第2部 第2章 ニーナ奪還作戦

中魏到着 raid

 茂本が帰還し、ザハードたちが船に乗ってから早1週間。

 長い船旅になるとは聞いていたが、ここまで長いとは思ってもみなかった。


「ねぇ、長すぎなんだけど」

 げんなりした顔で、ミニアーナは言う。相手はもちろんザハードだ。というより、ザハードしかいない。

 船には、人工知能が埋め込まれており目的地を設定するとそこまで最短ルートで行ってくれるはずなのだ。だが──

「まさかここまで酷いことになってるとは、僕も思わなかったよ」

 ザハードは眼前に広がる海を見る。氷河期か、とつっこんでしまいたくなるようなどこまでも続く氷が、そこにはあった。

 船はそれを削りながら進む。ゆえに、時間がかかるのだ。


「本当にこの地球寒冷化はどうにかならないの?」

 ここ数年で一気に加速した寒冷化に、ミニアーナは文句を言う。

 三年前まではしっかり海だった。だが、いまでは氷漬け。一体全体どうなっているのやら。

「まぁ、でも。ようやく着くみたいだよ」

 視界の端に写った建物らしき陰。それを見つけたザハードは、少し声色を明るくして告げた。

 氷の世界に佇む赤色の何か。だがそれは、間違いなく中魏の象徴でもある色。

「ホントだ……。やっとなんだね」

 心底ホッとした。そんな風に取れる。


 ゴリゴリ。ガリガリ。船底に取り付けられた、氷を削る削氷機さくひょうき──ハサミの如く大きなノコギリのような刃を持ち氷を削りきる機械──が大きく音を立てる。

 海が氷張りならば、歩いて行けばいいのではと思う人もいるかもしれない。だが、それは無理なのだ。

 霜の降りる一般道を歩くにしても、足は冷たくなる。それを永遠と歩き続けなければならないのだ。さらに、どれほど必死になって走ったとしてもそれは1日で辿り着ける距離ではない。

 ならば、休憩はどこで取る? 氷の上か?

