防御段階 rain

 目の前に閃光が迸り、刹那に真っ白な何かが漂う。

 ジューっという焼ける音とともに、それは広がる。


 ──なんだ……。


 目も開けられない程に強い空気が頬を触れる。

 刻三は眉間のシワをピクピクと動かしながら、重く下ろしていた瞼を、微かに持ち上げる。


 そこに広がっていたのは、真っ白の世界だった。

 そして鼻腔に触れるのは、何かが焦げる匂いだ。

 刻三には、それが何か分からなかった。

 ──視界が真っ白であるのは、先ほどのような魔術が原因なのだろうか。それともまた別のものが原因なのだろうか。

 そんなことを考えていた時だった。


「刻ッ!! 突っ走れッ!!」


 マゼンタは喉が裂けそうなほどな咆哮を上げた。

 刻三に戸惑いが生まれる。


 ──この白い世界の中を突っ走る? どうやって?


 白い世界であるが故に、前はおろか誰の表情も見ることが出来ない。

 マゼンタの表情を伺えない刻三は、その声音だけで判断しなければならない。

 苦虫を噛み潰したような顔持ちで、刻三は──

「クッソ! どうにでもなれッ!!」

 と、咆哮を上げ石畳を蹴った。


 生暖かい空気が頬に触れるのを感じながら、真正面に進み続けると、ある所を境に視界が一気に晴れた。

 どうやら白いものは、水蒸気だったようだ。

 白い世界──湯気の世界を抜けると元の様々な色のある世界に戻る。

 そして、眼前には表情もなくただこちらを真っ直ぐ見つめている、人造人間ホムンクルスのフスティがいた。

 フスティは、無感情の言葉を放つ。


「あナタ、生きてタノね」


 言葉と同時にフスティは動く。人間の目では追うことすら不可能である速さで、だ。

 刻三は奥歯を軋むような勢いで噛み、両腕を体の前でクロスさせ、防御の構えをとる。

 瞬間、全身に軋むような痛みが駆け巡る。

 フスティの拳がそこにはあった。

 刻三は高らかに咆哮をあげ、右脚を持ち上げる。そして、その脚をフスティの脇腹へといれる。

 フスティの顔が刻三の視界からズレ落ちる。

 どうやら効果があったようだ。

 しかし瞬間、油断した刻三のガードの隙間に左拳が入った。

 肺から酸素が逆流してくる。

 嗚咽がこぼれ落ちそうなのをグッと堪え、一回転し回し蹴りをキメる。

 フスティは表情を変えないまま、壁へと突き刺さる。


「大丈夫?」


 そこへ湯気の世界から姿を見せたファスタが、焦ったような口振りで訊く。


「俺は大丈夫だ」


 刻三はそう答え、再度石畳を蹴る。そして叫ぶ。


「炎でバインドとかできるか?」

拘束バインドする技はねぇーけど、方法はあるっ!」

「じゃあ頼む」


 早口でやり取りを終えると、刻三はフスティに向く。


「いくぞッ!」

「いつデも」


 少し崩れた壁の瓦礫に埋まったフスティは、そのままの状態で口を開くと、腹筋をするかのように体を起こす。


「ゲヘリートよ、奴を拘束しろッ!」


 白い湯気が薄くなった頃、マゼンタは瓦礫から立ち上がったばかりのフスティに指をさし、叫んだ。

 蒼炎の蛇ゲヘリートは、マゼンタの声に応えるようにその場で一うねりすると、大顎を開き、フスティへと向かう。

 この時、初めてフスティの表情が変化したように思えた。

 刻三の思い過ごしかもしれない。しかし、眉が上がり、目が見開かれ、驚いたようであった。


本流ほンリゅう・壊滅ノ雨」


 フスティは右手を持ち上げ、そう告げた。

 瞬間、崩れた壁の瓦礫が音もなく瓦解していき、遂には水にへと姿を変えた。

 驚きに声も出ない刻三に、フスティは続ける。

