輪転世界のオーバーライト

市民

プロローグ

 ―時間とは、人の生み出した概念に過ぎない。そう唱えるものも存在する。しかし、人は時間に逆らうことはできずその流れに身を任せる以外に選択肢を与えられてはいない。過去から未来へと紛れもない一方通行である。

さて、今回はこの“時間”を巧みに利用し完全犯罪を成し遂げようとしたある人物の事件をご紹介しよう―



 ここまで書き上げ、満足げにキーボードから手を放す。傍らに置いたマグカップに手を伸ばし、すでにぬるくなったコーヒーに口をつける。


「さてと…」


 本来であれば一息ついた後はバリバリ本文を書き始めるべきである…のだが。


「どうしたもんか…」


 こうして小説を書くようになってもう3年くらいか。最初は漫画家を目指してたっけ。絵が絶望的に下手でその夢はあっさりと崩れ去った。サイコー的な人は俺のクラスにいなかったしな。ならばとその夢を小説家ラノベにシフトさせるのは至極当然といえよう。

 などとうだうだ考えていても、その後の展開はおろか事件の内容も思いつかない。そもそも時間を巧みに利用するなんて俺の手におえるのかな…。

キーボードのバックスペースキーに手を伸ばそうか考えていると、部屋の扉が妹、愛美の手によって無遠慮に開かれた。


「お兄ちゃん、ご飯」

「おう」

「作って」

「…おう」


 そりゃそうか。こいつは料理などできん。母さんは今日も仕事で帰ってこないのかな。毎日毎日ご苦労なことだ。


「まっ、保存しておくか」


 先ほどの文章を一応保存する。消すのは後からでもできるしな。


「保存日時は…7月20日、17時18分…っと」


 テーブルの上の時計を見て保存できたことを確認する。これは昔からの癖だ。

パソコンをスリープモードにし、1階に下りる。そのままキッチンに向かい、夕食の支度を開始する。

下ごしらえをしながらリビングの愛美を見るとテレビを見ながらスマホをいじっている。いいご身分だな…。


「風呂の掃除はしたのか?あと洗濯物」

「うーん…。これ見終わったらー」

「テレビなんか見てねーじゃねぇか…。さっさとやっちまえよ」

「あーい」


 ぜってぇ忘れるぞこの野郎…。

 我が家は母、俺、妹の3人暮らしである。父は俺が5歳の頃に亡くなったと聞いている。正直、あまり覚えていない。

 母は仕事が忙しく、家に居ない事のほうが多い。研究施設に所属する物理学者だ。なんの研究をしているかはよく知らないがきっと大変なのだろう。

そういう事情があって家事は基本的に俺たち2人で分担している。初めは色々と苦労したが、長く続けていればこういう生活にも慣れてくるものだ。



     - - -



「できたぞ、さっさと食っちまえー」

「あーい」


 テーブルに2人分の食事を並べ、愛美を呼ぶとすぐにリビングにやってきた。あれから風呂の用意はしたようだが、案の定洗濯物は取り込まれてすらいない。


「結局洗濯物たたんでねーじゃねーかよ」

「うるさいなぁ…後でやるよ」

「うるさく言われる前にやればいいんだろうが」

「うっざ」


 苛立たしそうに返す愛美。反抗期かしら。そういう態度をとられると、こちらとしてもイラッとくる。


「文句があるなら食うなよ」

「料理に文句は言ってないじゃん、うざ」 


 こいつ…。腹立つな…。誰に似たんだ?


「あーそうかい。勝手にしろ」

「なにそれ、腹立つ」

「お前には言われたくないな」

「そんな偉そうに言わなくてもよくない?」

「偉そうになんかしてねーけど」

「あっそ」


 あーイライラするなぁ。さっさと食っちまおう。


「………」

「………」


 そこからはお互い無言で腹だけ満たし、俺は部屋へ戻ることにした。とそこでまだ風呂に入っていないことに気付く。明日も学校だ。隣の女子に、なんかこいつ臭くない?などと思われてはそこから高校生活が終了する可能性すらある。ないか。

