食べくりダイアリー

雨夜

第1話 春の出会いと春キャベツ その1

 父さんの急すぎる転勤が決まったのは、今年に入ってすぐ――三が日が明けてすぐのことだった。

 両親としては転勤先に僕も連れて行きたかったようだが、僕はそのときちょうど高校受験の真っ最中で、いまさら受験校を変えるわけにはいかなかった。

 父さんが単身赴任するというのは、最初から選択肢になかったようだ。うちの両親はちょっと辟易するほど仲良しだから、離れて暮らすなんてことは、考えるだけでもあり得ないことのようだった。

 結果、僕一人だけがこの家に残って、こっちの高校を受験した。両親が引っ越し準備を大急ぎで進めるなかでの慌ただしい受験だったけれど、どうにか志望校に合格。かくして僕は、この春から高校生になったと同時に、一人暮らしを始めることとなったのだった。

 ……冷静に考えれば、転勤先の高校に編入するだとかの手段もあったと思うけれど、両親は転勤のことで頭がいっぱいだったし、僕も敢えて提案することはなかった。なぜって、一人暮らしという魅力的な響きの言葉を手放したくなかったからだ。

 夜更かししても、遊びほうけても、部屋を散らかしていても文句を言われない生活……受験が終わって死ぬほど遊び倒したくて堪らない盛りの十五才男子にとって、一人暮らしに憧れるなというのは土台、無理な話なのだ。

 両親は三月中に転勤先へと移っていった。

 四月に入って最初の月曜日である今日は入学式だ。式に出席するため、母さんが一時的に帰ってきたけれど、その日のうちに父さんのところへとんぼ返りしていった。

 入学式が終わると、あとはしばらく、父さんも母さんもこっちへ顔を出す予定がない。三月半ばからすでに一人暮らしは始まっていたけれど、入学式が終わったこの日の夕方、母さんが帰っていくのを見送って初めて、僕は実感した。

 いまから一人暮らしが始まる。いまから高校生活が始まるのだ――と。


 始業式の翌日、僕は早速、寝坊をかました。

 昨日はあれから、嬉しさと興奮のあまり、意識が途切れるまでゲームをしてしまった。寝坊したのはそのせいだ。むしろ、目覚ましをセットしないまま寝落ちしてしまったのに、走れば間に合う時刻に目覚めることができただけでも奇跡と言えた。

「ああくっそ、いきなり遅刻か……」

 だんだんと咲き始めている桜並木を駆けながら、僕は口のなかで呻く。聞き取れるほどはっきり言わないのは、そんな漫画の主人公みたいな独り言を誰かに聞かれたら恥ずかしいから、というのもあるけれど、声を出すのも億劫なほど、空きっ腹がきりきり痛んでいたからだ。

 何も食べずに家を飛び出してきたおかげで、このままいけば、走らなくとも予鈴と同時に教室まで辿り着けそうだ……。

 そう思って安堵したとき、目のなかにパン屋の看板が飛び込んできた。

(……朝飯を買う時間、ぎりぎりあるよな)

 僕はパン屋に飛び込んだ。幸いと言うべきか、通学や通勤途中のお客が一段落した後のようで、残っているパンはあまりなく、何を買うかで迷わずに済んだ。

 僕はひとつだけ残っていたポテトパン(生地にマッシュポテトを練り込んだ丸パン)を、トングで挟んで持ち上げようとする。でも、僕が伸ばしたトングはポテトパンまで届く前に、横合いから伸びてきたもうひとつのトングにぶつかった。

「えっ」

 思わず顔を上げて、ぶつかったトングの持ち主を見る。

 僕と同じ、茶畑高校の制服を身につけた女子だった。ギャグ漫画で爆発した後の表現に使われるみたいなチリチリぼさぼさの黒髪が、目元から耳元、首元までをすっぽり覆い隠している。背中にかかるほど長い後ろ髪も、しっかり毛先までチリチリだった。

「……」

 うっかり凝視してしまった僕を、彼女は長いチリチリの前髪越しに、ちらりと見つめ返してくる。

「あっ、すいません」

 僕は反射的に謝りながら、くるりと方向転換して、他に残っていたパンを――食べきりサイズのライ麦パンをトレイに載せた。そのまま振り返らずに、そそくさとレジに向かう。レジ横の冷蔵ショーケースからコーヒー牛乳を取り出して、それも一緒に会計をしてもらった。