 それは身体を冷やし、生命の危機になる。ゆえに、海を渡るには飛行機を使うか、船を使うかしかないのだ。

 中魏の面影が見えてから、約8時間後。ようやく中魏にたどり着いた。

 凍り付いた桟橋のわきに船をとめ、薄氷覆う中魏へと足を踏み入れた。


 原則他国へ入る時、AAの用意した関所へと赴かなければならない。それがなければ不法入国となる。ザハードたちは、しかしそんなことをできるはずがない。

 しかも、世界がスラム化しているという時期に他国へ旅行するものなどいるはずが無い。

 ザハードとミニアーナは、中魏に足を踏みれるや否やすぐに行動を開始した。

 圧倒的な経済破綻。それは、大富豪でさえも衣服を纏えないという戦時中のような状態。

 どれほどお金を積んでも、買えるのは食パン1切れ。それでも人々がギリギリの所で生きられているのは、やはりAAの配給があるからだろう。

 ザハードたちは、AAその行為が素晴らしい事だと思っていた。自分たちの食料を他に分け与えられる。そんなこと自分たちには出来ない。そう思っていたから。

 だが、茂本やリアナに出会って考えは変わった。

 AAはそう思わせるために、食料を自分たちの所に集め、それを配布してるのではないか、と。


「暖かそうなもん着てんじゃねえーか」

 それは中魏に入って、10分も経たずに起きた。

 まだかつての港町であろう場所を抜けられていない。建ち並ぶ家屋は、石造りで潮風に強い造りになっている。

 海側に深い庇が作ってあるのは、海に反射してキラキラと輝く陽光を防ぐためだろうか。

 そんなことを思っていると、その家屋の中から5名の男が現れたのだ。

 みな揃いも揃って、上半身は裸で、男として大事な部分だけをどうにか隠している、という格好だ。

「きゃっ」

 あまりにもはしたない格好に、ミニアーナは思わず目をそらす。

「んだゴラァ!?」

 その男グループの1人。浅黒い肌の太い腕を持った男が鋭い目をさらに凄ませて言う。

 大事な部分を覆った布が、その拍子に揺れて、ポロりしてしまいそうだ。

「男のポロリは見たくねぇ」

 ザハードは、ミニアーナの前に立ち不敵に微笑みそう言う。

 すると、ヨーロッパ系の人なのだろう。深い青色の瞳を持った男の顔つきが変わる。

 元々はマフィア系の仕事をしていたのだろう。そう思わせる程の豹変ぶりだ。

「殺す」

 短く放たれた強い殺気のこもった言葉を受けてもなお、ザハードは笑う。

 瞬間。全身に中魏の紋章とでも言うべき龍の刺青の入った、ガリガリの男が手に持っていた鉄パイプを振る。

 しかしそれを知っていたかのように、ザハードはひらりと体を左へひねりかわす。

 鉄パイプは大地を覆う薄氷を叩いた。薄氷に亀裂が入り、砕けた破片が宙を舞う。

 その間にザハードは、茂本の元を立つ時に譲り受け、衣服の下に隠したぺティナイフを抜いた。

 柄の真ん中に鋼色に輝く鉱石が埋め込まれ、色彩は黄色を基にしている。

 要するに、高そうなやつだ。

「コイツっ!」

 それを見るや否や、ニホン人っぽい顔をした体の大きな男が、短い脚で蹴りを入れようとする。

 ザハードはそれを柄でたたき落とす。

「埒があかねぇ!」

 怒号をあげ、龍の刺青を入れた男が再度鉄パイプを振り上げる。

 ──今度は水平か……。

 ザハードは振り下ろされる前に軌道を読み、体を動かそうとする。刹那、残る1人チリチリ髪を持つ淀んだ瞳を持つほっそりとした男が動いた。

「アンタ、《人に愛されてる》のか?」

 男はザハードの腕をホールドし、耳元で嗄れた声で訊く。

 その間にも鉄パイプはどんどんとザハードに迫ってくる。

「いいぞッ! しっかり抑えとけよッ!」

 血走った目で叫ぶ。

 ──やばい……。

「離しなさいッ!」

 瞬間、ミニアーナが意志のこもった言葉を放った。途端に、最初に鉄パイプが砕き、飛び散っていた薄氷の欠片が意志を持ったかのようにうごめき始めた。

 ゆらゆらと宙に浮かび上がった氷片は、ミニアーナの怒りを表しているかのように紅潮しはじめる。

「おいおい、こいつはヤバいぞ……」

 ザハードの腕をホールドしていたチリチリ頭の男が顔色を悪くする。

 直後、ザハードを拘束する力が弱まる。それをチャンスと踏んだザハードは、一気に力を入れて男を振りほどくと鉄パイプに触れる寸前でしゃがみこみ避ける。

 同時に氷片が鉄パイプを握る龍の刺青入りの男の腕に刺さる。

「うがァ!」

 悲鳴をあげ、鉄パイプが男の手の中から零れる。蹴り飛ばし、遠くへ飛ばそうとザハードが動く。しかし、それより一瞬先にヨーロッパ系の青眼の男がそれを握る。

「チッ」

 ザハードは短く舌打ちをし、ぺティナイフを振るう。

 だがそれは、青眼の男の顔の数センチ横を掠める。

「当たらなきゃ意味がねぇーんだよッ!」

 青眼を大きく見開き、鉄パイプを乱暴に振る。

 ──振ってるだけかよ。これじゃあ、軌道が読めねぇ……

 そう思った瞬間、鉄パイプがザハードの右頬を捕らえた。

「いっ……」

 その威力は恐ろしく強い。気を抜けば一気に意識を持っていかれそうである。

「ザハードッ!!」

「おうおう。そんなにあの男が心配か?」