 持ち上げた右手を更に上にあげ、天にへと向ける。そして、その手を一気に振り下ろす。

 同時に瓦礫の形をした水の塊が、バサッという音とともに分解し、雨となり、降り注ぐ。


 最初の一滴が石畳に触れた。瞬間、水滴が触れた石畳が音を成して溶けたのだ。

 ──マズイ……。これは一体……。


 刻三がそう考える間にも雨は降り注いでくる。


「みんなッ! 触れると溶けるぞ!」


 ありったけの声量で事実を叫ぶ。しかし、返事は返ってこない。

 まさか、やられたのだろうか。

 最悪の展開が刻三の脳内に過ぎる。


「殲翼」


 強さのある声が、刻三の耳に届く。その声は、別段張り上げたような声には思えないが、やけに大きく感じられた。

 それとほぼ同時に翼が打たれる音が耳に届く。

 その音には聞き覚えがあり、戦闘中であるにも関わらず、妙な安心感を覚えてしまう。


「ファスタ……」


 刻三は、自然と、ごく普通に、その名を口からこぼしていた。

 その声は、ファスタに聞こえるはずの無い音であった。にも関わらず、ファスタは聞こえたかのような微笑みを見せる。いや、実際に聞こえたのかもしれない。

 そして、禍々しい程の漆黒の翼を大きくはためかせる。

 翼によって生み出された風により、壊滅をもたらさんとする雨粒が刻三たちではなく、フスティの方へと向く。


防御段階ディフェンスフェイズ移行シフト


 この状況を"危険"と判断したのか、フスティは機械的な声になり、そう唱えた。

 刹那にしてフスティの容姿が変化する。

 人間体であったフスティは、その声でまるで要塞のように変化したのだ。


「嘘だろ……」


 刻三はそのあまりの大きさにそう洩らすしかなかった。

 大きさは、50階まである吹き抜け全てを埋め尽くす程だったのだ。

 そこへ壊滅ノ雨が容赦なく降りつける。

 しかし、要塞は崩れるどころか溶ける様子すらない。

 何故だ?

 そう思い目を凝らすと、雨は要塞に届いてすらいなかったのだ。

 要塞の前に薄く、だが、頑丈に作り上げられた防御膜シールドが雨粒全てを防いでいる。


「お兄ちゃんッ!!」

 雨が降り終わる頃だった。

 今まで影の薄かった千佳が、突然叫びをあげた。

 そしてどこからとも無く姿を見せた千佳は、元フスティの要塞の足元にいた。


「危ないッ! 離れろッ!」


 何をもって危ないと判断したのだろうか。

 それは分からない。

 だが、ほとんど何も分からない相手に対して不本意に近づくのは得策ではない。

 刻三は、異形の力"アーカイブ"を持ちえてから体験したことを糧にそう叫んだ。

 しかし、千佳はそんな刻三の気持ちなんてつゆ知らず、親指を突き立てる。

 そしてそのまま、要塞の足元へ突っ込んだ。


 瞬間、要塞は空気の抜けた風船のようにシューッとしぼみ始めたのだ。

 約10秒ほどかけてしぼんだフスティは、意識もないようで、その場にバタンと倒れた。


 ──停止完了


「やっ、やったのか?」


 ピクリとも動かないフスティを、刻三は人差し指でちょんちょん、とつつきながら上擦った声で零す。


「おそらくは」


 ファスタは心底ホットした表情で呟く。その顔は、今にも崩れ落ちて、座り込んでしまいそうなほどである。

 人でなく悪魔がそうなのだ。この戦いがどれほど激しく、キツイものだったか、という象徴だ。


「一休みしたら上へ行くぞ」


 マゼンタは毅然とした態度で、疲れを微塵も見せずに言い放つ。


 ──待ってろよ、ニーナ。俺が……、俺が救ってやるからな……。

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