5 感謝(2)

 椅子の背にもたれかかり、目を閉じて笑みを浮かべる。


「セルシオに髪乾かしてもらうの好きなんだよね」


 風呂上がりのアルトが幸せそうに言うので、そうか、と魔道具を左右に振って髪を乾かしながら微笑む。


 帰ってくるなりアルトは掃除洗濯買い物に料理と、疲れてるだろうにせわしなく働き、今ようやくひと心地ついたところだ。


 ソラは慣れない家に疲れたのか、久々のアルトの手作りご飯をガツガツ食べた後、早々に寝床で丸くなっていた。


「ずっと姉さんのところにいたのか?」

「うん。家に押しかけて迷惑だろうなと思ったけど、赤ちゃんのお世話で手一杯だから、ご飯作ったり洗濯とかしてもらえて助かるって喜んでくれたよ。そういうとこ、セルシオとちょっと似てるよね」


 くすくす笑うので、あー、と困った声を上げて反省する。


 セルシオの場合は自分でできるのに安易に丸投げしていたので申し訳なくなる。

 アルトは使用人じゃない、と男装のお嬢様のクリスティアに怒られても仕方ないと、今やっと身に染みる。


「リムリーさん、『バカな弟でごめんね』って。ずっといていいよって慰めてくれて嬉しかったな」


 アルトがくすぐったそうに笑う。


 あの姉のことだ、慰めではなく本気で言ったのだろう。

 危うく取られるところだったとセルシオが冷や汗をかく。


「姉さんたちには迷惑かけてしまったな。今度出産祝いと謝りに行かないと」


 うんっ、と嬉しそうにうなずくので照れ笑いしそうになって、真顔に戻す。


「お前は当分忙しいだろう。実家と姉さんのところで長い間休んだのだから」

「へ? でもぼく仕事辞めるって所長さんに言ったよ?」


 通訳を目指すのにいずれ辞める予定だったからと、そのままにするつもりだったらしい。

 さすがにそれはアルトを推した者として、また研究員としても急に辞められては困るので、


「辞表がなければ受理はできない」


 いつかの所長の言葉を借りることにした。


 えっ、とアルトがびっくりして戸惑うので、セルシオがふふっと吹き出した。


 何だか、今この時が楽しくて仕方ない。途絶えない笑いが心地いい。


 アルトが振り返って顔の半分だけ見せて、


「セルシオ、もらった手紙、大事にするね」


 頬を染めてはにかむ。


 それを見たセルシオがテーブルに魔道具を置く。そして後ろからきゅっと抱き締めるので、アルトが驚き固まった。

 頭のすぐ上で、


「アルト、何かして欲しいことはあるか? 欲しい物とか何でも」


 はわわわ、とアルトが赤くなって慌てふためく。

 前に欲しい物を訊いて何もないと言われたが、彼女に何かを返したい。


 困惑したアルトがそうだと思いついて、キッチンの壁を指差す。


「あ、あの辺りに棚っ、作って欲しいっ」


 苦笑して分かったと引き受ける。


 答えたというのにセルシオはアルトを包んだまま離れず、アルトの頭に頰をくっつけている。

 それがまるで手や脚に頭を擦りつけて甘えてくるソラのようで、


「セルシオって……本当に甘えんぼだったんだね」


 思わずプププと吹き出して笑う。

 やっぱり話してたか、とセルシオが口の端を引きつらせて呆れた。


 なおも離れる様子がないのでアルトは仕方なくセルシオに向き直り、頬に手を伸ばす。

 わずかに緊張するセルシオに、ゆっくり覗き込むように顔を近づけると、


「痛っ」

「ほら、薬塗り直さないと。熱持って腫れてきてるよ」


 レナードソンに殴られた左頰は、風呂に入ったことで余計にジンジン響いて腫れ出していた。


 匂いのきつい軟膏をガーゼに塗って顔に貼りつける。

 しみるわけではないが触れられただけで痛くて、情けないがつい飛びのいてしまう。


「はい、おしまいっ。しばらくは痛そうだね」


 あははっと楽しそうに笑うので、湿布越しに保冷の魔法石を当てたセルシオがむくれる。


 向かいに腰かけ、アルトが真顔でじっとセルシオを見つめる。


 セルシオは頑固で意地っ張りで、悩んだら一人で抱え込んでしまう。

 出会った頃、前の恋人のことで傷ついてるなんておくびにも見せなかった。

 アルトとのこれからを悩んだときも、一人で。


 でも実は甘えんぼで。

 一日一緒にいたのに晩ご飯の買い物についていくと言ったときも、屋敷に行くなと言ったときも、胸がくすぐったくなるくらい甘えた表情をしていた。


 よく呆れるのに本当は気遣い屋で優しくて。

 自由奔放で世間知らずのアルトを、呆れながらも家に置いてくれて。

 彼自身は特別なことをしたつもりはないようだが、風呂や洗濯物など、一緒に住む上で異性としてさりげなく気を遣ってくれた。


 おはようやおやすみは言わないのに、ありがとうはよく口にする。


 何よりいつも自然体だから、そばにいて居心地がいい。


 そんなことを考えているといつの間にか頰が緩んできて、落ちないように両手で押さえる。


 セルシオがにまにま笑うアルトの視線に気づき、何だ? と尋ねる。


「笑って? セルシオ」


 言われてセルシオが苦笑する。

 するとアルトはんふふふふ、と楽しそうに笑ってテーブルに顔を伏せた。

 何なんだ、とセルシオが呆れる。


 アルトは起き上がると頬杖を突いて目を細め、肩をすくめていたずらっぽく微笑んだ。


「何だろうね」

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