 品物を受け取って、外に出ながら店内に振り返ると、ちょうど僕の後に会計していたチリチリ髪の女生徒も、こちらを見ていた。

 一瞬のことだったけれど、またも目が合ってしまった。

 僕は反射的に目線を前へと戻して、学校への道をふたたび走り出した。パンを買った時間の分だけ、本気で走らないと予鈴どころか本鈴にも間に合わない時刻になっていた。

 大股で走りながら、僕はさっきの女子のことを思い返す。

(……あっ)

 そうか、思い出したぞ。

 あのチリチリでぼさぼさの黒髪、どこかで見覚えがあると思ったら、それもそのはず――彼女はクラスメイトだ。僕と同じ、一年二組の生徒だ!

(名前は……ええと……)

 ……駄目だ。そこまでは覚えていない。自慢ではないが、僕は人の名前を覚えるのが苦手だ。歴史の成績がいまいち振るわないのは、そのせいでもあるくらいだ。

(って、そんなことより、いまは走るのに集中! 最初の授業から遅刻なんて、そんな幸先悪すぎのスタートは嫌だぞ!)

 僕は雑念を振り切るように、いっそう大股で通学路を駆け抜けた。


 一時限目の開始を告げる鐘が鳴って教師が教室に入ってくる三秒前に、僕は教室に滑り込むことができた。

 パン屋で会ったチリチリ髪の女子が息を切らせながら教室に入ってきたのは、教師が出席を取っている最中だった。

「……はい。餐庭あいば早桜里さおり、遅刻……と」

 教師が出席簿に書き込みながら呟いた言葉で、僕はようやく彼女の名前を思い出した。昨日、始業式後のホームルームでクラスメイト一人ずつ自己紹介したはずなのに、我ながら大した記憶力だ。

 ちなみに、餐庭早桜里という漢字は、一時限目の授業が終わった後、黒板横の掲示板に張り出してあったクラス名簿に描いてあったのを、口いっぱいに頬張ったパンをコーヒー牛乳でゆっくり喉に押し流しながら確認した。餐庭をアイバと読むのだと分かったのは、他の女子の名前を確認した上での消去法だった。

 紙に書いてみろ、と言われたら、無理です、と即答するところだけれど、チリチリ髪の彼女がアイバ・サオリという名前であることは、はっきり覚えることができた。

(アイバ・サオリね……)

 覚えたての名前を口のなかで呟きながら、なんとなく彼女の席を見やると、彼女はさっき買ったポテトパンとパックの牛乳をもそもそ飲み食いしているところだった。

(女子でも早弁するんだな)

 と思ったけれど、最初の休み時間から早弁なんて早すぎるし、昼食ではなく朝食なのかもしれないな、と思った。


 名簿を確認して席に戻ると、前の席に座っている男子がこちらに振り向いて話しかけてきた。

「なあ、おまえって今日の放課後、空いてる?」

「えっ」

 いきなり馴れ馴れしく話しかけられて、少し驚いてしまった。彼は確か……米原よねはらとかいった名前だったと思う。昨日のホームルームで早速、くじ引きによる席替えがあったために、まだ名前がうろ覚えなのだ。でもたぶん、米原だったと思う。

 米原はこっちのそんな戸惑いなんかお構いなしに、人懐っこい笑顔で捲し立ててくる。

「いやさ、新クラスじゃん。というか、高校生活スタートじゃん。だから、クラスの親睦を深めるってことで今日の放課後、行ける奴らで集まってカラオケでも……って話になってるんだけど、おまえ、どう? 行けそう?」

「あ……いや、ごめん。放課後は色々やることがあって、ちょっと無理かも」

「そうか、そりゃ残念。じゃあ、また今度な」

 米原はあっさり引き下がった。そのことに一抹の寂しさを覚えたものの、放課後に用事があるのは本当だから仕方がない。

 今日はなんと、近所のスーパーで珍しく夕方前からタイムサービスがあるのだ。鶏卵十二個入りパックが、お一人様一パックまで税別九十八円のご奉仕価格で大放出なのだ!

 卵の特売は開始から三十分、遅くとも一時間以内に売り切れてしまうものだけど、放課後になったと同時にスーパーまで向かえば、おそらく間に合うだろうという算段だった。

(今週は掃除当番がないから間に合うけれど、来週はそうもいかない。つまり、今日という幸運を逃すわけにはいかない……!)

