記憶のカケラ
特務律の箱舟 ark
ハロウィンの夜から、また数日が経った。
刻三と千佳は今まで通りの平穏な日々を暮らしていた。
家に訪れる客人もツキノメとクララで、ファスタの存在などなかったかのように平凡であった。
だが、そんな日々も長くは続かなかった。
天上より降り注ぐ陽光の勢いが弱まり、世界に闇が映え始める頃。
淡い光を放つ満月がひょっこりと顔を出し始め、疎らに霜が見られるようになる。
地球寒冷化は留まることを知らず、日に日に悪化していく。
冬ということもあるのだろうか。
ハッキリと分からないが、日中どれだけ強い陽光が注いでも屋根から生えた氷柱が溶けることが無い。
故に毎日氷柱が生え続けるのだ。
窓から見える屋根から伸びてきている氷柱に目をやり、今日も氷柱が増えるのだろうな、と思いながら刻三は
まだ電気のついてない部屋が、1枚の窓が塞がれることにより、一層に暗くなる。
刹那──、鼓膜を突き破る勢いの激しい音がニホンに轟いた。
「な、なんだ!?」
刻三は持っていたもう1枚の防寒布を落とし、声を張り上げた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
バタバタと廊下を駆け抜けて来た妹の千佳が、慌てて訊く。
腰にエプロンをまいていることより、恐らく夕食の準備をしていたのだろう。
「……っ。大丈夫……だけど……」
刻三はごくんと唾を飲んでから、視線を心配そうな表情の千佳に向け答える。
「だけど?」
「何か嫌な予感がする」
厳かに告げられた言葉に千佳は、眉を潜める。
瞬間、聞き覚えのある怪奇な羽音がした。
刻三は本能的に天井を仰ぐ。
しかし、つい数日前の出来事を思い出し視線を玄関の方へと向ける。
それとほぼ同時に玄関が開き、人が入ってくる。
「入るわね」
凛としたこの声はファスタのものである。
「あ、あぁ」
嫌な予感が増大するのを感じながら、刻三は答える。
「来て欲しいの」
単刀直入にもほどがあるであろう、物言いに刻三は顔をしかめる。
「何処にだよ」
「あぁ、そうね」
ファスタは自虐の笑みを浮かべる。
刻三はその笑みに怖気を感じた。
まるで、これからを楽しむような悪魔の顔に見えたから……。
「マゼンタが……。特務律の専用箱舟を襲撃した」
刻三は自身の耳を疑った。特務律の専用箱舟は、何処にあるかも分かっていない幻のシロモノなのだ。
それをマゼンタが襲ったと言う。
「嘘……だろ?」
嘘であってくれ、と思いながら刻三は喘ぐように訊く。しかし、ファスタは小さくかぶりを振り、事実であると告げる。
「マジかよ……。よく場所が分かったよな……」
刻三は先ほどの爆発音がそうではないのか、と予想を立てながら口開く。
「それは……」
突如として口ごもるようになるファスタに、刻三は目を細め厳しい声音で訊く。
「教えたのか?」
ファスタはわかりやすく肩を震わせた。
間違いなく教えたのだろう。だが、腑に落ちない点がある。
それは、なぜ箱舟のある場所が分かったのか、ということだ。
特務律は警備機構に属しており、AAが関与する余地が無いはずなのだ。
「私の仲間がそこに潜入してるからよ」
「潜入?」
刻三の思うところを察したのか、ファスタは口を開いた。しかし、その言い回しに更なる疑問を呼ぶ。
「そうよ。AAのスパイとしてね」
「スパイ!?」
「そんな驚くことないわ。AAは世界を牛耳ろうとしてるのだから、あらゆる機関にスパイを派遣してるわ」
AAの夢があらぬ方向に向いていて、それが世界を手中に収めることにあると分かり、刻三は絶句した。
「じゃあ、そのスパイから連絡が入ったってこと?」
それまで沈黙を貫いていた千佳が問う。
