第4話

 目が覚めると、まず真っ先に、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。

 …あぁ、そうだ。そうだったな。真は昨日起こったことを横になったまま、整理するように思い返す。機械女、赤い光、瑠奈に起こった異変。…あれ?そういえば玄関で寝てしまったはずだったのに…。明日香が運んでくれたのか?自分が小さな少女に担がれる。そんな光景を思い浮かべると、感謝の気持ちと同時に、情けなさまで溢れてくるようだった。

 もし、あの時明日香がいなかったら、今頃どうなっていただろうか。瑠奈と同じように、あの機械女に感情を奪われていたか、仮にそうでないとしても、どうしたらいいか分からなくて路頭に迷っていたであろう事は想像に難くない。

 今の所、頼りになるのは明日香だけだ。明日香には異変が起きていないし、昨日の様子から察するに、何かしらを知っているようだった。それに一人でいくら考えたって、答えが出る訳が無い事は分かりきっていた。…男としての下らないプライドからか、あまり気は進まないが、ここは素直に明日香に頼る事にする。出会ったばかりで申し訳ないが、それでも真には、明日香に縋る以外に手の打ちようが無かった。


 次第に鮮明になっていく頭の中で状況を整理して、上体を起こす。ここは、客室だろうか。広めの和室で、出入り口らしい襖と、反対側には雪見障子が縁側とこの部屋とを区切っている。小さな机等も用意してあり、気分的には小さな旅館に素泊まりしているような感覚になる。そして、この部屋には布団が二枚敷いてある。一つは真が使っている物。もう一つはその布団の横にあり、そこには瑠奈が、昨日最後に見たままの表情で眠っていた。

 瑠奈の顔を見た途端、真の心にズキンと痛みが走った。まだ目が覚めないのか、…それとも、もう目が覚めないのか。そんな縁起でもない考えが一瞬頭を過るが、瞬間に横に首を振ってその下らない妄想を振り払う。ここで弱気になってどうするんだ。とにかくまずは現状を把握して、情報を手に入れない事には始まらない。

 すぐさま心を強く持ち直し、布団から立ち上がる。この建物は、外観から言ってもそこまで広くはなさそうだったし、家の中にいるのなら、明日香もすぐに見つかるだろう。

 そう思い襖の方へ向き直り歩き出した途端、まるで真の意思を察知したかのように、何もしていないままに襖が開いた。

 「…あ、おはよう。起きてたんだね、真。体調はどう?もう大丈夫そうかな?」

 開いた襖の向こうには、明日香が立っていた。…まぁ襖は自動ドアじゃないし、開いた先に誰かがいるのは当たり前なんだが。

 「あぁ、おはよう。お陰で少しは落ち着いたよ。ありがとな。それと…迷惑かけて、ごめん。」

 「そんな、謝る事なんて何にもないじゃないか。それに、別に迷惑だなんて思ってないしさ。…さ、もう朝ご飯の準備も出来てるから、早く食べに行こう。お腹が減ったままじゃ、気が滅入っちゃうでしょ?」

 言われると、急に空腹感が襲ってくるのだから不思議なものだ。こんな状況になっても体は正直、もうほぼ平常運転だ。それにしても、泊めてくれただけじゃなくてご飯まで用意してくれたのか…。本当に、感謝してもしきれない。 

 「ありがとう。それしか言葉が見つからないよ。本当に、ありがとう。」

 「うん、どういたしまして。ほら、冷めないうちにご飯を済ませちゃおう。」

 真の不安や焦りを和らげるように暖かな笑顔を浮かべながら、明日香は真を居間まで案内し始めた。


居間に入ると、既にテーブルには朝食が並んでいた。まるでドラマや映画に出てくるような、絵に描いたような和食の品々は、何となくだが想像していた通りのものだった。

 「ささ、遠慮しないで、じゃんじゃん食べちゃってよ!」

 言いながら明日香は早速座り、真にも席に着くように促してきた。あまりグズグズするのも悪いので、促されるままに明日香の向かい側に座る。

 「それじゃ、いただきます。」

 「うん、どうぞ召し上がれ。」

 …美味しい。一口食べてみて、正直驚いた。まず見た目からして美味しそうだったが、どれを取ってもお店で出てきてもおかしくないほどの出来だ。そう素直な感想を言って褒めると、明日香は「そうかな?そう言われると嬉しいけど、何か恥ずかしいな。」と照れくさそうにお椀で少し顔を隠し、慌てたように食を進め始めた。

 暫くの間は明日香の料理を堪能していたが、こんな日常的で平和な風景を目の前にすると、相対して昨日の出来事が胸につかえて仕方がなくなってくる。やがて食事も終えて、ちょっと一服と言う頃。