とりあえず風呂に入ってから部屋に戻ろう。のんびり湯につかればイライラも収まるかもしれない。



     - - -



 風呂に入り身も心もスッキリさせてぐでーっとベッドに寝転がる。ガンガンに効かせた冷房のおかげで心地がいい。腹の立つことは忘れて今日はさっさと寝てしまおうか。心はスッキリしてねーなこれ。気分を落ち着かせようとしすぎて逆にイライラするパターンだ。こういう時はたいてい眠ることもままならない。俺ってば繊細すぎ。


 しかたがないのでスマホを開きヘッドホンを接続して頭に装着する。

さて、今日はお気に入りのクラシック集を聴こう。普段はもっぱらアニソンばかりなのだがクラシックもいいものだ。


 クラシックを聴きながら優雅に大規模掲示板『ωちゃんねる』のアプリを立ち上げる。休みの日や寝る前などはよくこうしているのだ。

VIPを徘徊し興味のそそられそうなスレッドをいくつか覗く。うーん…。今日はロクなスレがないな。クソスレばっかりだ。


 ツマンネとばかりにアプリを終了させようとすると、1通のメールが届く。アドレスからして、アプリの宣伝メールのようだ。普段ならば華麗にスル―してしまうところだが気になる文言を見つけてしまった。

そこにはなんだか頭の悪そうなフォントで『ついにあなたのスマホにも未来からのメールが届く!!』と書かれていた。


「未来からのメールねぇ…」


 思わず苦笑交じりに呟いてしまう。どこかで聞いたことがあるような設定。しかし嫌いではない。むしろ大好物だ。深く考えずURLをタップ。ストアの画面が開かれレビューを見てみる。なんとか院凶真とかいないかな…。

 評価数は12。その中でも高評価はあまり多くなかった。まぁそんなもんだよな。説明読む限りあんまりおもしろくなさそうだし…。

だがしかし、せっかくなのでダウンロードしてみる。無料だからな。アニメも3話までは視聴する派である。

 ダウンロードを済ませると早速アイコンをタップ。開かれた画面は普通のメールアプリのようになっていて受信ボックス、送信済みボックス、ごみ箱の3つのフォルダに分かれている。


「早速3通来てるみたいだな」


 とりあえず1通目から順番に見てみる。最初に届いていたものは主にこのアプリの使い方だった。はっきり言って分ける必要性を全く感じられないがまぁいいや。そろそろ眠くなってきたし。

 音楽のスリープ機能をテキトーにセットし、眠りにつく。静寂が苦手な俺は基本的に音楽を聴きながら眠りにつく。だからこれがお決まりの睡眠モードだ。さあ、明日も学校か。だるいなぁ…。



     ― ― ―



 気が付くとそこは一面の闇だった。真っ暗な油の海に融けていくかのような不快感。

どちらが上でどちらが下なのか。

瞼は開いているのか閉じているのか。

一片の光さえ存在しない世界。指先ひとつ動かせず、呼吸もままならない。それほど時間は要さずにこれは夢だと確信する。なぜならこれまで幾度も見てきたからだ。

 “あの事件のとき”の夢。あれから10年も経とうというのに忘れることのできない忌まわしい記憶。今できることは、現実の俺が一刻も早く目を覚ましてくれるよう祈ることぐらいだ。


「……」


 目が覚めたときの疲労感はここ最近で一番だった。頭が少しぼーっとする。

制服に着替え、陰鬱な顔で1階に下りると珍しく愛美が二人分の朝食トーストの支度をしていた。昨日のこともあってなんとなく気まずかったし、純粋に食欲もなかったのでそのまま学校に向かうべくリビングをスル―する。と愛美が声を掛けてきた。


「朝ご飯は?せっかく作ったんだけど」

「今日はいい」


 疲労感のせいか思ったより重苦しい言い方になってしまった。妹に気を遣っても仕方ないし、どうということもないか。


「…あっそ」

「悪いな」


 兄妹ゲンカと言ってしまえばそれまで。どこの家庭でもこれくらいのことはあるだろう。少し時間が経てば自然と仲直りできる。元来俺と妹は特別仲が悪いわけではないのだ。2、3日もすればどちらからともなく元のさやに納まる。心配することはないさ。