 というわけなのだった。

 ……いやべつに、まともな食費を両親から渡されていないというわけではない。毎日外食や店屋物で済まそうとしなければ、十分に足りるだけの金額は渡されている。だから、節約するに越したことはないわけだし、何よりもネットでチェックしておいた特売品を上手く買えると、これが結構な達成感なのだ。

(僕ってやりくり上手の才能というか、主夫の素質があるのかも……)

 男として学生として、それが良いことなのかどうかは計りかねるところだけど。

 そんなこんなで時間は流れて放課後になり、クラスメイトの大半が集まって、どこに行こうか、えーカラオケじゃないの? あっ、おれボーリングしたい……なんて楽しげに話している声を背中で聞きつつ、僕は早足で教室を出た。

 昇降口に向かう途中で、見覚えのあるチリチリ髪の女生徒――餐庭早桜里が歩いているのを前方に見つけた。

 彼女もどうやら、親睦会とやらに出席しないようだ。僕みたいに用事があるのだろうか……それとも、最初から誘われなかったとか?

 僕は大股の早歩きで彼女を追い抜きながら、ふとそんなことを思った。


 急いだおかげで、無事に特売品の卵一ダースを買うことができた。うちに帰ると、いま買ってきた卵と、併せて買った生鮮品を冷蔵庫に収める。それから掃除機をかけて時計を見やると、夕飯の準備を始めるにはまだ間があった。

「……みんな今頃、カラオケなのかな」

 それともボーリングか……どこで遊んでいるのかな? いまから合流できたりしないかな……って、無理か。だって誰の携帯番号も知らないもんな。それにだいたい、いまから行っても三十分と参加できないかもだし、もっと根本的なところで、すでに完成しているだろう人間関係の輪のなかにいまさら飛び込んでいくような真似が、僕にできるとは思えなかった。

「……いや、まだ一日目なんだし、人間関係も何もないだろ。それに人間関係を深めるための親睦会なんだから、深く考えないで飛び込めばいいだろっ」

 自分で自分にツッコミを入れてみるものの、それ以上のことはしない。結局、僕はそういうやつなのだ。

 ……なんだか空しくなってきた。

 こういうときは、うん――

「――よし!」

 僕は台所に向かうと、夕飯の準備を始めた。

 胸がもやもやするときは料理をするのが一番の気分転換になる。

「さて、今夜はどうしようか……」

 冷蔵庫を開けてみながら、入っている食材の組み合わせを頭のなかで考える。

 今日は時間があるし、手の込んだものにしようか……いや、ゲームなり予習なり、することは他にもあるんだし、煮込んだり寝かせたりする必要のある料理にしよう。

 そうすると、煮込み料理? いや、オーブンでじっくり蒸し焼きにするのもいいな。あ、じっくり火を通すのと逆の方向性で、冷蔵庫でじっくり冷やした冷製料理もいいよね。単純に漬け汁に漬けておくマリネでもいいし、ゼラチンや片栗粉を混ぜて冷やし固めたゼリー寄せっぽいのもお洒落で気分が上がりそうだ。