 「さて、体調も大丈夫そうだし、そろそろ昨日の続きを話そうか。真も気になって仕方ないだろうしね。」

 と、明日香は箸を置き、真の目を真っ直ぐに見つめながら口を開いた。


 「昨日話した通り、例の彼女は人々の心を奪っていったんだ。まぁ、理由や手段、元に戻す方法まではさすがに分からないけれど。ただ、彼女の言った言葉から推測するに、神族、つまりは神やそれに近い存在、或いは神に匹敵する何かしらの能力や魔力を持った者も入るのかな?そんな者達からは心を奪っていない、もしくは奪えないみたいだね。」

 つらつらと言葉を紡いでいく明日香だが、対する真はすんなりとは理解する事が出来なかった。あまりにも突拍子もなさすぎて、脳内には『?』しか浮かんで来ない。

 「…ごめん、ちょっと色々飛ばしすぎたかな?えっと、じゃあまずは彼女について分かってる事を教えるね。またとんでもない事を言うようだけど、彼女は人間じゃない。簡潔に表すなら、そう、『神様』なんだ。」

「…『神様』だと?あの機械女が?」

「あくまでも簡潔に表すなら、だよ。分かりやすく説明するのもなかなか難しいんだけど、ようは神話に登場するような、神格化されたモノ。それらが、多数の人間の共通意識によって概念から存在を確立し、実体を得たって感じかな。そして、数多存在する彼らの総称が『神族』。どうかな、分かった?」

「…すまん、前半は多少理解出来たつもりだけど、後半、共通意識…とか言ったか?その辺はさっぱりだ…。」

 「はは、まぁそこは神族の成り立ちとか、世界の仕組み、みたいな所だからね。分からなくても特に問題は無いけど…。」

 明日香によればそこまで重要な事でも無いらしいが、何も知らない真にとってはどんなに些細な、面倒な事でも大事な情報だ。まずは第一歩、少しでも多くの事を知りたい。その旨を伝えると、明日香は少し考えながら説明を続けてくれた。

 「そうだなぁ、例を出すなら、シュレディンガーの猫、あれが一番イメージしやすいかな?例えどんな外的要因を加えようとも、箱の中身は開けて見てみるまで分からない。箱の中では確実に何かが起こっているけれど、第三者の目がなければ立証出来ない。つまり、世界とは観測者ありきなんだ。観測者がそれを事実と認識して受け入れれば、どんなに滅茶苦茶な現象でも起こり得るし、観測者がいなければ、世界そのものすら、簡単にその存在を虚無に飲み込まれる。彼らはその因果を逆に利用するような形で、自身の存在を確固たるものにしたんだ。」

 ここで明日香は一度口を閉じ、お茶で喉を潤した。真に整理するための時間をくれているのか、話す内容を分かりやすいように噛み砕いてくれているのか。或いは、その両方かもしれない。

 「彼らは、確かに元々は人間が作り出した神話や伝承、言ってしまえばお伽話の中の妄想でしかなかったんだ。けれど、彼らの外見や性格などの根幹を成す様々なエピソードに対して、偶然、世界中の人間が観測者としての役割を持ち始めたんだ。それによって、観測者の思い描く現象が逆流して箱の中で実現、つまり、人々の共通の意識が集合して神を顕現させた…ってところかな?」

 分かったような、分からないような…。ただ、何となくは掴めた気がしなくもない。同じように説明しろと言われても無理だろうが、真の頭も感覚的には理解し始めていた。

 「なるほど…。あの機械女や神族なんかの基本的な所については、大まかには分かった気がする。そこについては一旦整理してから、また後で確認させて貰ってもいいか?まだ他にも疑問があるんだ。そっちについても教えて欲しいんだけど…。」


 そう、全く変わらなすぎて、ここに気が付くのに少し時間がかかってしまった。そう、という事だ。それに、明日香。明日香もごく普通に真と会話をしているが、これも本来ならあり得ない事なんじゃないのか?

