最凶の英雄

リョウ

刻の能力

終わりから始まる始まり Prolog

 紅蓮のほむらが燃え盛る街の中にそびえたつ摩天楼。天上からは瓦礫の塊が降り注ぎ、それに伴い遠くから響いてくる轟音。

 そんな崩壊した街の中にひときわ目立つ緑の髪をした三十代半ば位だと予測される細身ではあるが、筋肉質の体の男がいた。男性は軽く色素の抜けた薄茶色の髪を持つ十代後半のまだ出来上がってない細身の体の少年の腕をつかんだ。

 少年は髪と同系色の瞳をぐっと見開く。

 緑髪の男性が口を開いた。少年は一瞬驚いた様子を見せてから、緑髪の男性と遠くに燃える紅を瞳に映しながらしっかりと頷いた。

 それを見届けるや男性は力を失ったように少年の腕を掴んだ手がずれ落ちていく。

 緑髪の男性は冷えきった路面に顔をつけ、倒れ込む。

 少年は顔を天に向けた。厚い暗黒色の雲が空を支配している。彼はその無慈悲な暗黒の空に向けて大きな口を開け咆哮を上げた。


 不意に一筋の涙が頬を流れ落ちた。少年はそれを右腕で一気に拭うと、すっと立ち上がる。そして、何か自分を追いかけてくるものから逃げるようにして駆け出した。

 刹那、地震のごとく大きな揺れが少年を襲った。彼はその揺れに耐えきれず思わず地に膝をつく。

 少年は歯が軋む音をたてるほど強く噛みしめる。その音は口内で反響し、耳にまで流れる。

 辺りは火災と揺れで脆くなり、崩れ落ちた摩天楼の残骸が広がる。ニホン国の中枢機関が揃う中心区域が焼かれ、落とされかけている。理由は分からないが、少年の住むニホンが襲われている事実だけは変わらない。ニホンの領土が少ない故に高く天を穿つ建物が多い。

 そしてそれらが崩れ落ちる度に地震のような揺れと粉砕した破片が飛び散る。

「くっ……」

 少年の口から声が漏れる。飛んできたガラスの破片が左の裏太ももや頬を切っている。

 ほとばしる鮮血が周りの瓦礫を毒々しい赤の華を咲かせる。

 大気を震撼させる轟音が耳に届く。それは灼熱の炎が後方から攻めてくる音だった。前方にも燃え盛る大手薬品会社がいまにも崩れそうである。

 少年は迷わず前へと進んだ。

 少年は勢いに乗り疾走し、燃え盛る大手薬品会社の横を通り過ぎる。

 刹那、その会社は轟音を立てて崩れ落ちた。一瞬の躊躇があれば彼もあの落ちてきた瓦礫の中だっただろう。

 少年はその様子を目の当たりにし、小さな安堵を零す。

 しかし、抜けた先にあったのは陥落した高層ビルの瓦礫が三メートルほど積み重なっており、行き止まり状態になっているものだった。

 少年は一瞬の戸惑いを見せるもすぐにその瓦礫に手をかけ、登り始めた。

 遠くから甲高い断末魔が耳をかすめる。少年は体をビクンと震わせそれにわずかに反応するも、かぶりを振り『助けに行くか否か』という思考を振り払う。

 劫火ごうかと瓦礫に覆われた街の空は夜だというのに赤々としており、月も星も見つけることはできない状態だ。

 瓦礫を登る少年の手のひらは、尖った瓦礫が擦れて血が滲んでいる。知っているかのようにそこに瓦礫が掠れ痛みが増幅する。

 尖った掴みやすい瓦礫を掴んでは逆の手を伸ばし、また掴みやすい瓦礫を掴んでは逆の手を伸ばし──を繰り返し瓦礫の山を登っているうちに手の皮膚が薄くなり、とうとうめくれていく。

