第2話

 瑠奈と夏祭りへ行く約束をしてからその日までは、長いようでいてあっという間の一週間だった。その間に学校では無事に終業式が行われ、全生徒待望の夏休みが、ついに始まっていた。

 因みに今日はその約束の日であり、現在時刻は16時前。瑠奈とは一度真の家に集合してから一緒に行く事にしている。高原神社までは大体バスで20~30分くらい。バスの待ち時間や徒歩での移動時間等も考慮しても、少し早めに神社に着く計算。早い時間から目一杯楽しもうという、実に瑠奈らしい計画だ。

 瑠奈は昔から約束の時間はきっちり守るタイプなので、少し早めに準備を終わらせているはずだ。きっともうじき来る頃だろう。真がそう思った矢先に、インターホンの音が一階から聞こえてきた。予感的中。真は財布と携帯をポケットに突っ込んで部屋を出る。リズム良く階段を駆け降り、念の為にインターホンのカメラに映し出される映像を確認する。訪問者が瑠奈である事をチラッと確認してから、なるべく待たせないように急ぎ目に玄関に向かい、扉を開けた。

 「やっほー、お待たせっ。今日は浴衣着てみたんだけど、どう?似合うかな?」

 そこには少し上品な、黒地に赤、白、淡いピンクなど、色とりどりな花の柄があしらわれた浴衣を着た瑠奈が、落ち着き無くもじもじしながら立っていた。いつもとガラッと雰囲気が変わって、可愛くもあり、色っぽくもあり。初々しくも妖艶で。そんな瑠奈の姿が、数多ある賛美の言葉なんて使い物にならない程に、真にはただただとても魅力的に映った。

 「うん、すごく似合ってるよ。浴衣ってだけで随分変わるもんなんだな。」

 素直な感想を簡潔に伝えると、瑠奈は一抹の不安が消えたのか、普段通りの元気な素振りに元通り

 「ホント?良かった~。あたし浴衣とか初めてだからさ、色々と心配だったんだよね。よ~し、じゃあ早速出発しますか!」と、意気揚々とバス停へ向かって歩き始めた。

 普段あまり使わないバスに乗り込み、丁度よく空いていた二人掛けの座席に座る。窓側で流れていく景色を眺めながら、瑠奈はもう楽しみで待ちきれないのだろう。この後行きたい露店の候補をあれやこれやと挙げ始めた。

 「たこ焼きは食べたいよね…。あ、お好み焼きもいいなぁ。焼きそばも捨てがたいし…。最近はケバブとかチキンステーキもあるよね。むむむ、決めきれないっ…!」

 「確かに、縁日の露店って何故か全部そそられるんだよなぁ。考えても決まらないなら、行き当たりばったりでいいんじゃないか?つーか、食いもんばっかりなんだな…。」


 結局は決まらないと分かっている問答を繰り返す内に、バスはいつの間にか目的の停留所に着いていた。停留所から神社の境内までは目と鼻の先で、もうすでに大勢の人々が思い思いに祭りを楽しんでいた。色鮮やかな提灯の列、はしゃぐ子供達に、どこからともなく聞こえる祭囃子。何となく懐かしさを覚える夏の風物詩を目の前に、真は柄にもなく心が高揚していた。

 「へぇ、かなり大規模な祭りなんだな。敷地内全部こんな感じなのか?」

 ここ高原神社は、神社としてはかなり大きな部類で、境内の入り口から拝殿までの大きい道で1km弱はあるんじゃないかと疑う程の長さ。さらに脇道へ入れば末社、さらには整然と整備された庭やら資料館やらもあり、もはや一種のテーマパークのようになっている。そのほとんどの場所に露店があるとすれば、相当に盛大な祭りなんだろう。

