Silent Voice –神の声- 

嶋田覚蔵

第1話 心のメッセージ


 一


 文江さんへ。

今まで誰にも話したことがない、僕の真実を語ろうと思う。君にとっては荒唐無稽な話と思えるかもしれない。馬鹿げた与太話と感じられるかもしれない。だけど、これはすべて僕が実際に経験したことなのだ。今ここでこれから語られることは、それが信じられるか信じられないかは別として、とても深い意味のある話だと思う。つたない語り口ではあるけれども、どうか根気よく聞いてほしいと思う。


あれは、高校の合格発表の日のことだった。いつもより早く、たぶん朝の5時半頃だったと思うけど、目が覚めた僕は今朝の天気を確認しようとカーテンを開けて窓の外を見た。

高校の合格発表の朝だから、3月の上旬のことだったろう。外はまだ暗く、景色のほとんどは雪に隠れて、空まで気が重くなりそうな灰色で埋め尽くされていた。緊張感からくる重たい気持ちに押しつぶされそうになりながら、僕は詰襟の学生服に着替えると、階下の居間に降りた。

今思い出しても、あの時の重圧感はすごかった。僕が受験したのは県内でも有数の進学校で、人気も高く、受験倍率が1.5倍と受験者の三分の一が不合格という難関だった。公立高校の受験は一斉に行われていたので、不合格者は高い入学金と授業料を払わなければならない私立高校に行くか、一年間浪人してまた受験しなおすしかない。それに、高校の受験に関する話題は、小さな田舎町にとっては大きな関心事で、どこの家の誰がどの高校に入ったのかは、受験生を持たない家庭でも話題にのぼる。よく知らない家庭の誰かに勝手に気の毒に思われたり、馬鹿にされたりするのは癪に障る。何度か受けた模擬試験では、十分合格できる学力があると判定されてはいたけれど、緊張しないわけがない。

それで、居間に下りてみると障子越しに明かりが点いているのが分かって、開けてみると、それまで見たことがないような、輝いた笑顔で祖母が「合格おめでとう」って言った。僕は面食らったよ。だって合否が発表になるのは、その日の9時以降だったはずだから、まだ3時間も後のことだ。それに僕はこれから1時間半もかけて電車に乗って受験した高校の掲示板に僕の受験番号があるかないか、わざわざ出掛けるつもりだのに。こんなに早く「おめでとう」って言われる理由が分からない。

もしかして中学校には早い時間から合否の連絡が入ることになっていて、何かと注目を浴びている僕の受験に関する重大発表なので、先生が気を利かせて、一番に連絡をくれたのかもしれない。いや、そんなはずはない。まだ早朝の6時なのだ。いくらなんでもそんなに早く連絡してくるものだろうか。僕の頭の中は激しく回転していたけど、明確な答えは思い浮かばない。結局、僕の口をついて出たのは、「何で?」という一言だけだった。

 祖母は一瞬、ほんの一瞬だけ躊躇した後で、

「今朝お灯明をあげたら、火がとても激しく揺らいだんだよ。お姉ちゃんの合格発表の朝も、やっぱりお灯明が今朝みたいに揺れてね。だから間違いなく、お前は合格したんだよ」と言った。

 祖母は毎日朝早く起きると、仏壇と神棚にお茶をあげて仏壇のろうそくに火を灯して、家族の安全を祈願するのが日課だった。今朝もいつもと同じようにお祈りをしたところ、いわゆる吉兆、良いことが起こるきざしがあったというのだ。

 3歳年上の姉は、県内で一番の進学校といわれる女子高の受験に成功している。その合格発表の時と同じことが起きているのなら、祖母が喜ぶのも分からなくもない。

 試しに「その火ってまだ揺れているの」と僕が尋ねると、祖母はうなずきながら、「見てごらん」というように仏壇の方を指さした。

 それで僕はおそるおそる仏壇に近づいてみた。すると確かにお灯明の火が激しく揺れていた。しかも僕の目には、ただ揺れているだけではなく、例えると以前から欲しかったおもちゃをやっと買ってもらった子供が、うれしくてはしゃいでいるという感じで揺らいでいるように見えた。

 ただの火なのにバンザイしたり、コブシを突き上げたり、飛び跳ねたりしているように見えたのだ。目の前で無邪気にはしゃぐろうそくの炎。すこし見とれてしまったその後で、「なぜこの火はこんなに揺れているのだろう」という疑問が湧き出した。

 まだ寒い3月の朝、玄関も窓も締め切っていて、さらに居間の障子も襖も締め切られていて、どこからも風は吹き込んでこない。祖母は誰かが起きてこないとストーブを焚かないので、居間の空気はひんやりしていて、暖房による空気の対流も起きていない。

 なぜだろう、なぜだろう、なぜだろう。少し考えて、僕は笑い出しそうになった。そうだ呼気だ。僕の吐いている空気が炎を揺らしているのに違いない。今日はいつもより緊張しているせいで鼻息がだいぶ激しくて、それで炎が揺れているのだ。僕は手の動きで風が起きて、さらに炎を揺らさないように、そっと右手で口と鼻を覆って再び炎を覗き込んだ。1秒、2秒、3秒…。息を殺して5秒以上待ってみた。それでも炎はお構いなしで揺れている。60過ぎの祖母が僕を思いもつかないようなトリックで、だましているとは思えない。第一、緊張している僕を欺くような祖母でもないし、なんといってもどうせ数時間後には結果が分かることなのだ。あの輝くような笑顔も偽りだとは思えない。

 これは間違いなく、ご先祖様、おそらく僕が3歳の時に亡くなったという曽祖父が、良いことがあると報せてくれているのだと信じざるを得なかった。僕は仏壇に手を合わせ、目を閉じて「報せてくれてどうもありがとうございます。もう十分お気持ちは受け取りましたから、どうかもう休んでください」とお祈りをした。そして再び目を開けると、炎はもう揺れてなかった。

 その後母が起きてきて、僕の朝食の用意をしてくれた。僕は朝ごはんを食べながら、朝の出来事を話そうかと思ったが、結局、母は不気味がるだけだろうと考えて、何も言わなかった。母がいつもよりだいぶ緊張した面持ちだったのも口を開けない理由だった。

 それでも僕は、吉兆のおかげでだいぶ気持ちが軽くなり、明るい気持ちで合格発表の会場に向かうことができた。結果はお告げのとおり合格だった。


 今僕が遺言に従わず、お墓を買い仏壇を部屋に飾ろうとしているのは、実はこんなことがあったからなのだ。今の時代は、ご先祖様を祭るとか、神仏に願うとかそういう気持ちがだいぶ薄れてきているし、亡くなった自分に対する思いを早く断ち切って欲しいという君の願いも理解できない訳じゃない。

 だけど、だけど、だけど。こんなことを経験している僕は、亡くなった人は本当に無くなった訳ではなくて、どこかで見守ってくれていると思っている。亡くなった人に対して、できるだけのことはしてあげたいと考えている。そんな気持ちも分かって欲しい。

 僕はこの一件の他にも、亡くなった人がこの世に残した家族を死んでからも見守っていると信じざるを得ない体験があるんだ。

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Silent Voice –神の声-  嶋田覚蔵 @pukutarou

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