古の竜と英雄

横島マナコ

第1話

 私は、化け物だ。


 なんと言うことはない。

 初めからそうだったのだから。

 初めて自我を得た時にさえ、私はただ漠然と、そして漫然とそれを理解していた。


 私が少し、本当に少し力を振るっただけでいとも呆気なく全てが滅んだ。

 私以外の何もかも、身の回りにある全てが酷く脆かった。


 只々、時の流れに身を任せ、悠久の時を経てもなお、それは変わらない。


 ……筈だった。


 ある日、私がいつもの様にまどろんでいた時、寝ぐらにやって来た侵入者。


「古なる竜よ!!

 如何なる理由で世界に仇なすのか!」


 私の足元で小さきものが燃える木の破片をかざし、大声を張り上げる。


 邪竜だなんだと呼ばれようとも、触れただけで崩れる物に囲まれて、それを崩さぬように気を張り続けるのは、私の巨体では難しい。


 弱き者では、私の側に近づく事すらままならない。


 だと言うのに、この小さきものはどうだ。

 地を轟かせる私の身じろぎにも、岩をも溶かす酸の吐息にも動じず、ただひたすら、真っ直ぐにこちらを見つめてくるこの小さくとも力強い双眸はどうだ。


 それだけで、私にはこの小さきものが、薄暗い洞窟の中で一際の輝きを放っているように思われた。


 私は、この小さきものを吐息で吹き飛ばさぬよう、気を付けながら言葉を吐き出す。


「……私はただ、生きているだけだ」


 人の言葉は話しにくい。

 私は小声のつもりだったが、思った以上に低く、重い、雷鳴の様な声が洞窟の中に反響してゆく。

 吹き飛ばされない様に近くの岩にしがみついていた小さきものが負けじと声を張り上げて問うた。


「邪悪を成すことが生きる事だと?」


 違う。


「私に君たちを害する気持ちはない」


 今度は殆ど口の中でつぶやく様にして話してみた。

 だいぶマシにはなったが、小さきものにとってはまだ辛い音量であろう。

 その証拠に小さきものは耳から血を流していた。


「ならば何故そう荒ぶるのだ」

「荒ぶる? 私が?」


 違うのだ。


「私は荒ぶった事などない。今だって君を吹き飛ばしてしまわない様にとても気を遣っている」

「……それは、脅しか?」


 どうしたらわかってもらえるのだろうか。


「私はただ、此処に在るだけなのだ」


 いかに孤独であろうとも、触れれば壊れるならば触れる事は叶わない。

 壊さぬように、壊さぬようにと気を使ってなお、どうしようもなく傷つけてしまう。


「小さきものが、私が存在すること、ただそれだけのことにすら耐えられないと言うのならば、それは最早世の理なのだろうよ」

「なっ」


 仕方がないものは仕方がないのだ。諦めろ。

 そう呟いた私は、ゆっくりと、本当にゆっくりと、小さきものの横に首を横たえる。

 出来うる限りの気を使い、慎重に動いたが、それでも、ズシンと大きな音がして地が揺らいだ。

 静かに瞳を閉じる。


「……人の前に首を垂れるだと?

 竜とはもっと誇り高き者では無かったのか!?」

「生憎、他の竜とやらに会った事は無いな。

 ……所で、小さきものよ、お前の言う誇りとやらは何だ?」

「誇りとは、か。

 ……うむ、難しい質問だな。

 ……拠り所、己の信ずるもの、……とにかく、その個人にとって神聖なものであり、穢すべからざるものだ」

「ふむ、ならば答えよう。私は誇り無き者だ」


 私には、強すぎる力以外、何も無い。


「ただ漫然と、世界を壊してしまわぬ様に、小さく縮こまりながら生きている者だ」


 小さきものが、何を馬鹿なと呟いた。

 だから私はこう続けた。

 少し昔話をしよう、と。


 私が覚えている中で、最も古い記憶は、私が歩いただけで大地が裂け、少し翼をはためかせただけで広大な森が消し飛ぶような破壊の光景だ。


 私の側にはいつだって破壊が付き纏っていた。


 だがそれは私の意志によってではなく、私にとって世界があまりにも脆すぎたが故に引き起こされた破壊であった。


 私が動けば何かが壊れ、滅び、消える。

 それはただただ悲しく、恐ろしかった。

 だから、私は何も壊さぬ様にと、自ら此処に閉じ篭もった。


 あれからどれだけの時が経ったのかはもう分からないが、私の記憶の大半はこの薄暗い洞窟の、変化に乏しい光景ばかりだ。


 私は、おおよそこのような事を小さきものに語った。


---


 恐ろしい唸り声をあげ、地を轟かせる邪龍だなんだと人々の間で呼ばれていたその竜は、ただただ穏やかで、酷く悲しい目をしていた。


 竜が呼吸をする度に強烈な酸を含んだ暴風が巻き起こる。

 それらを精霊の守りによって防ぎながら、自分は古の竜と問答をした。


 初めは鼓膜が破れたが、すぐに癒し、防音の結界を張った。

 竜も声を落とした様であったが、それでもなおその声はドラを力一杯叩いたかの様な大音量だった。


 竜は、動く度に地響きを起こし、破壊を撒き散らすが、それでも十分すぎるほどに力を抑え、自身の身動きすら制限していた。


 永遠にも等しい時を、身動きせず、寝返りも打たず、ただひたすら石のように鎮座するだけ、と言うのがどれほどの苦痛か、自分には想像もつかない。


 自らの空虚な生を語り終えた竜は、最後に色濃い諦観を滲ませながら、どうして私の様なものが存在するのだろうと、誰に向けたでもない問いを零して話を括った。


 自分には、何も言えなかった。

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