 「わ~、すっっっごいね!真、早く行こうよ!!」

 真は答える暇もなくテンションが最高潮に達した瑠奈に手を引かれ、人の波の中へと飛び込んでいく。

 「おいおい、嬉しいのは分かるけど、あんまりはしゃぎすぎるなよ?人が多いからゆっくり歩かないと危ないしさ。」

 「へへ、ごめんごめん。ちょっと舞い上がっちゃって。っと、早速あそこにおいしそうなたこ焼きちゃんが…。」

 瑠奈が無意識に引いた手を、真は出来るだけ優しく、けれどしっかりと握り返し、牛の歩みのような速度で境内を回り始めた。

 瑠奈が食べたがっていたものを一個ずつ買って半分こしたり、射的やくじ引き、輪投げなどのゲームも楽しんだ。くだらない話で大笑いし、露店のおもちゃで幼稚に遊んだり。こんなに楽しくてはしゃいだのは、真も瑠奈も久しぶりの事だった。


 露店を一通り回った頃、「せっかく来たんだから神社を散策しようよ!」と瑠奈が突然の思いつきを口にした。確かにあまり来る機会がない所だし、神社仏閣には不思議と人を惹きつける何かがある。歴史や情景に心を擽られるのだろうか?何にしてもこの神社に多少なり惹かれていた真は、その提案を快諾した。

 「といっても、もうほとんどは人で埋め尽くされてるし、ゆっくり見られそうなのは拝殿くらいしか無いだろうな。」

 拝殿は長い階段を登りきった所にある。わざわざそこまで行く人はそんなにいないだろうし、露店も出ているイメージは無かった。

 「そうだねぇ。まぁとりあえずその拝殿まで行ってみよー!人が少なかったら休憩出来そうだしね~。」

 きっと皆同じだろうが、楽しい時間というのは、無情にもあっという間に過ぎ去っていく。ここには夕方、陽が沈む前に来たというのに、気が付けば辺りは濃紺に沈んでいた。見上げれば綺麗な三日月と、いくつかの星々が瞬いている。今まで生きてきた中で、今日ほど相対性理論を恨めしく思った事は無かった。それほどに大切だと思える時間を、ついさっきまで、そして今この瞬間も過ごしている。横にいる瑠奈の小さな手の暖かさと、終わりが近付いている寂しさに心を揺さぶられながら、今宵のひとときを記憶に刻みつけるように階段を踏みしめ、登っていく。


 少し息を切らしながら階段を登り切ると、まず真っ先に目に飛び込んでくるのは立派な拝殿。壮大にして厳格、どこか威圧感すら感じさせる、確かな存在感だ。右手にはどこの神社にもあるであろう清めの為の手水舎。

 拝殿の前で道が十字に分かれており、向かって右手には休憩所だろうか、屋根の下にベンチが設置されていて、奥には手洗いもあるようだ。左手には社務所があり、さらに拝殿の横まで道が伸びている。

 「やっぱりあんまり人はいないし、露店も無いな。丁度ベンチがあるみたいだし、少し休もうぜ。」

 「そだね。歩きっぱなしな上に下駄だから、ちょっと足痛くなってきちゃったよ。」

 気持ちが高揚し過ぎて麻痺していたのか、ベンチに腰掛けた途端に体の、特に足の重さを感じる。流石にずっと歩き続けて、体の方は疲れていたようだった。瑠奈も座り、足を軽くマッサージするようにさすっている。


 お互い取り立てて話題が出てこなくて、しばらくは二人で静かに、優しい夜風に吹かれていた。少し遠くから聞こえてくる祭囃子をBGMに、空にぽっかりと浮いた月を見上げる。凍るように白く冷たい光が、いつもより煌々と照っていた。

 「今日は楽しかったね。真と来れてホントに良かったよ。」

 そんな事を呟きながら、瑠奈は足をパタパタさせて、誠と同じ空を眺めていた。

 「あぁ。俺も楽しかった。時間が一瞬で過ぎちゃったみたいだ。…今日が終わるのが嫌だって、割と本気で思ってる。」

 月を見つめながら答える真。瑠奈がこちらに振り向いたが、何だか恥ずかしくてまともに顔を向けられなかった。瑠奈も視線を少し下げているようで、お互い直視するのを避けてしまう。

