突然の縁談 poison
日は
その合間にちらちらと白い小さな物体──雪が舞っていた。地球寒冷化が進んだ現在では九月はもう初冬に分離される。
そんな世界とは隔離されたかのような場所に刻三はいた。天井からぶら下がる神々しい光を放つ大きなシャンデリアに音も無く部屋を暖める無声空調装置──アドエア──により常時ヒトが快適だと感じる温度19度湿度45%に保たれている。
そのため大理石の床も曇ったりせず、天井から届く光を反射させている。
そして眼下に広がる高貴な雰囲気を放つ長いテーブルの上には日頃目にすることがない高級素材を元にして作られた料理が並べられている。
リバールは周囲を海洋に囲まれた国であるからしてチョウザメの卵の塩漬けである世界三大珍味の一つキャビアの生産量世界No.1であり、それをふんだんに使った料理が刻三の前に運ばれた。
シャンデリアから届く光を受けて黒光りするその珠に用意されたスプーンを付ける。
口に運んだ瞬間、思わず顔を
──流石は珍味と呼ばれるだけはある。正直言ってマズイ。
「あらあらこれ程で顔を
刻三の眼前に座る七三分けをしてビシッと髪をキメたツリ目が印象的な男性──リバール国交警吏隊隊長ログモル家の長男ログモル・インテグラは嫌みたらしい笑顔を浮かべ刻三を侮蔑するかのように告げた。
刻三は頭にきて立ち上がろうとした瞬間、ツキノメに袖を握られ我に返る。
「来ないのですか?」
何とも憎たらしい仕草だ。
「止めろ、みっともないぞ」
そんなインテグラに低く渋い声で告げたのは父親で警吏隊隊長のログモル・サインだった。顎に生えた髭にみすぼらしさは感じられず、威厳のようなものを感じさせられた。
「はい、父上殿」
会釈程度ではあるが、サインに頭を下げる。これが貴族であるのだろう。両親を重んじ、それに準ずる。刻三は自分には到底無理なことだと思いながら次に差し出された黄金色を放つスープにスプーンをつけた。
***
入口から見て左側に奥からツキノメの父親、母親、ツキノメそして刻三が並び、右側に奥からログモル家の父親、母親、そして息子と続く。
食事も佳境に入り、テーブルの上には本日のメインディッシュである世界でも1年に僅かにしか取れない
刻三は不器用なりにナイフとフォークを駆使して肉を切り分け、口に運ぶ。
口の中に入った肉は一瞬で溶けて消えた。まるでそこに最初から存在していないかのように消えたのだ。
──美味い
美食と呼ばれるものをあまり口にしない刻三にでもこれは別格だと感じられた。それは当たっているようで眼前の親子も今にもほっぺを落とす勢いでその肉を味わっていた。
「ところで──。ツキノメ様はどうして堀野様をお選びで?」
静かな室内に威厳のあるインテグラの父親サインが訊く。
ツキノメは切った肉を口の中に運び、飲み込んでから口を開く。
「好きになるのに理由が必要ですか?」
「おっと、これは失礼致しました」
ツキノメの強気な物言いに苦笑を浮かべながらサインは返す。
「ですが、こちらの縁談の話は幾分も前からあったはずですが?」
続いてインテグラの母親コサインが怪訝そうな顔でシャグノマ家の3人を見る。
「これは失敬。我々の方に手違いがあり、
物言いは聞かぬ、といった風でツキノメの父親ココが強気な眼差しに笑顔を浮かべログモル家族に向いた。
サインは何かを言い返そうとするもココの圧倒的な威圧力に言葉ははばかられる。
「それで堀野様はツキノメ様のことをどのようにお思いで?」
ココのいるシャグノマ家に質問をすることを諦め、サインは刻三に的を絞り質問を投げかけた。
「お、俺は──。す、好きですよ」
──恋人のフリをしているのだ、これくらい言わないとな。
これでいいか? の確認の意を込めてツキノメの方をチラリと見る。するとツキノメは顔を朱に染めて俯いていた。
「これはこれはホンモノのようだ」
呆れ顔で告げるサインにインテグラは腹立たしげに皿の上に残った僅かな肉にフォークを突き立て、口の中に放り込む。そして勢いに任せてコップに入った年代物の赤ワインを流し込んだ。
刹那──
「うぅ……。アァァァ」
インテグラが胸を抑えうめき声を上げ、座っていた椅子から転げ落ちる。
曇のない大理石の上に唾液を吐き出し、白目を向き喘ぐように呻き声を上げて悶絶する。
「ど、どうした!?」
慌てた色を見せつけてながらサインは座っていた椅子に蹴り飛ばし、我が息子インテグラの元へと駆け寄る。
肩を揺らし、声をかけているがインテグラにその声が届いている様子がなくただただ目を剥き、口から肺から逆流してきた空気を吐き出している。
コサインは両手を口に当てて声にならない声を洩らし、涙を流している。
慌てているのはログモル家だけでは無かった。シャグノマ家も違った焦りがあった。
──どうして? 何故?