ファスタは首肯することで、それに応えた。
「さらにそこには、2人の天賦者が収容されてるの。破壊に長けた者と燃焼に長けた者がね」
刻三はわざとらしく肩を上下させる、大きなため息をついた。
「最初からそれが目的ってことか?」
刻三のため息により静まり返った部屋に、刻三のドスの効いた声が僅かに木霊する。
こもった声で返ってくるため、不気味で仕方がない。
一方、刻三に詰められているファスタは項垂れているうえに、部屋は真っ暗なため表情は微塵も見ることが出来ない。
「ごめんなさい」
囁くような声音で発すファスタ。
「そんなんだから信用されねぇーんだろ」
声に怒りを乗せて感情を見せる刻三に、ファスタはただただ壊れた機械のように「ごめんなさい」と言う。
「あぁ、もうわかったから!」
何度も何度も謝るファスタに、刻三は声を荒らげそう言う。
まだ
刻三の瞳に映る月はまるでダイヤモンドのようだ。
月光を反射し、煌めく瞳をファスタへ向け意志のこもった言葉を放った。
「行くぞ、箱舟に」
ファスタは下がっていた頭をくいっと持ち上げ、期待の眼差しを眼前に立つ刻三に向ける。
「いいの?」
「仕方ねぇーだろ」
頼りない声を出すファスタに、刻三は指先で頬を掻きながら答えた。
***
歪で、奇怪な真っ黒の羽根を展開させるファスタの背に乗る刻三と千佳。
家を出る前に、厚手のコートを着るように言われて着たのは正解だった。
頬を撫でる風は、冷たく、刃のように鋭い痛みを与えてくる。
眼下を流れる景色はニホンの景色は、復旧だなんだ、と言っていたのが嘘だったかのように知った街並みで、明かりが零れてきている。
人と人とが手を取り合った結果だろう。
数え切れない人が同じ場所に集まり、崩壊から現在にしたのだと考えると、人間という生き物の恐ろしさが分かる。
「どうした?」
何ともないように問いかけてくるファスタ。
かなりの速度で空中を移動しているのに、だ。
普通の人間では、あ、とすら言えないだろう。
「あー、そうか。人は喋れないのか」
どこか退屈そうに吐き捨て、黙り込むファスタ。
それからしばらくは家が続き、遂に景色は海へと移った。
どの方向へ動き、海上に出たかは分からない。
一面に蔓延る濃霧が方向感覚を奪うのだ。
「着いた」
ファスタは急に動きを止め、短く告げる。
しかし濃霧が蔓延しており、建物の一角すら視界に収めることが出来ない。
「どこにあるんだよ」
そう聞いた刻三に、ファスタは目を丸める。
「まさか……。見えないのか?」
見えないことがこの上ないほど不思議らしく、ファスタは喘ぐように吐く。
「見えないから言ってんだ…………」
言葉が消えた。いや、奪われた。
強気で見えないとか言ったのが恥ずかしくなるほど、それはハッキリと見えたのだ。
「箱舟……じゃねぇーだろ」
刻三はそれを見て喘ぐように零す。
箱舟、と聞いて想像できるのは、せいぜい豪華客船ほどの大きさまでだろう。
しかし刻三たちの目の前にあるそれは、そうではなかった。
箱舟と名乗ることをやめろ、と名付けたやつに言いたい程だ。
「流石に……、これは想像出来ないわ」
千佳は下から上へそれを見てからそう吐き捨てる。
寒いはずなのに背中は汗でびっしょりだ。
刻三は、得体の知れない恐怖が身を蝕むのが分かった。
「こんなの島から生えた塔じゃねぇーか」
刻三は特務律が箱舟と呼ぶ、それをそう言ってのけた。
半径100メートルのホール型の島から生える高さ500メートルに及ぶ灰色の塔。
それが箱舟の本当の姿だったのだ。
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