 「…そういえば、明日もお祭りやるみたいなんだけど、また来ちゃう?…なんて。」

 瑠奈はどこか淡い期待を込めて、しかしそれを悪戯っぽい笑みに隠して話しかける。

 「あぁ、確か土日の2日間やるんだっけ。それはそれでいいかもな。どうせやること無いし。」

 正直な所、真はもっと長い時間、瑠奈と一緒にいたいと思っていた。その機会があるのなら、多少無理があっても利用しない手は無かった。夏の暑さや恋の熱に浮かされているならそれでもいい。今は、少しでも長く瑠奈と一緒にいる理由が欲しかった。

 「…じゃあ、明日も来る?」

 この時の瑠奈の声はいつもと違い控え目で、少し不安そうだった。…これは卑怯だ。瑠奈と目が合った途端、心臓の鼓動が耳障りなくらいに大きくなった。真はその瞬間から、平静を装うのでいっぱいいっぱいになってしまう。

 「…俺は全然問題ないぜ。瑠奈がいいならまた来よう。」

 なるべく普通に聞こえるように返す。すると、きっと瑠奈もこの空気がらしくないと思っていたのだろう。

 「…よし、んじゃけってーい!今日行けなかったお店も制覇しちゃうぞっ!」

 さっきまでのムードはどこへやら、急にいつも通りの明るい瑠奈に戻った。そして不意に立ち上がり、

 「…ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね。時間かかるかもだから、待っててくれる?」と言って、そそくさと奥の手洗いに向かっていった。

 

 途端に、真の中で身を潜めていた熱さがここぞとばかりに溢れ出す。夏の気温だけが原因ではないであろうこの熱を冷ます為、同時に気持ちを落ち着かせる為、真は少し歩くことにした。瑠奈にはぶらついてるから済んだら連絡するか、なんとなく拝殿の奥に行くつもりだったので、その辺りにいるから直接来てくれるようにとメールをし、席を立つ。

 なるべく何も考えないように意識しながら、拝殿の前を通り過ぎ、そのまま拝殿をぐるっと回り込むように進む。道の奥には大きな木が立っており、更に建物が2、3軒見える。いつもより歩幅を大き目に、遊びながら歩いていく。砂利道の小気味良い音を響かせながら、正面に見えていた大きな木の前まで来た。下から見上げると、その大きさを改めて実感する。

 恐らくはこの神社の御神木なのだろう。そんな風に思って気を見上げていると、何処かから幽かに水の音が聞こえてきた。耳を澄ませて音の出所を探り、視線をその音の方向へ向ける。丁度本殿の裏側に当たる場所だ。そこには小さな川の様に水が流れていた。よく手入れされているのだろう、苔一つ無い石の間で、澄み切った、とても美しい水が僅かな月明かりを反射している。


 今の気持ちを落ち着かせるにはぴったりな、まるで心が洗われるかのような透明な水面を見つめていると、ふと背後に人の気配を感じた。瑠奈が来たのかと思い振り返っみると、そこには見知らぬ一人の女の子が立っていた。晴れ渡る青空のように清々しい水色の髪を腰の辺りまで伸ばした、巫女服のような格好の子だ。見た感じだと年齢は真の2~3才下、いっても同い年くらいだろう。何と言っても一番も特徴は、怪我か何かしているのか、右目を隠している大仰な包帯。この日常に不釣り合いなその存在にどうしても目がいってしまう。

 少女は真の視線に全く動じる事無く、ただじっと、真を見つめ返すだけ。薄暗くてハッキリとは見えないが、その表情は、微笑んでいながらもどこか寂しそうな、悲しげな雰囲気だ。少女はしばらく無言で真を見つめていたが、やがて喜びや悲しみが入り混じったかのような複雑な声色で、真に声をかけた。

 「…こんばんは。今夜は、綺麗な三日月だね。」

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