そういった類いものだろうが焦りはにじみ出ており、ココもインテグラに駆け寄っていた。
「インテグラ様っ!!」
しかし、もうインテグラから返される信号は瞬き程度で暴れることもやめ、体を
そして遂にインテグラは完全停止し、開いた口からは泡のようなものを吐き出していた。
サインは強く奥歯を噛み締め、インテグラの口から零れだした泡の上で手を仰ぎ、その匂いを確かめた。
これが警吏の性なのだろうか。我が息子であっても事件の可能性があるならば追求をしてしまう。
サインはそれを嗅いで息を呑んだ。
最初は単なる食中毒か何かかと思ったのだが、これは違った。
「ど、毒──?」
サインのその声は妙にはっきりとして刻三の耳に届いた。
刻三は何が起こったのか分からずただ呆然としている。
そこにそんな声が届いたのだ。訳が分からず頭が真っ白になる。
「何ですと?」
演技じみた様子はなく本気の顔で聞き返すココにサインは神妙な顔つきで
「青酸カリだ」
と告げた。
***
しばらくしてけたたましいサイレンと共に警吏隊がやって来た。
強面の男からどこか弱々しい印象を感じさせる男まで様々な男たちに混じり、強気な顔つきの女性がどかどかと入ってくる。
「ログモル隊長!」
喚くように言ったのは昔ながらといった雰囲気のある
「ベータ署長」
どこか安堵の覚えた表情でサインは名前を呼んだ。
しかしベータにそのような表情は一切をもってなく、険しい表情を浮かべている。
「インテグラ様の容態は?」
厳かな声で訊かれた。少しの間だが、沈黙が訪れた。そこからは喧騒に警吏隊の人たちがバタバタと現場にやってきて静けさはなくなった。そこでようやくサインは小さくかぶりを振った。
それを見たコサインは嗚咽をあげて泣き始めた。ツキノメも刻三同様に状況を飲み込めてないようであたふたとしている。
「毒だ」
サインは短くはき捨てる。ベータは瞳孔を思い切り開き、微量の吐息を漏らす。
「失礼いたします」
サインに断りを入れてから目を剥き、口を開きその間から泡を吹くインテグラに
「冷たいッ!」
ベータは思わず触れた手を脊髄反射のごとく離した。
「死後どれくらいなのですか?」
ベータはサインに喘ぐようにして訊く。サインは再度小さくかぶりを振り、
「今で25分ほどだと思う」
小さく答えた。ベータは驚愕を顔に刻み声にならない声をわずかに開いた口の間から漏らした。
天井から注がれるシャンデリアの高貴な光はそんな状況でも神々しく輝きを放っていた。
***
入ってきた警吏隊により汚された大理石は刻三が訪れたときの高級感はなくなっているが、外から入ってきた警吏隊はそろって家を見て感嘆の声を上げていた。
そのことに対してベータ署長が「現場だぞ! 不謹慎だ!」と小声で活を入れていた。
扉が開くと同時に流れ込む冷気はずっと快適温度に設定された部屋にいた刻三にとっては不快でしかなかった。
そんな刻三たち、事件が起こったときに部屋にいた人たちは別室に集められていた。
ツキノメの父親――ココいわく第二応接室らしい。
そこへ蝶番が軋む音がして、入口となる扉が開いた。
「お待たせしました」
どかどかと歩いて入ってきたのは萎れた茶色のコートを着込んだベータだった。警吏手帳を片手に険しい表情を浮かべ、刻三たちの前に行く。