 多少の罪悪感に後ろ髪を引かれる思いをしつつ、俺は家を出た。

 


     - - -



「おっはよう、涼!」


 登校中の俺の後頭部に元気な声とともに軽い衝撃が走った。


「いてぇ…。朝から元気だな、啓祐は」


 同じクラスの園部啓祐だ。いいやつなんだが若干暑苦しい。


「俺と涼の仲だろぉ」


 無理やり肩を組んでくる啓祐。おいやめろ。マジでやめろ。


「暑苦しいんだよ…」


 弱々しい声で引きはがす。小学校からの付き合いなのでこのノリに慣れてはいたが、このくそ暑い中引っ付かれるのは本当に勘弁してほしい。


「なんだ元気ねーな。…またあの夢か?」

「…あぁ」


 こいつは意外に勘のいいところがある。俺の辟易した態度の原因がこの場のものだけではないことに感づいたのだろう。


「まぁ仕方ねーよな、あんな経験一生に一度あるかどうかだろうし。俺も驚いたぜ?お前が死んだって聞かされた時は」

「…まあな。悪い、先に行っててくれ」

「わかった。なんかあったら俺に言えよ」


 頷きを返し、歩みのペースを一段階あげる啓祐。その背中を見送りつつ先ほどの言葉を思い返す。


お前が死んだ。


 目の前にいる人間に対して使うのはおおよそ間違いであるだろうその言葉。

しかしこれは紛れもない事実である。


 今から約10年前の2007年9月17日午前9時頃。

それは都内の地下鉄3路線で起こった。爆弾を持ったテロリストが車内で同時に自爆をしたのだ。

 このテロ事件に巻き込まれた当時7歳の俺は数時間後瓦礫の中から瀕死の状態で発見され、病院へと搬送された。病院も大パニックだったが、瀕死の小学生だったこともあって優先的に診てくれたのかもしれない。

 しかし医師による懸命な治療も空しく、俺は間もなく息を引き取った。



 そんな俺が今どうしてこんなところで高校生をやっているかというと、この世に未練がある幽霊だからだ。



 嘘だ。俺は生きている。


 医師により一度死亡宣告を下された俺だが、日付をまたいだころ息を吹き返したのだという。その後実に2か月もの入院生活を送ることになったが無事回復し、今では普通の日常を送っている。

今朝のような夢を見るようになったのはあの事件以降だ。ある種のトラウマだろうか。

 そのとき、入院生活中にたまたま聞いたある言葉を思い出す。


『またですってよ。すごいわね…』


……そういやどういう意味だったんだろうか。後から聞いてみようとして結局忘れたままだった。



     ― ― ―



 結局その日は1日調子が戻らず授業終了後、早々に帰宅してきた。というかどんどん悪化してきている気がする…。これはもしかして風邪か?まずったぜ。ひとまず部屋で休もう。

 自室のベッドに寝転びヘッドホンをつけ、眠る体勢に入る。テキトーにタイマーを設定し昨日同様音楽を再生するとスマホのバッテリーが残り少ないことを告げる画面が表示される。

 タイミングの悪いやつめ…。床に転がっているACアダプターを手繰り寄せスマホに接続する。無事充電が開始されたようだ。

準備が完了するとそれを待っていたかのように急激に眠気が襲ってきた。

 眠り込んでしまう前にスマホで時間を確認する。時刻は金曜日の18時前。花の金曜日に風邪とは俺もつくづく運がない。

 まぁ、明日休みなら多少ぐーたらしても問題はないよな…。

 そう思うとだんだんと体から意識だけが抜け落ちていくかのような感覚に全身が支配されていく。

 そのとき不意にスマホが振動する。チラと見やると昨夜ダウンロードしたあのヘンテコなアプリが起動している。うっかり開いてしまったかな…。まぁいいや、今はとにかく眠い。再び目をつぶると、すぅっと眠りに落ちていった…。



 思えば、この時の俺はまだ何も知らなかったんだ。

だが、ある日を境に日常が一変するなど一体誰に予想ができようか。

故に、俺は誰からも責められるいわれはないのである。


 この後に待っている波乱の未来を考えれば、これくらいの休息は許してやってほしい。

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