 「うん、やっぱりそこが気になるよね。でも答えは至ってシンプルだよ。ようはボクも真も、同じ『神族』ってだけの事さ。」

 真の問いかけに、さも当たり前のようにさらっと答えた明日香だが、返ってきたのはこれまた予想の斜め上を行く解答だった。

 「…何だって?俺達が、『神族』?いやいや、何かの冗談だろ?…明日香については分からないけど、少なくとも俺は普通の人間のはずだ。」

 そうだ、俺は神でもなければ英雄でもない。生まれてこのかた至極平凡に生きてきた一般市民が、そんなファンタジーな存在な訳が無いじゃないか。真はごく当たり前に明日香に反論した。

 「冗談なんかじゃないさ。信じられないのも無理はないけど、本当の事だよ。…ただ、真に関しては、多分つい昨日までは普通の人間だったんだと思うよ。」

 「…?それ、どういう事だ?」

 「言葉通りの意味だよ。真は、昨日まではごく普通の人間だった。だけど昨日、より正確に言えば昨晩、同じ神族であるボクと出会ってからだね。その時に、真の中の神族としての部分…神性が覚醒したんだ。」

 それじゃあ、あの時明日香と出会ってなかったら、俺も瑠奈と同じように心を奪われていた…って事か?それに、何で俺が…?話を聞きながら、真の頭の中を更なる疑問が駆け巡る。

 「神話の中には、たまに下界に追放された…みたいな話があるでしょ?それに、詳細が不鮮明なままのお話も少なくなかったりする。全部が全部って訳じゃないけど、そういった神様の中には人間の世界に溶け込んだ者もいるんだ。そして、その子孫達は、その血の中に神族としての力を眠らせている。同じ神族に会ったり、命の危機を感じたり、何かを猛烈に憎んだり、愛したり。覚醒するきっかけは人それぞれだけど、ただきっかけが無いから何事もないだけで、世界中にそんな可能性を持った人間は結構たくさんいるんだよ。」

 「…つまり、異変が起こる前に、たまたま同じ神族の明日香と出会って、俺は神族として覚醒した、と。そのお陰で、今も普通に活動出来てるんだな?」

 明日香は真の確認にうん、と頷いて返す。相手の肝心な部分はまだ不透明だが、こちらの状況はある程度は理解出来た。それだけでも一歩前進だろう。

 「とりあえず、聞きたい事は聞けたかな?」

 言いながら、明日香は俺にお茶を注いでくれた。

 「あぁ、パッと思い付く限りは…っと、そうだ、俺も明日香も神族なんだよな?もしかして、結構有名な神様に関係してたりするのか?」

 あまり変に思い空気の中に居続けるのも得意ではない真は、ふと思い立った事を口に出してみた。真面目に、しかし少しは砕けた空気になるか、程度の気持ちで。

 「ん~、自分で言うのもなんだけど、ボクは結構有名…かな?真に流れてるのは、どうも一人の神性だけじゃないみたい。複数の神族の力が混じってる感じがするんだ。感じ取れる魔力の感じや性質が割と複雑でややこしい事になっちゃってる上に、覚醒したばかりで神性そのものが不安定でハッキリしないから、詳しくは分からないけれど。」

 特に深く考えずに聞いたのだが、それを聞いた時の明日香は、刹那、少し困ったような、バツが悪そうな顔をした気がした。…けど、それは本当に一瞬で、今ではついさっきまでと変わらない顔だ。ただの勘違いだったのか。それとも…。

 …と、これ以上質問攻めするのも明日香に申し訳ない気がするし、真の方も、そろそろ頭が追いついていける自信が無くなってきていた。明日香も少し喋り疲れたのか、お茶を飲みながら一息ついている。

 どこか遠くから聞こえてくる水の細流せせらぎ、小鳥の囀り、木の葉を揺らす風の音。暫しの沈黙、しかし不思議と居心地のいい静寂の中。真は明日香の話を脳内で何度も反芻しながら、ふと窓の外に目を向ける。気持ちがいいくらいに晴れ渡った青空が、木々を透かして広がっている。


 「…また動いたみたいだね。真、気をつけて。どうやら奴らが来るみたいだ。ボクは少し外の様子を見てくる。」

 突然呟いたかと思うと、明日香は素早く立ち上がり、玄関へと歩き始めた。いきなりで不意を突かれたが、すぐに明日香の言葉の意味を理解する。今の今まで見つめていた青空は、ほんの少し目を離した隙に血溜りのような赤に変わり、まるで差し込む夕日のように部屋の中まで侵食し始めていた。この色は、間違いない。あの機械女が発していた、あの光だ。人の心の奥に土足で勝手に入り込んで来るような、吐き気すら催すほどの、気味の悪いあの赤だ。

 「待ってくれ、明日香!俺も一緒に行かせてくれ!」

 頭に過ぎったのは、昨日の瑠奈の涙と、無力な自分。昨日と同じようにまた何も出来ないかもしれないが、自分一人だけここで待っているなんてまっぴらだった。悪足掻きだろうが足手纏いだろうが、瑠奈の為に何かをしてやりたい。いや、しなきゃいけないんだ。してやれなきゃダメなんだ。不安や恐怖に震える心をなんとか奮い立たせながら、真は急いで先を行く明日香の背中を追いかけた。

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