守られし命 life

***

 刻三は働く街中を歩いていた。きつい陽射しが容赦なく注ぐ。できるだけ建物で出できた影の中を歩き、ある場所を目指し歩いていた。

「お兄ちゃん……まだ?」

 千佳が思い切りだるそうな声音で訊く。

「多分、もう少しだ」

 刻三は遥か先に見える何かの一角を見つめる。

 街全体の電力源となっている大きな歯車が並ぶ回転発電を行っている通りを外れると、白煙と異臭が漂う開発地が続く。ここは新たな物を開発するための場所としてオークロ第三条約で定められた特区。どんな悪質なものでも無条件で開発ができる無法地帯でもある。故に人々はここを特区と無法地帯をあわせて無法特区と呼ぶのだ。

 一般的にここはオークロの闇組織がフル活用している。

「くさ──」

「言うな」

 『い』を言い終える前に制止する。ここで『くさい』という単語は禁忌タブーなのだ。ここを利用しているものに聞かれると何をされるか分からない。

 無法特区を鼻での呼吸をやめて、口だけで呼吸しながら素早く抜けるとそこにはこの街の外見からとは遠く離れた姿形をした建物があった。

 白璧で型どられた直方体の建物。斜めの屋根は存在しておらず、まっすぐの屋根──というより天井と言った方が近いキューブ型の建物があったのだ。

 街全体が錆びた銅のように赤みを帯びた焦げ茶で纏められているのに対してここは異質だった。

「ここだ」

 刻三は照りつける陽光で額はびっしょりと濡れている。

 千佳は言葉を返す事はなく、疑いの目で刻三を見た。

 白璧に埋め込まれた白い扉。刻三はそれをドンドンと叩いた。

「おい。俺だ」

 中からの返事はない。刻三は深いため息をついてから再度扉を叩く。

 だが、返事はない。周りには建物などなく、まばらに生えた雑草があるだけだ。

「おーい。しげじぃ」

 扉を叩きながら名前を呼ぶ。

 聞こえないはずねぇーのにな、刻三はそう思いながら最後にもう一声かけた。

「入るぞー。

 ほら、行くぞ。千佳」

 刻三は少し後ろで丸くなって座っていた千佳を見る。

 千佳は小さく頷いてからさっと立ち上がり、刻三の横に立つ。

 白いドアノブに手をかけ回す。扉はかなり重たく、刻三は必死の形相で力いっぱいそれを押した。

 扉を押し込めば押し込むほど蝶番ちょうつがいの軋む音が強くなる。

 耳をつんざくようにそれは響く。何も無いあたり一面に轟き、鳥たちが悲鳴のような鳴き声を上げて飛び去る。

「お兄ちゃん……」

 千佳は心配そうな顔を刻三に向ける。刻三は力を入れていることによって歪んだ顔に精一杯の笑顔を浮かべ応えた。しかし、それは鬼の形相だったらしく、千佳は半泣きになった。