 浅黒い肌の男が、右頬を殴られただけでうずくまり、立ち上がることすら出来ないザハードを見て笑いながら言う。

「うるさいッ!」

 微かに涙色を含んだ怒号が飛びや、今度は大地に這うようにして存在する薄氷が色を変える。

「おい、そいつは怒らすな!」

 チリチリ頭が慌てたように声を出すも、浅黒い肌の男は知ったことかと、ミニアーナに拳を振るおうとする。

 途端、浅黒い肌の男の足元の薄氷がさらに紅く染まり湯気をあげ始めた。

 氷が熱を持ったのだ。

 裸足の浅黒い肌の男は、熱さから逃れるようにその場をぴょんぴょんとはね始める。

 そしてその間に、龍の刺青を入れた男の腕に刺さった氷片が抜け、その氷片が浅黒い肌の男の太ももに刺さった。

 声を上げることもなく、浅黒い肌の男はその場に崩れ落ちた。

「2人も……ッ。テメェら腑抜けてんのかァ!」

 ニホン人顔の体の大きな男が声を上げて、走り出そうとした。それをチリチリ頭が止める。


「あいつは……《世界に愛されてる》」

 そして声を震わせてそう告げた。

「世界に愛されてるだと? ざけんなッ!」

 だがそれを聞こうともせず、ニホン人顔の男が走ろうとした。そこへ、ザハードがぺティナイフを突き立てた。

「動くな。動くと殺す」

 ドスの効いた声で脅す。

「は、はぁ!? ……お、脅そうってか?」

 全身をぷるぷると震わせながら、上擦った声で返す。

「動くなと言った」

 短く告げ、ザハードはぺティナイフをニホン人顔の太短い脚に突き立てた。

 じわじわと、そこから血は流れ始める。だがそれはあくまで、少量ずつ。

 だがそこで。ザハードは不敵に笑い、ぺティナイフを一気に引き抜いた。

 ぷしゃー。という音が良く似合うであろうほどの血が傷口から吹き出した。

 血の噴水、とでも表現するべきだろうか。

 苦悶の表情を浮かべ、悶絶するニホン人顔の男の左手に、ザハードは刃先に血液の付いたぺティナイフを再度突き立てる。

 ぐしゃ、という音がした。皮膚を貫き、血がぺティナイフと傷口との僅かな隙間から零れる。

 ザハードは、また容赦なくそれを抜き去る。ニホン人顔の男は息はしている。だが、もうザハードたちに抵抗する力はほとんど無い。

 そう判断したのか、ザハードはその場を離れ自分たちに攻撃をしようとして来ないチリチリ頭の男と、青眼の鉄パイプを握るヨーロッパ系の男に目をやる。

「さっさと来いよ」

 《人に愛されてる》ザハードには、2人の思考が手に取るように分かっていた。

 それは──恐怖。

 子ども2人にやられるなかまたちを見て、怯えていたのだ。

 この子どもたちは一体何者なんだと。

 だからこそ。まだやられる、余裕があるというのを見せるのはかなり意味があり、更なる恐怖を与えられる。


「ウワァァァァ」

 恐怖に押し潰されそうになったのか、ヨーロッパ系の青眼の男が鉄パイプを振り上げ、駆け出した。

「……お、おいっ!」

 それより一瞬後で、チリチリ頭がそれを背後から制止しようとするが、遅かった。

 ──あー、右方向へと振り下ろされるわけね。

 振り下ろされる前に軌道を読み取ったザハードは、青眼の男に背中を見せ、ミニアーナに微笑む。

 もう終わる。そう言わんばかりに──

 青眼の男は驚きを露わにさせながらも、咆哮を上げて走る。

 ──その声でテメェの動きはお見通しだよ。

 心の中でそう忠告してから、青眼の男が鉄パイプを振り上げるのと同じタイミングでしゃがみ込み、すり足で後ろ──青眼の男の側へ動きぺティナイフの柄を後ろへと振った。

「ぐはっ」

 喘ぐように声が洩れ、カランカランと鉄パイプが薄氷の上に転がる。

 続いてドサッ、という音と足裏に僅かな衝撃が届いた。


「さぁ、アンタはどうする?」

 ザハードはチリチリ頭に背を向けたまま訊く。

「こいつら連れてトンズラさせてもらうよ」

 今にも裏返ってしまいそうな声だ。ザハードはそれに偽りがないかを読もうとすると、

「《人に愛されてる》人に嘘は通じねぇのは分かってるよ」

 先にそう言われ、ザハードは《人に愛されてる》力を使うことをやめた。


「僕たちはAAの中魏第3支部へ行きたい。どこにある?」

 どこにあるかは、知っていた。だが、知っているのはそれだけ。どこをどう行けば辿り着くという一番大事な過程を知らなかったのだ。

西安シーアン

 茂本に貰った情報と同じことを確認し、ザハードはさらに訊く。

「最短の行き方は?」

「ここを抜けて、真っ直ぐ街道を進む。なら、大きな街……と言っても今じゃスタビれているがそれが見えてくるはずだ。その街から北西に伸びる街道を行けば西安だ」

 チリチリ頭はバラバラに倒れた、ほぼ全裸の男たちを引きずり1箇所にまとめながら答える。

「わかった。じゃあ、最後に……」

「分かってるよ。言わない。ここでの出来事は言わない。もちろん、こいつらにも言い聞かせる」

 真剣な表情でそう告げるチリチリ頭に、ザハードは不敵に微笑んだ。


「ミニアーナ、行こう」

 そう告げ、南方向へと繋がる海州路チャイツー街道へと乗り出した。

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