「それでは申し訳ありませんが、荷物の方の拝見よろしいでしょうか?」
ベータの言葉に皆一様に頷くと荷物を自分の前に置いた。
「では、サイン隊長から。お願いします」
サインはそう言われてから自分の小さなだが高級感のあるカバンの中をひっくり返した。
***
大した物も出てこずに最後の刻三の番になった。
「では、最後に。刻三さんお願いします」
既に6人の荷物検査をしたベータは少し面倒くさそうに告げた。
──どうせ何も出てこないんだ。
そう思って刻三はニホンより持ってきた旅行カバンを逆さ向けた。
荷物がカバンの中から雪崩落ちる。カコンと瓶状の物を筆頭にパンツやら着替えの服やらが出てきた。
「失礼します」
右手を上げて刻三の荷物をかき混ぜるようにして物色し始めた。
何も無い。そう信じていたにも関わらずベータは表情を変えた。それはまるで重要証拠でも見つけたかのような──。
「これは何だ?」
ベータが刻三の荷物の中から最初に出てきた瓶状の物を手に取り低く渋い声で訊いた。
刻三は目を疑った。それは自分の荷物では無かったからだ。
「し、知らない! そんなの俺のじゃない!」
物体が何なのかその瓶に貼ってあるラベルを見れば誰でもわかった。分かったからこそ刻三は必死で否定したのだ。
──シアン化カリウム。
別名を青酸カリウムと言う毒だ。
「じゃあ何故お前のカバンの中から出てくる!?」
ベータは凄まじい剣幕で刻三に詰め寄った。しかし、それは刻三にもわからない事実である。
「分からない。でも、俺のじゃないんだ! 信じてくれ!!」
懇願するように本気の眼差しをベータに向けるもベータはそれを信じることをせずに刻三の腕を取った。
「ログモル・インテグラ殺害容疑で逮捕する」
その声と共に刻三の腕には銀色の鈍い光を放つ手錠が
「待ってッ!」
刻三の背中を押し、部屋にいる人全体重頭を下げたベータに叫んだのはツキノメだった。
「何だ? お前はあの男を庇うのか?」
そのツキノメに対して冷酷な声を放つココ。ツキノメは一瞬怯み、声を出せずにいたがかぶりを振り、声を振り絞った。
「そうよ。刻三はやってないわ」
「証拠が出てきたのだ!」
サインはツキノメの言葉を一蹴した。それは先ほどまでのサインとは全く違う、怒りに任せた声音だった。
でも──、そう言いかけたツキノメに刻三はもういいと言おうと口を開けようとした瞬間。
「ベータ署長」
と、サインが声を出した。
「何ですか?」
「この女も連れて行け」
無感情で放たれた言葉に今度はツキノメの両親が目を見開いた。
「ど、どうして?」
ココは
「共犯の可能性があるからだ」
静かに放たれたその声は威厳に満ち溢れ、先ほどまでの『親』の表情ではなく『警吏隊隊長』の表情になっていた。
「どういう意味ですか?」
ツキノメの母親モノは震える声で訊いた。
「簡単な話ですよ。息子を殺したのは刻三容疑者かもしれませんが、それを促したのは娘さんツキノメさんの可能性があるので聴取を取るのですよ」
無感情でそう説明を終えるとサインは顎先でベータに「行け」と示した。
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