「お、おい。な、なんで泣くんだ?」

 いきなりのことで何がなんだか分からない刻三は慌ててそう訊くも千佳はかぶりを振るだけで何も答えようとしなかった。


 ようやく開いた扉の向こう側は、外部の陽光など嘘かのように真っ暗だった。外から見たときは気づかなかったが窓がないのだ。故に室内は昼間にも関わらず真っ暗なのだ。

 風が通らないからか、空気が臭く感じるがその空気が肌に触れると思った以上に冷たかった。

「冷気……?」

 刻三は扉を開けたことによって流れ出てきた空気に思わず呟く。

 千佳はさっと兄である刻三の腕をつかんだ。

 刻三は心配するなの意をこめて、すぐそばにある千佳の頭をそっとなでた。

 冷たく乾いた空気が流れる部屋に入り、奥へと進んでいく。

 どこまで進んでも蛍光灯のような強い明かりを作り出す代物はなく、ところどころに申し訳程度で灯っているろうそくがあるだけだった。

 ろうそくには風除けのカバーガラスが被せてあるもののロウがなくなり、灯ることのできないものもある。

 外見からでは予想できない有様で、ミステリードラマとかで出てくる洋館がイメージに近い。

 長く続くように思った廊下は案外早く終わりを告げた。最深部にはわずかに光が漏れる部屋があったのだ。

 最深部にたどり着くまでにいくつか扉があったのだが、そのどれも光が感じられず、人がいる気配するなかったのだ。

「ここ、かな」

「う、うん」

 刻三は、目の前にあるわずかな光が見て取れる部屋の扉をノックした。

 しかし、これまた返事がない。

 ──おかしいな。

 そう思い、刻三はそっとその扉を開けた。

 刹那、鼻をつんざくような異臭が刻三を襲った。

 刻三は千佳に入ってこないように手だけで合図すると、自分は忍び足で部屋を進んだ。

 広さはおよそ八畳。一面白で固められた部屋だ。

 あらゆるところに試験管やビーカーが見受けられる。

「茂じぃ……」

 刻三は自分でも驚くほどのしゃがれた声でこの変わった家の主に名を呼んだ。

 しばらく返事は返ってこなかった。不安になり、もう一度名を呼ぼうとした瞬間――大きな本棚の真下から一人の人物が現れた。

 白髪に皺まみれの顔のおじいさんだ。全身を長い白衣で覆ったその姿はベテランの研究員か医者にしか見えない。

「おぉ、なんじゃ。来ておったのか」

 見た目とは相反する元気いっぱいの声が部屋中に木霊する。

 刻三の顔が一気に明るくなる。

「千佳、鼻つまんで来いよ」

 鼻をつまんだままなので鼻声になり、その声のまま千佳に呼びかける。

 千佳は言われたとおりに鼻をつまんで部屋の中に入っていった。


「きぃ坊がわしに妹を紹介してくれるとはな」

「別に、あんたに紹介するんじゃねぇーよ。困ったことになったんだが、宛てがないんでここに来ただけだよ」

「嫌なら来んでええじゃろ」

「それがそうもいかねぇーから来てんだろうが。察せ」

「そんなもん外部との接触を遮断したわしには無理な話だろうが」


 意味のない言い合いを続ける刻三と白髪のおじさんをみて千佳は困惑する一方だった。

 ──なんでお兄ちゃんは外部との接触を遮断したおじさんと知り合いなの?

 千佳の頭はクエスチョンがいっぱいだ。


「それよりも、このくさいのなんだ?」

「くさいか?」

「くせぇーよ! 茂じぃ、鼻逝かれてんだろ」

「逝かれとらんわ!」

 茂じぃが顔を紅潮させて怒る。

「じゃあ、質問を変える。何してた?」

「あぁ? えっとな、ねずみの死体解剖」

「それがくさいんだよ!!」

 刻三は声を荒げ、叫び呆れたようにため息をついた。

 それから、千佳を手招きし、

「こいつが俺の妹の千佳だ」

 頭に手をちょんと置きながら刻三は千佳を紹介した。

堀野千佳ほりのちか十六歳です」

 千佳はそれだけ言うときれいなお辞儀をして見せた。

 茂じぃは目を細め千佳の細りとした腕や、いい感じに膨らみかけている胸を嘗め回すように見る。

「おい、クソ変態ジジイ。千佳に変なことしたらぶっ飛ばすからな」

「おぉ、怖い怖い。シスコン兄さん怖い」

 茂じぃが茶化すようにそう言うのを刻三は鋭い睨みだけで制した。

 それから千佳に優しい声で「大丈夫だからな」とだけ告げ、茂じぃに向き直る。

 先ほどまでのふざけた様子が消え去り、真剣な顔つきだ。


「どっした?」

「いや、何かが来たように感じたんじゃが……」

 茂じぃは三百六十度、身体を回しながら見渡す。しかし、何も無いし、いない。

「気の所為じゃないのか?」

「だといいんじゃが……」

 どうも気になるのかまだクルクルとしている。刻三はそれをよそに千佳を見た。

 千佳は不思議そうに部屋中を見渡している。

 ガラステーブルの上に広げられた見慣れない長ったらしい数式や、英単語の繋がった化学式などの書かれた本。そしてそれらと同じテーブル上に置かれた赤色、緑色、青色、黄色の液体の入った試験管がそれぞれ一本ずつと白色の液体が半分ほど入ったビーカーが一つ。

