受け止める
私は中学生の時に、バスケットボール部に所属していたが、試合一週間前の日曜日の練習中に右膝を怪我してしまった。ロングパスを受け、シュートする為に走っていたがボールがそれてしまい、コートから出そうになったボールを走ってきた味方に、右膝を軸にして勢いよくねじ込んでパスした際、「ブチッ」と音がして床に倒れ込んだ。自分でも何が起きたか分からなかった。立とうとしたが力が入らず、右膝から下がブラブラした。それから痛みがきた。
歩く事が出来ず、そのまま先生におんぶして貰い、近くの救急外来で診てもらったが、骨は折れていなかった。だが、右足を床に着く事が出来ず、太腿から足首までを板みたいな物と一緒に包帯で固定して、翌日改めて病院で診察したが、このまま固定で様子見となった。固定も外れ、何もしなければ痛みは無くなったが、ちょっと右膝に力が入ったり、少しでも膝が真っ直ぐより横に捻れるような態勢になる、と右膝が脱臼したみたいに外れるようになった。外れたら凄く痛くて勿論立てず、血の気が引くのを感じた。何とかしなくてはこのままでは我慢出来ない。外れた感じの膝を自分で元に戻す。膝の中で低音の音と、振動が伝わり膝が元の位置に戻る。病院変わってみたが診断結果は変わらず、電気治療とか言われ、そんなことでは治らない事は自分でも分かり、途中から病院にいくのも諦めた。こんな状態なので、膝を痛めてから中学卒業する迄、体育の授業は見学となった。
中学卒業して、大学病院のスポーツ外来で、右膝を観てもらった。右膝前十字靱帯断裂、半月板損傷と診断され、膝が外れてはいれてを繰り返した私の右膝の靭帯は酷い状態だった。手術をしなくては治らないと言われ、ショックを受けたが、同時に何が原因か病名が分かりホッとした。
高校一年の七月、一学期のテスト前に入院し、手術をした。本当は夏休み迄待ちたかったが、ベッドの空き待ちの都合上、テストを受ける迄待てず入院となった。
そして手術。
全身麻酔の手術で、目が覚めた時、今の状況が麻酔のせいで意識が朦朧として把握出来ず、右足に重みを感じて分かった。
「私、手術したんだった。終わったぁ」
太くギブスで固定された右膝を見て、目頭が熱くなった。原因分からず、好きなスポーツも出来ず、膝が外れた感じになっては自分で戻す、痛く不安な日々、様々な思いが頭の中を駆け巡る。
これからが新たなスタートだ。
初めて松葉杖でベッドから降りて、床に足が着き二、三歩歩けた時は感動した。歩ける事の喜び。
「歩けるってこんなに素晴らしい事だったんだ」
当たり前の事が、凄く嬉しかった。
リハビリ施設の充実した病院に転院しての1ヶ月余りのリハビリ生活。
ギブスをした足で、両松葉杖で外に出て、グランドを歩く。徐々に距離を伸ばし、次は片松葉杖に。ギブスがとれてからは、膝を曲げるリハビリ。これが一番大変だった。長く固定された膝は曲がらない。水着を着てプールに入り、足をほぐしながら膝を曲げる。毎回リハビリで曲げる前と後の角度を測定。日に日に浅い角度から角度がついてきて、曲がるようになっていった。
ちよっと、二学期の始まりには間に合わなかったが、九月半ばに学校に復帰した。
体育の授業は相変わらず見学だったが、ただただ普通に歩く事が出来る事に感謝し、高校生活を終える。
私は小学校の頃からスポーツが大好きで、熱があっても体育の授業がある日はそれを隠して学校に行った。体育の授業を休むのがもったいなかった。部活は陸上、水泳を掛け持ちでやっていた。中学二年の怪我する迄は、とても楽しい体育の授業、部活生活だった。
だから、手術して以前のようにはスポーツが出来ないと分かった時、凄く落ち込むのかと思った。確かに今迄みたいにはスポーツ出来ない。落ち込んだ。でもそれはとても静かな気持ちだった。入院しているお部屋には、腰が痛くて遠方から転院して、この大学病院で手術を出来るか受診する為に入院していた女性の方がいた。夜も痛くて眠れないようで、湿布のシートを剥がす「ビリビリ」っという音を私は毎晩聞いた。その人は結局手術が出来ずに元いた病院へ戻られた。歩く事も出来ず、車椅子で移動し、痛みに耐える日々。スチュワーデスさんだったとの事。今で言うキャビンアテンダント。私はその時高校一年、あまり聞いてはいけないと思い、どういう腰の病名かは聞けなかった。が、私はその時何かを感じ、「今の自分を受け止めよう」と思った。
普通に歩いて生活出来る事。そんな当たり前の事がとても大切な事だと思ったからだろう。それがとても静かな気持へと繋がった。
この入院生活で、同じ整形外科病棟に入院していた患者さんとの触れ合いが、「これも私の人生」と、思わせてくれた。そういう意味では、学校にいけなかった時間は、貴重な時間となった。
大学に進学し、手術した右膝のお皿の下内側辺りに痛みが走り、階段の上り下りが苦痛になってきた。4年前に手術をして頂いた大学病院のスポーツ外来を再度受診した。右膝の半月板損傷で1泊2日の手術を受けた。これで同じ足を2回手術する事になった。
足に関しては、自分なりに受け止めてきた。「これが私の人生」と。
でも、「受け止めているんじゃなくて、諦めているのではないか」
「諦めている?」
「受け止めると、諦めている」反対の事を言っているようで、方向性は同じような気が私はした。
「諦めたから、受け入れ、受け止める事が出来た」
「受け入れ、受け止める事が出来たから、諦める事が出来た」
時間が経ち、二度の手術に心が揺らぎ、弱い気持ちになった。だが、やはり、これからも「受け止めて、歩いて行こう」
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