「……あ」

 冷蔵庫にいま自分で入れたばかりの卵を見たとき、頭のなかでアイデアの卵がパカッと割れた。

「卵豆腐……に具を入れて、冷やし茶碗蒸しにしよう!」

 冷蔵庫や冷凍庫の中身を確認しながら、冷やし茶碗蒸しというキーワードを軸に思いつきをまとめていく。それと併せて、作業手順も組み立てていく。

「……よし」

 すっかり考えをまとめたところで、僕は調理に取りかかった。

 まずは冷凍庫に入れっぱなしにしてあった鶏足もみじを取り出す。気がついたら冷凍庫に仕舞い込まれていたもので、たぶん父さんが買ったきり忘れていた食材だ。

 僕はその鶏足を冷凍のまま鍋に入れると、生姜のぶつぎりも入れて水を浸し、日本酒、醤油で味を整えながら強火にかけた。

 煮汁に浮いてくるアクを掬い取りながら鶏足の旨味をぐつぐつしっかり染み出させるのと並行して、茶碗蒸し作りも始める。

 戸棚からカ耐熱ガラス製のプリンカップを五つ取り出す。そのカップのなかに、干し椎茸をあらかじめ水で戻しておいてあったものと、残り物の薩摩揚げなんかを適当な大きさに切って並べておく。それから、冷蔵庫から卵をいくつか取り出してボウルに割り入れると、菜箸で白身を切るようにして、なるべく空気が混ざらないように混ぜていく。黄身と白身がしっかり解れたら、椎茸の戻し汁に出汁昆布を浸していたものを、そこへ静かに注いで混ぜ合わせ、さらに具材を並べたカップひとつひとつに、漉し器で漉しつつ流し込んでいく。その全ての工程において、溶き卵に空気が混ざってしまわないよう、ゆっくり静かに行った。

 出汁と合せた卵液で満たした五個の透明なカップを中身が泡立ってしまわないようにそっと持ち上げて、円筒形の蒸し器にセットする。

 まずは強火で二分ほどかけて蒸し器のなかに蒸気を充満させる。それから弱火にして十分ほど、卵液を蒸気で蒸し上げる。

 蒸している間、鶏足の煮汁を火から下ろして、冷水を溜めた洗い桶に鍋ごと漬けて冷ます。それから、特売の卵と一緒に買ったトマトの皮を剥いて小鍋に入れ、弱火にかけながら木べらで押し潰していく。水分が染み出てきたところで片栗粉をまぶしてさらに混ぜ、とろりとしたトマト餡も作った。

 茶碗蒸しが蒸し上がったら、これも水を張った洗い桶につけて冷ます。そうしながら、カップひとつひとつに、先に冷ましておいた鶏足の煮汁を注いでいく。カップの下から三分の二が茶碗蒸しで、その上が煮詰めた鶏足の煮汁という体裁だ。

 あとは、室温近くまで冷めたところでカップごと冷蔵庫に入れて、本格的に冷やすだけだ。トマト餡もしばらく冷ましてから、冷蔵庫に入れておく。

 これで完成だった。

「――ふぅ」

 洗い物まで終わらせてから壁掛け時計を見上げると、気がつけば結構な時刻になっていた。料理の途中で照明を点けていたから気にかけていなかったけれど、カーテンを開けたままの窓から見える空も紺色になりかけている。

 手早く作って、後は夕飯の時間まで冷蔵庫でじっくり冷やしておくつもりだったのだけど、どうやら手間をかけすぎたようだ。

 冷やし茶碗蒸しだけでは物足りないから、プリンのカラメルソースに着想を得て、煮凍りを載せることにしたのだけど、予想以上に時間がかかってしまったのはそのせいだろうか……?

 ……いや、あれはただ煮込んでいただけだ。きっと、卵を溶くのに時間をかけすぎたのだ。空気を含ませないよう気をつけないと……と、不必要なくらい気を張りすぎてしまったのだろう。

 いまから煮凍りがしっかり冷え固まるのを待つとなると、もう夕飯ではなく完璧に晩ご飯だ。

「まあ、たまには遅めの夕ご飯もいいか……って、ご飯!」

 茶碗蒸しを作るのに夢中で、お米を水に漬けておくのをすっかり忘れていた。

 まあ、炊飯器の標準モードで炊けば、自動で吸水からやってくれるから大した問題ではないのだけど。

 炊飯の準備をすると、今度こそご飯の準備は終わった。

「さて、」

 この後はどうするか……。

「よし、ゲームでもするか」

 ……と、いきたいところだったけれど、僕は居間の机に教科書と問題集、ノートを広げて予習を始めた。

 授業が始まってまだ一日目だけど、僕は早くも高校の授業の難しさを感じていた。とくに化学は、教科書や参考書に何度目を通してみても、モルを理解できる自信が湧いてこない。このままでは、来月の連休後に実施される実力考査で、確実に悪い点を取ってしまう。そこまで高得点を望んでいるわけではないけれど、あまり点数が振るわないと、無理やりにでも父さんの転勤先に呼び戻されてしまいかねない。せっかく手に入れた優雅な一人暮らしを、たったの一ヶ月で手放したくはなかった。