 普通の家庭で育っていれば見ることがないものばかりだ。

 そしてそれらを収容している大きな棚が3つ。内一つは茂じぃが隠れていたもので、完全に本棚である。

「凄いか?」

 刻三が柔和に訊くと千佳は何度も首肯した。刻三は笑顔で「そっか」と答えた。


 全面白色の壁が部屋を照らし出している白色蛍光灯の光を反射しており、目がチカチカして長時間いると目が痛くなる。

 ──臭いし、目痛いし、そろそろここから出たいな。

「誰だ!」

 そんな時だった。茂じぃが柄にもなく大声を張り上げたのだ。

 戸惑いを隠せない刻三と千佳は互いに顔を見合わせて首を傾げる。

 茂じぃはそれを気にする素振りすら見せず、ただ息を荒らげ、何度も周りを見渡し何かを探していた。

「本当に誰かいるのか?」

 刻三は疑問を口にした。

「当たり前だ。わしが分からんわけがない」

「どうだか。俺たちが来たときも気づいてなかったろうに」

 刻三は呆れた物言いをする。それに対して茂じぃはため息一つで返した。分かっていた、そう言わんばかりに──。

 刹那、そんな事も言ってられない事態に見舞わられた。

 突然、テーブルの上にあったビーカーが音を立てて割れたのだ。

 前触れもなく割れたそれには流石に皆驚きを隠せずにいた。

 刻三もその例外ではなかった。割れたビーカーからは入っていた白色の液体が流れ出た。滑るようにテーブル上を進み、コーヒーメーカーの如くポタポタと雫が机の上から床へと落ちていく。

 しばらくは欠片の気配すら感じさせなかった。ひたすらに雫が落ち、床と接触する音。しばらくするとそれは白色の液体が床に溜まり、ぴちゃっという水と水との接触音に変わる。

 1滴1滴が落ちるのは時間にしておよそ一秒間隔だった。それにも関わらず刻三はその時間を永遠のように感じていた。

 ──何なんだよ、一体……。

「千佳、無事か?」

 刻三がそう訊いたのは時間にして八秒後だった。

 永遠にも等しく感じられた沈黙をどうにか打ち破り、口を開いたのだ。

「う、うん……」

 情けない声だったが、無事は確認できた。刻三はそれだけでも少し安心できた。

「安心するんわ、まだ早いわ」

 水を差すような一声が部屋の隅の方からした。

 声の主は、怯えて部屋の隅で丸くなっていた茂じぃだった。声は震えており、俯いたまま言っていた。先ほどまでの威勢はどこかに消え去り、本気で怯えている。

「わか……」

 ──ってるよ。そう言うまでもなく、次の攻撃が部屋を襲った。

 狙いは刻三や千佳ではなく、確実に茂じぃだった。目にも止まらぬ速さで何か媒体を使っての攻撃は部屋の隅にコタツの中で丸くなっている猫よろしくなっている茂じぃへと向かった。

 強烈な破裂音とともに茂じぃの足先わずか二ミリ先の床に焦げ跡ができる。

 敵が攻撃を外したかのように見えたが実は茂じぃが僅かに足を動かしたことにより攻撃が外れたようだ。

 部屋のどこかからチッ、と舌打ちが聞こえた。

 ──これではっきりした。敵はこの部屋の中にいて、茂じぃを狙っている。でも、一撃で仕留める気はない。茂じぃは何か情報を持っているのか?