 しみるような痛みに顔が歪み、白い吐息を吐く。少年の登ったところは一目瞭然だった。瓦礫に血が付着しているのだ。

 握ったところはみるみるうちに鮮血に彩られる。運の悪いことに血が付いたことで瓦礫のその部分が滑りやすくなる。

 少年はより滑り落ちないように一層瓦礫を強く握りしめる。

 それによりさらに血は滲み、破片が肉を抉るように刺さる。

 痛みを堪え、食いしばる歯の間からも血が流れる。

 体は軋み、全てを登りきる頃には痛みに対して麻痺しているようにも見える。

 左裏太ももの切り口から垂れてくる血があまりにもゆっくりなのでこそばゆい。

 少年はそれを左の手の甲で拭うとまた疾走はしり出す。


 夜中だとは思えないほど悲鳴と泣き声で賑やかな街の間を心を鬼にして一箇所だけを目指して走る。

 揺るぎないおもいが少年を突き動かす。

 その少年の口元が僅かに動く。何かをぶつぶつと唱えているように見える。

 天にそびえ立つ摩天楼の約四分の三は地へと還り、瓦礫とホコリが街を覆う。

「見つけた……」

 血まみれの少年は掠れた声でそう告げた。

 眼前に広がるのは瓦礫の海。そこから一本の色味のない手が生えていた。

 少年は擦り切れ、皮膚は無いも同然の手でその手の周りにある瓦礫を払い除け、中にある手を取り出そうとする。

 ぽつ、ぽつ──。そんな時だ。大空そらから冷たい水が降ってきた。──雨だ。

 水が少年の全身を痛みつける。

 傷口に容赦無く降りつける雨粒は少年の我慢を通り越し、悶絶さすほどの痛みを感じさせる。

 しかし少年は荒ぶる白い息を吐き出しながらも手を止めず、死にものぐるいで瓦礫を排除していく。

 降りゆく雨は勢いを増す。止む様子など毛頭ない。一方で、街を覆う劫火も消える気配がない。

 水と炎が顕在する街を見る。少年は互いに弱まることのない2つに息を呑む。

 一瞬止まった手を戒めるような目で見、再度動かし出す。

 水でしみる傷口が元の腕力を鈍らせる。

 それでも少年は奥歯が折れる勢いで噛み締め、瓦礫をどける。

 そしてようやく手の主が姿を現す。

 髪の長さからして、恐らくだろ。色素のない腕は細い。だが、顔の骨格は砕けており原型を留めていない。

 体は未だに瓦礫の下敷きとなっている。

 少年は女性の腕を手に取ると息絶えていることを察した。あまりにも冷たすぎるのだ。

 少年はその女性が誰だかわかっていた。

 土と血がこびりついきボサボサになった髪の中央より少し後ろ、後頭部にあたる部分に存在する水色の髪留めを見て──。

 自然と涙が込み上げる。

 雨と涙が混じり合う。いつの間にか劫火は消え去り、残るのは崩壊した街に鉄のような臭さを纏う血臭と多くの市民の『死』だった。

 少年は喘いだ。哀しみと悲しみを。少年は震えた、怒りと憤りで。

 その時少年は思い出した。緑髪の男性言葉を。つい先程脳に植え付けられたような記憶の中に眠る言葉を。

『この能力ちからは全てを変えることができる。だが、使えばお前はこの世ならざるものになる。後は……頼んだ』

 少年は何でもすがれるものにすがりたいという思いで眼前で死んでいる女性の手を握った。

「我が統べる能力ちからは刻。今この時を以て我に能力ちからを貸し与えよ」

 少年はそっと囁くように告げた。

 刹那、少年の手の先に倒れる女性が光に包まれ始めた。それは陽だまりのような暖かな光で、どこまでも果てしなく広がっていった。

 瓦礫が勝手に動き、女性の上から左右に移動させられる。そして女性の体が露になる。

 白のTシャツに青の半パンを穿いているが、それらも髪の毛と同様に土や血が付き汚れきっていた。しかし、それらすらも綺麗になっていく。まるでように。

 次の瞬間、女性の顔も元通りになり目を開き少年に話しかけた。

「お兄ちゃん……」

 少年のことをお兄ちゃんと呼んだ女性は、女性と言うにはいささか早いように思われるような人物だった。

 顔は大人びた感じではあるが、年にして十五、六であろう。

「おまっ……、生き還ったのか……?」

 少年は涙で濡れる声を抑えながら訊いた。

「生き還るって……」

 どういうこと、と聞こうとしたのだが状況を見てその言葉を飲み込む。

 瓦礫まみれの街に血だらけの少年。記憶の節々を繋ぎ合わせたところでその女性が綺麗な姿のまま生き残ることはほぼほぼゼロパーセントに近いことだからだ。

「お兄ちゃん……どういう状況なの?」

 雨の降る崩壊した街で、生き還った女性は声を震わせ訊いた。

紅蓮の炎が舞い上がるニホンの中心区域。彼は世界で最凶最悪と謳われる時のアーカイブを使った。

託されたその能力を使うつもりは無かった。だが、彼は使った。たった1人の命を救う為に……。

最凶最悪の力を使った彼は世界から追われる身となり、様々な能力者と闘うことに──。彼は敵対する能力者を巻き込み、どんな運命をたどるのか──。

 ──これがあの男の……刻の能力ちから

 これが少年が始めて能力を使った瞬間である。

 この時の少年に、この後起こる自分を中心に様々な事件が起こるなど微塵も考えてなかった──。

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