音色が流れてきているのだ。

 僕が繋いだ手にきゅっと力をいれると、女の子も僕の顔を見上げてぎゅっと握り返してきた。彼女も緊張しているみたいだ。


「行くよ」


 玄関扉の前に並んで立つ。両開きの大きな扉には細かい模様があり、ライオンの頭の形をしたドアノックがついている。ライオンの瞳には赤い石が嵌めこまれていて、まるで睨まれているようだ。

 重く厳めしいその扉の前で、僕はごくりと唾を呑み込んだ。

 心配そうに僕を見上げている女の子を安心させるように、微笑みをひとつ落として大きく深呼吸すると、僕はそろりとドアノックに手を伸ばした。

 ひんやりとした金属の感触。


 コンコンコン


 ノックの音は思ったより大きく響き、ピアノの音がピタリとやんだ。


 どきどきしながら待つ。掌にじんわりと汗をかいているのがわかる。


 けれど。


 しばらく待っても誰も出てくる気配はない。僕と女の子は顔を見合わせた。

 もう一度ノックしてみても、シーンと静まり返った建物の内部からはなんの物音もしない。


「誰も出てこないね」


 女の子が首を傾げてぽつりと言ったとき、彼女の胸元で何かがきらりと光った。


「……それ」


 女の子もつられて自分の胸元を見る。

 そこには真鍮のゴシックな鍵がかかっている。


「さっきからかけてた?」


 割と大きな鍵なのに、僕は全く気づいていなかった。同じく気づいていなかったらしい女の子は、首を振って鍵を手にとると目の前にかざした。


「ちょっと見せて」


 ちらりと見えた模様が気になって鍵を見せてもらう。


 よく見るととても精巧に細工されていてその中央には──幽月邸のドアノックと全く同じライオンが刻まれている。その瞳には同じように赤い石。宝石? さっき光って見えたのはこの宝石のようだ。


「おんなじだ。これって、ここの鍵なんじゃ? ……もしかして、君があるじ?」


 女の子がふるふると首を振る。


「……なわけないよな」


 うんうんうんと頷いている。ゼンマイ仕掛けの人形みたいだ。


 僕は腕を組んで考えた。

 この鍵が幽月邸の鍵である可能性は高い。というか、間違いないだろう。


「開けてみてもいいかな?」

「……いいんじゃない?」


 ためらいがちに女の子が返事をする。

 念のためもう一度ノックし「すみませ~ん、誰かいませんか~」と呼びかけてみる。しばらく待って返事がないのを確認すると、僕は鍵穴に鍵を差し入れた。


 鍵は簡単に回り、カチリと音がした。

 僕と彼女は顔を見合せ頷きあうと、扉をぐっと押し開けた。


ギギギギーっと軋む音が響く。


僕たちはおそるおそる中へ足を踏み入れた。


主ってどんな人なんだろう。勝手に入って怒らないだろうか。


僕は緊張して、心なしか震えてしまっていた。

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