 刻三は部屋全体に気を配りながらそのような思考を巡らせる。

 そこで急に隣にいる千佳が座り込んだ。いや、実際には立っていることが出来なくなったのだろう。

 間隔を開けて攻撃を仕掛けてくることによって精神力が奪われる。ましてや相手が見えないとなるとそれは倍増する。

 その恐怖にどうにか耐えていた千佳にも限界がきたようだった。

「千佳……」

 囁くような呼びかけだ。千佳は何も言わず、首だけを動かし顔だけを刻三に見せた。

 目尻には天井についてる蛍光灯の光を反射する水滴が浮かんでいた。

 刻三はその場にしゃがみ込み、千佳と向かい合った。

 長く伸びたまつ毛に、その奥に潜める大きな漆黒の瞳が視線が同じになった刻三を覗き込む。

 刻三は自分の妹の可憐さに一瞬気を奪われたが、すぐに我に返り目尻に溜まった雫を親指で拭い去った。

 親指に付いた千佳の涙をしっかりと目に焼き付けてから刻三は立ち上がる。

「兄ちゃんに任せとけ」

 どこか1点を見るのではなく、部屋中を捉えて刻三は告げた。

 どこにもかげすら見当たらないが、何かがいることが感覚でわかった。刻三は、感覚に従うべく開かれた両の目を閉じて全ての身体に備わる五感と存在しないと言われてはいる第六感を研ぎ澄ませる。

 肌に触れる空調家電──エアコン──から流れ出る少しカビ臭い空気が嗅覚を掠め、触覚をくすぐる。

 ──くっそ、違和感1つ感じられなくなってきたぞ。

 敵が空気の流れに同期して微塵の気配も感じ取れない。

 がさっ、と誰かが動く。だが、それはお目当ての人ではない。刻三はすぐにそれが茂じぃだとすぐにわかった。

「じぃ、動くな」

 動こうとしている茂じぃを刻三が制止する。茂じぃは動きを止め、瞳を閉じたままの刻三を見てから俯き再度腰を下ろした。

 刻三はそれを僅かな空気の揺れと腰を下ろした時の微量の音を触覚と聴覚でキャッチする。

 刻三は邪魔されることが無くなったと心底ホッとする。それから再度、限界まで五感と第六感を部屋全体に拡張させた。

 刹那、僅かな空気の乱れが頬に触れた空気から感じられた。

 刻三は同時に目を見開いた。

 途端、視界の隅に薄茶色の紐状の物が入り込んだ。

 刻三は咄嗟に足元に散らかっていた表紙に『原子図鑑』と書かれた分厚い本を何かが見えたそこへと右足のつま先で蹴飛ばした。

 宙で右回転しながら何かがいるその場所へと飛んでいく。

「いって……、思ったより痛い」

 本を蹴った右足のつま先を履いている靴の上からさする。

 ガコンという音が宙を舞った本が何かにぶつかった証明をした。刻三は痛みを忘れ、音をした方を見た。

 ペラペラと一枚の布切れがズレ落ちてくる。

「なっ……あ、あれは」

 刻三が喘ぐように呟く。落ちた布の置くから明るめの茶色を髪をした歳にして十四、五。千佳と同じくらいの少女だが姿を表した少女のが幼く見えるのは、背が低いからだろうか。

