題名のない夜
電話かメールか、どっちの着信音が鳴るか当てようとくだらない推理をしながら連絡を待っていた。うたた寝を恐るほど眠気はまだやってくる気配を見せなかったし、というのも今日この時間のために前もって仮眠をとっておいたのだ。ぐるぐると考えを巡らす頭の中で常に浮かぶあの人の、顔。
今夜も僕に連絡をくれると一方的に言ってきた、あの人のことが頭から離れない。
──オルゴール音が鳴る。……電話だったか。
『起きてる?』
「起きてるから電話に出てる」
電話の向こうでくすっと小さく笑われたのが聞こえた。ベッドサイドのデジタル時計を横目で確認する。0時23分。
『もうすぐそっちに着くから、支度して待ってて』
「えっ……だって危ないから僕が」
迎えに行くって前にも言ったじゃないか、と言おうとしたけど言葉をかぶせられた。
『バイト先から直接来てるもん。それに……待ちきれなくて』
陶酔した、夢見心地な声でそんな事を言われたら何も言えない。小さくため息をついて、僕は答える。
「分かった、本当に気をつけて来てね」
『了解。じゃ、あとで』
そして向こうから電話を切った。通話時間は0分23秒だったそうだ。
彼女はいつものように折りたたみ式の自転車でやって来て、僕のアパートの前で待っていた。
「バイトお疲れ。寝ればいいのに」
「眠るよりもスッキリする事を見つけたんだから仕方ないじゃない」
「アブナイ言い方しないで……」
口を尖らせながら僕も自分の自転車のサドルにまたがり、ペダルに足の力を込める。線路沿いを北へ、学生街から逃げるように僕らはシャカシャカと自転車を漕いだ。
こんな風にして彼女と夜風に当たりに行くのはもう、3回目だ。
「今日はここで」
キッとブレーキをかけたその場所は、申し訳程度にベンチとゴミ箱だけが置かれた公園だった。遊具も砂場もない。雑草は刈られたばかりのようで、足を踏み入れる分には何の問題もなかった。
「……今日もやるの?」
「だからあなたを呼んだんでしょ? 何を今更」
大きく息を吸って、あーあーと声出しを始めている。
「冬真っ盛りの空気はきれいね。私はきっと、今日を一生忘れない」
「それ、この前も言ってた」
「つまりあなたとこうしている時間を忘れないってことよ」
……そうやっていつも思わせぶりに笑う。僕は返事をしないでボディバッグからレコーダーを取り出した。それを見つけて彼女が声を弾ませる。
「デモ、ちゃんと聴いてきたよ。もう完璧に歌える」
「本当に手直しなしでいいの? この前あれだけ文句つけてきたくせに」
「いいの。ほら、はやく」
一番最近入れた音楽を選択して、再生ボタンを押す。小さなスピーカーから電子音が流れ出す。
曲を作り始めてまだ1ヶ月もたっていない。でもこの曲はもう3曲目の作品だ。
『じゃあ、頑張れば曲作れるんじゃない?』
楽器の知識以外の音楽的知識を尋ねられて、コード進行と譜面作りなら少しだけ勉強したことがあると答えた。すると彼女は目を輝かせてこんな事を言い出したのだ。そんな簡単に言うなよ、というのが正直な感想だった。
『作ってみようよ! 最初は短くてもいいから。やってみなきゃ、勿体無いよ!』
でも、彼女があまりに積極的に勧めてくるもんだから断りきれなかったというのが、曲を作り始めた一番大きなきっかけかもしれない。本屋で初心者向けの本を買い、必要なソフトや小さな鍵盤など最小限揃えてみて、処女作は一週間でできた。自分でも驚きの早さだった。
それが今ではこうして、僕と彼女の夜のリサイタルを開かせる。
隣で触れ合う肘に心ときめかせる
恋の距離を測りながら
自分の話ばかりの自分がいやになる
あなたの事が知りたいよ
再来週接近するというあの星を二人で見ようよ
その後ならきっとサヨナラは
大したことないと思える気がする
いつもは見つめるだけの背中だったから
どんな顔で私の話を聞いてくれていたか
覚えてないよ
来週になったら来週になる再来週
こんなに心待ち遠しくさせて
そのぶん過ぎ行く時は一瞬
いつもは夢の中だけのあなただったから
積もっていた"話したいコト"が溢れてきた
止まらないよ
いつもは見つめるだけのあなたの背中
見るたびにあなたと交わすサヨナラが
目に浮かぶよ
さようならもう一度
再来週もう一度
僕の作った音と言葉が、彼女の体を通って僕の耳に届く。ギターもドラムもない、ただ一人の彼女と僕の小さなスピーカーだけで、夜の公園は刺激的なライブ会場へと様変わりする。彼女は透明で優しくて、それでいて僕の胸を激しく叩く声を持っていた。
「ふう……うん、やっぱりいいね。歌ってて気持ちいい」
「てか、また声が良くなってる。……はい、ココア」
「そりゃ、練習してるもん。わ、あったかい」
練習してるもん、と自信ありげに笑う彼女が眩しい。サビのところをもう一度軽やかに歌ってみせ、思い出したように問うてきた。
「タイトルさ」
「え? ああ」
「決まってないの?」
「ん……なんか、思ったよりも完成度が高くってさ。うまくつけられないんだ」
そういうもんなんだ、と彼女は僕の隣に腰掛けた。その距離感はまさに肘が触れ合う距離で、もういっそ僕が何も言う事なくこの気持ちが熱みたいに伝わるんだったらもうそれでもいいやという気持ちにもなる。
でもそれで幸せになれる人なんて誰もいないんだ。
『あの人は、いるってさ。遠距離らしいけどね』
なんで、こんな時間に彼女は僕と一緒にいるんだろう。
なんで、こんな時間に僕は彼女と一緒にいるんだろう。
肩を並べて一緒に帰ったあの日から二ヶ月。顔も名前も知らない彼女の「恋人」を差し置いて僕は、人気のない夜の道を彼女と出かけ夜の公園で彼女の生の歌声に聴き入り、そしてまたアパートに帰る。彼女のことを思いながら曲を作り、曲ができれば彼女に知らせて感想を聞く。
「1時半になりそうだね。帰ろっか」
「あのさ……っ」
立ち上がり自転車の方へ向かう彼女を引き止めるように僕は彼女の背中に声をかける。……何を言おうとしたわけでもないけれど。
首を傾げて、何も言わずに僕の言葉を促す彼女の表情がどこか優しい。
「また、作ってくるから。前の曲も少しずつアレンジしてるから」
僕と彼女を唯一繋ぎとめるものが僕の作る曲なのだとしたら、
「……また、いつでも呼んでほしい」
僕は君と離れるその日が来るまでずっと曲を書き続けよう。
「もちろん。ほら、もう帰ろ」
なんでもないという顔をしてそう答えた彼女を見て、ひとつ決心がついた。この曲にどうしても入れられなかった最後の歌詞を、僕は手の平で握りしめて公園のゴミ箱に投げ捨てる。
好きだよ
やっぱり好きだよ
でもそんな事言えないよ
(今日は何の日か知ってる?)
彼女の後で自転車を漕ぎ続け、僕は心の中だけで彼女に問いかける。
「じゃあ、おやすみなさい」
彼女をアパートまで見送って、玄関の鍵がちゃんと閉められるのも耳で確認してから自転車を跨ぐ。
2月14日午前1時42分、彼女の歌声だけを手土産に僕は自分のアパートに辿り着く。
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