青春原子心母

黒須英二

序章 時間と言葉


プログレッシヴ・ロック(略してプログレ)といえば、何といっても1曲1曲が長い。

普通、一般的なポップス(アナログ・シングルレコードの片面)は1曲3分ほどなのに、プログレの場合シングルには収まりきれず、アルバム(同LPレコード)の表か裏に1曲(約20分という長い曲である)、反対の面に短かめの曲が数曲という構成が定番で、なかにはレコードの表裏で全1曲(40分かけて1曲である)、さらにはそういうものを集めた2枚組、3枚組という大作さえあった。だから、自宅や友達の家で誰かと一緒にプログレを聴くと、たいした話もしていないのについつい長居になる。

曲を聴きながら話をすればいいではないかと思うかもしれないが、プログレはちゃんとして聴く音楽だ。まさか正座はしないがだからといって寝転んで聴くのは憚られるような、そんな雰囲気があった。当然おしゃべりは不可である。したがって時おり、

「…ここんところかっこいいのう…」

「…(うむ)…」とつぶやく程度。

すなわち一度レコードに針を落とすと、まず20分間は黙って音楽を聴く。そして終わってから、

「何回聴いても感動するのう!」

「おお! ギターがたまらんわ!」などと絶賛し合う。で、そのあと、

「でも、俺はこのバンドはベースだと思うけん」

「いんや、ギターだわ。なんでかと言うとだなあ…」というふうにひとしきり論評し合い、

「そげなら、もう1枚聴くか」

と別のアルバムをかけ、そうするとまたしばらく会話は止まる。

ということで、アルバム2、3枚をフルに聴いて曲の合間にちょっと話をするだけで、3時間ぐらいはあっという間にたってしまう。

これでは平日の帰宅後ならもちろんのこと、週末の午後、昼飯のあと落ち合っても、すぐに夕食の時間だ。

「あ、もうこげな時間だ。帰らんとおかあちゃんに怒られる」「おう。さいなら」

となる。ただひたすらレコードを聴くばかりで、あいさつのほか結局ひと言も言葉をかわさなかったことすらあったような気がする。

このように、ろくに話もせず最後はあわただしく別れることになるなら、自分ひとりでゆっくり聴けばいいではないかと思うかもしれないが、友達と一緒にプログレを聴くのにはそれなりの理由がある。友人の感想や批評を聞き、自分が気付かなかった聴き所を教えてもらう楽しみ。それから先ほど述べたように、同好の士として好きな曲やフレーズを確認したり、思いきり意見を戦わす喜び、これが一番の目的だ。

しかし実は、もっと切実な、経済的な理由があったことも確かだ。

1970年代前半、アルバムは1枚2000円から2500円ほどしたが、これは当時の中学生には大変な出費である。そうそうは買えない(買ってもらえない)。したがって、人のレコードを聴かせてもらって(お返しに聞かせてあげて)、持っていない分を補うしかない。こうして持ちつ持たれつの関係のなかでいろいろなバンドのいろいろなアルバムを楽しむことができたのである(レコードで聴かなくてもテープに録音すればいいではないかと思うかもしれないが、貴重な小遣いをはたいて買ったものを簡単に録音してくれとは言えない、そんな雰囲気があった)。

レコードの値段の話をした時、どうしても触れておきたいのが、この物語の中できわめて重要な存在となるイエスというロックバンドの『イエスソングス』というライブアルバムだ。3枚組で4500円した。中年のサラリーマンとなった今でも4500円はそれなりに使い出のある金額だが(好きな本を買って軽く一杯やって帰れる)、いまだ少年である中学生にとっての4500円はとんでもない値段だった。今の20万円ぐらいの感覚だろうか…(数学的にはシングルアルバム×2でしかないのに、なぜか5倍、10倍のインパクトがあったのだ)。

イエスファンなりたての僕はこの最新作が欲しくて欲しくて、家の手伝いを懸命にしたり、臨時の小遣いをねだったり、頼まれた買い物のつり銭をちょろまかしたりして必死に4500円を貯めた。だから、人のではなく自分の『ソングス』(プログレファンは略してこう呼ぶ)を手にした日の感激は忘れられない。友人宅で何回か聴いていたので中味そのものは知っていたが、人のではなく自分のレコードの分だけ、ばかばかしいことだが演奏も音もいいような気がした。

イエスのアルバムはジャケットも素晴らしい。主にロジャー・ディーンというイラストレイターが手がけていて、耳だけではなく目でも楽しむことができた。なかでも『ソングス』のジャケットは異常なまでに凝ったもので、3枚のレコードと解説書が入る計4つの袋を綴じた分厚い冊子8ページに渡って、物語性のあるイラストが描かれ、おまけに何とオールカラー12ページの写真集まで付いているという豪勢なものであった。

レコードのジャケットはそれ自体が芸術作品であるという認識は中学生ながら持っており、できるだけ汚さないよう皆気を遣っていた。まさか手袋はしないが、仲間と部屋にこもってレコードを聴く時、たとえば草野球などして汚れた手のままでは許されない、そんな雰囲気があった。

友人の『ソングス』を取り扱う際、大切な宝物にしているのはよくわかるから特に注意したものだが、実際に購入すると今度は自分のレコードだからまた重みがちがってことさらていねいに扱った。まさか抱いて寝はしないが、好きになった女の子の写真のように、何度も何度も眺めては悦に入っていた。

僕が『ソングス』を入手したことは、さっそく学校中の(正確には同学年の)プログレ仲間(とはいえわずか10名ほどだが)に知れ渡った。『ソングス』を持っているやつといないやつとの間には、明らかに一線が引かれていた。5000円近い高価な代物だし、ライブアルバムだからほとんどすべての曲(ところでこういうとき普通に使う「曲」ということばを「楽曲」なんていうふうに書くやつが出てきたのはいつからだろう)を、既発表のスタジオ録音のアルバムで聴くことができる。

「よほど余裕があるのでなければ『ソングス』を買う必要はない。そんな金があるなら新譜を2枚買うべきだ」と断言するやつもいた。

しかし、だからこそこのアルバムを買うことはイエスファン、いやプログレファンとしての決意表明でありスタート地点に立つことを意味していた。ぶ厚い3枚組のジャケットを手に、僕もこれで正式にプログレファンの仲間入りを果たしたのだと子ども心に感慨にふけったものだ。


1973年が暮れようとしていた。僕の頭の80%以上をイエスとプログレが占めていた。一生をかけて愛するものと出会えた年だった。思春期真っ只中なのに好きな女の子のことは8%くらいしかなかったろう。手元には、やっと手に入れた『ソングス』があった。大みそかまでの間、家業の手伝いに精を出そう。年明けにはイエスの新作『海洋地形学の物語』が出ることを知っていた。超傑作『危機』に続く2年ぶりの、待望のスタジオ録音の新作である。アルバイトで得た金(もちろん正月はお年玉ももらえる)で誰よりも早く発売日に入手し、誰よりも早く聴こうと決めていた。そのためには学校を早引けしたいくらいだった。少なくともこの町では、ナンバー1のイエスファンは僕なのだ。

14歳の冬。4月には中学も3年になるというのに、迫り来る高校受験のことは3%も考えていなかった。

 

これから始まる物語は、中学2年、14歳の春から高校を卒業する18歳の3月まで、のべ5年間にわたる、プログレッシヴ・ロックを始めその他いろいろな音楽を愛する僕ら仲間たちの、どうしても忘れることのできない思い出に基づいている。

それでは、そのすべての始まりの日、1973年の4月のあの日から書き起こそう。

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