 栗色の双眸そうぼうを刻三に向け、少女は怯えた様子を見せた。纏う服はボロボロの布切れ。どうにか服にしているボロ雑巾のような印象を受ける。

 誰も動こうとしない。まるで時が止まったかのように、全員の動きが止まる。

 その硬直から一番に抜け出したのは布の奥から現れた襲撃者の少女だった。

「ま、待てッ!」

 ワンテンポ遅れて刻三が部屋の外へと逃げた少女を追いかける。

 少女の逃げ足はとんでもなく速く、刻三が部屋から出る頃には重苦しい金属の軋む音がした。少女が扉を開けた音だ。

 刻三が扉の前にたどり着いた頃には少女の跡形も残ってなかった。

 途方に暮れる刻三は家から出て、あたりを見回ってから再度家の中へと戻った。


「ダメだ、逃げられた」

 刻三は申し訳なさそうに俯く。

「気にするでない。命あっただけえぇと思え」

「でも……」

「でもじゃないわい」

 茂じぃは揺るぎのない笑顔を浮かべていた。

 それがダメ押しになったのか刻三は小さく頷いた。

 エアコンの音だけが忙しく響き、本や割れた試験管などの破片が散らばった部屋で刻三と千佳、茂じぃが三角形を作って座っていた。

 刻三はここに至るまでの経緯を大まかに語った。

 それを聞いた茂じぃは少し唸ってから立ち上がり、三つある棚のうち本ばかりが並べられている棚へと向かった。それから何かを探す素振りを見せてから、一冊の本を取った。

 かなり古ぼけた本だ。紙の色が白から茶色っぽい色へと変化している。

 さらにタイトルも少しボヤけてきている薄っぺらい本だった。

「何だよこれ」

「『アーカイブ』と呼ばれた本じゃ」

 茂じぃはそれだけ告げるとペラペラとページをめくりだした。

「これじゃ」

「だから何」

 ──だよ。は声になることはなかった。本に書かれている現象を刻三は知っていたからだ。

 『創造そうぞうのアーカイブ』本にはそう記載してあった。

 『1の術、己が姿を消すマントを創造する』

 それはつい先程、刻三たちが実体験したものそのものだった。

 刻三は戦慄した。全身の毛が全て逆立ち、刻三は思うがままに広げられていた本を奪い取った。そして、欲望のままにページをめくった。

 『神速しんそくのアーカイブ。神の移動速度を体現する能力』『常闇とこやみのアーカイブ。全てを呑み込む深淵の闇の有する能力』

 ページをめくる度に何とかのアーカイブという言葉が目に飛び込んでくる。

 息をするの忘れる勢いでページを進めた。

 しかしそれはものの五分も続くことはなかった。ページ数が圧倒的に少なかったのだ。

 総ページ数十五ページ。子ども用の絵本ですらもう少し長い。そんな本の十五ページ目だった。それは他のページとは少し違っていた。

 字体が変わり、どこか禍々しさを感じさせる。

 刻三は慎重にページの上から目を走らせた。

 『これは存在すら確認されていない謎のアーカイブ。だが、存在するなら間違いなく世界最強で最凶だ。名はときのアーカイブ。触れたモノの時を自由に操れる能力』

 刻三は息を呑むしかなかった。自分が千佳にしたことそれがそのまま記載されてのだ。誰にも分ることはずはない。だが、刻三にとっては恐怖でしかなかった。


「どうしたの……。お兄ちゃん」


 刻三のわずかな変化を読み取り、千佳は座り込んだまま細々と訊いた。

「なんでもない」

 刻三は乾ききった口でそれだけ答えた。茂じぃは、それを横目で確認しながら口を開いた。

「何か有益な情報はあったか?」

「あ、いや──」

 歯切れの悪い答えを返す刻三に茂じぃはふっと笑う。

「そうか」

 そう言いながら茂じぃは、麻の布袋を手渡した。

 刻三は、それを恐る恐るといった感じで右手で受け取った。どしっとしっかりとした重さを感じながら自らのほうへと引き寄せる。ジャラという音とともに中に入っている何かが動く。

「これは?」

 薄々何が入っているか気づいてはいたが、刻三は訊いた。

「正金貨じゃ。三十枚はいっておる」

 茂じぃは迷いなく答えた。刻三は、思わず正金貨——この世界での通貨の一種である。計三種類ある通貨のなかで最も価値が高いとされている——が三十枚も入っている袋を落としそうになる。

 日本円で言うならば、十五万円ほどの価値がある。そんな大金、刻三は手にしたことがなかったからだ。

「こんな大金……、どうして……」

 喘ぐように千佳は訊いた。

「それはな、わしがおぬしらを信頼しておるからじゃ」

 変わらない笑顔を浮かべ、茂じぃが告げた。刻三は自分が禁忌の『刻のアーカイブ』の使い手になってしまっていることを伝えていないことに胸を締め付けられながらも「ありがとう」と礼を告げた。

 それから、リュックサックや水など必要最低限の物資を茂じぃに提供してもらい、刻三と千佳は茂じぃの白色のキューブ型ハウスを後にした。


***


「予定外の来客もあったが、ここからがスタートね」

 キューブ型の家から出てきた刻三たちを見つめる一つの影があった。大きな木影からわずかに姿をかすめるように現れる。

 髪は肩まで伸びてきており、ほのかに吹く風になびく髪は銀色で、差し込む陽光を反射している。

 先ほどの襲撃者とは違うまた新たな敵だ。

 刻三はそれに気づく様子なく、背中に青紫色のリュックサックを背負い、千佳と並んで歩いていた。

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