 受験が終わったばかりだというのに、早くも勉強が背中をせっついてくるなんて……ああ、世の中って世知辛い。

「モルって本当、なんなんだよ……どういう場面で、どんな目的で使われる単位なんだよ……」

 予習を始めてから三十分と保たずに、頭がきりきり痛くなってきた。気分転換のつもりでテレビを点けたのが失敗で、面白い番組がやっていないから、じゃあ……なんて感じでゲーム機のスイッチを入れてしまったが最後、三月中からこつこつ進めていたシミュレーションゲームにうっかり一時間近くも没頭してしまったのだった。空腹感が襲ってこなかったら、さらにもう一時間はゲームを続けていたことだろう。

 まったく、高校生にもなって何をやっているんだか。

 一人で大きな溜め息を吐きつつ、冷蔵庫からよく冷えた耐熱ガラスのプリンカップをひとつ取り出す。

「……うん、固まってる」

 カップの横から見ると、茶碗蒸しの山吹色と煮凍りの飴色が上手いこと層を成していた。

 カップで五個作ったけれど、とりあえず二個もあれば夕食には十分だろう。残りは明日の朝ご飯にでもしよう――などと考えながらバターナイフでカップの内側をくるりとなぞり、カップを逆さまにして茶碗蒸しを皿に盛りつけた。

 飴色の層を下にしたほうが見栄えがいいかと思って、プリンを鋳型から抜くのと同じ感覚でやったのだけど……

「あっ」

 茶碗蒸しはカップから抜かれた途端、くしゃっと自壊してしまった。自分の重さを支えられるほどの固さがなかったのだった。

 普通の茶碗蒸しよりも出汁の量を控えめにしたから大丈夫かなと思っていたのだけど、目論見が甘かったようだ。まあ、そういうこともあるかもしれないと思って、カップから抜かないでも色合いが楽しめるように透明なガラス製のカップで作ったわけだ。うん、先見の明ばっちりだ。

 そんなこんなで、茶碗蒸し部分のちょっと崩れてしまったものと、カップに入れたままのものとにトマト餡をごてっと載っける。

「おお……なかなか良いじゃないか」

 茶碗蒸しの山吹色、煮凍りの飴色、トマト餡の朱色と三色で彩られた、名付けて『冷やし茶碗蒸しのトマト餡添え』だ。ついつい自画自賛してしまうほど、食欲をそそる彩りだった。

 あとは溶き卵と出汁の量を調整するなりして、カップから抜いても崩れないようになれば、なお良しだ。次に作る機会があったら、そのあたりに気をつけてみよう。

 沸騰させたお湯でもやしを湯がいたところに出汁入り味噌を入れて混ぜただけの即席もやし味噌汁を作ったら、晩ご飯はこれで全部、完成だ。

「ふう……」

 ご飯と味噌汁、茶碗蒸しを、運ぶのに使った角盆ごと食卓に置いたところで、一息。椅子に座って、ようやく食事だ。

「いただきます」

 誰に言うともなく会釈をしてから、僕はさっそく茶碗蒸しに箸を伸ばした。

 ……うん、美味しい。

 卵と出汁だけで作ったほとんど卵豆腐のような茶碗蒸し部分と、酒に醤油に生姜でがっつり味付けした煮凍り部分とが、いい具合に味わいを膨らませ合っている。

 舌の上にふんわりこってり広がる卵の滋味を楽しんでいると、そこに煮凍りのぷるぷるした食感が混ざってくる。舌に少し力を入れると、ぷるぷるはじんわり蕩けて旨味を染み出させ、卵の味と幸せに混ざり合う。とろりと柔らかいトマト餡のほんのりした酸味が舌を洗ってくれて、次の一口を迎え入れる準備を調えてくれる。

 食感も味わいも異なる三色の層が口のなかで織りなす三重奏を、僕は黙々と楽しんだ。プリンカップ二個分の冷やし茶碗蒸しは大した時間もかからず、僕の胃袋にまるっと収まった。

 でも……。

「……」

 お腹いっぱいになった途端、溜め息が漏れた。満足の気持ちから出た溜め息……というのも間違ってはいなかったけれど、その気持ちは三割ほどで、残りの七割は……空しさだった。

 自分で作ったわりと手の込んだ料理を、大して興味もないテレビを相手にしながら、自分一人で黙々と食べる――その状況を意識してしまったらもう、空しさに知らんぷりしていることはできなかった。

(……誰に食べてもらうわけでもないんだし、三層に分けようなんて面倒なことを考えないで、材料全部混ぜて作っちゃっても良かったよな)

 ふとそう考えてしまうと、ますます空しさが募るのだった。

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