完全一人称殺人事件
嶋田覚蔵
第1話 暗闇の中で…
前書き
これから私は非道いことをする。でも、この本の中で登場する「私」はあなた(読者の方、ひとり一人)で、あなたは「私」だ。どうかあなたの視点で私の行動を見て欲しい。あなたの考え方で私がしたことを判定して欲しい。
果たして私は非道い人間なのかと。果たして私は裁かれなければいけないのかと。
人は生きていかなければならない。生きていくためには時に非道いことをする。これだけが私の主張だ。残りはあなたの判断に任せることにする。
第一章
暗闇の中で私は目覚めた。ここはどこだ? あまりの闇の濃さに自分が今どういう状態にあるのか分からない。目が覚めたばかりで、まだ目が暗さに慣れていない。なぜか平衡感覚も鈍っている。それでも私はヨロヨロと立ち上がる。なぜだろう後頭部がズキズキと激しく痛む。怪我をしているのかと後頭部を撫でてみる。かなり腫れてはいるが、出血はしていないようだ。
幸いすぐそばに壁があった。私は手をついてみた。ひんやりと冷たい。これは鉄だ。
それに規則的に凹凸があり、所々が錆びついている。気がつくと床にも凸凹があり、辺りいっぱい工業的な、錆びた匂いが立ち込めている。それに闇は深いのだが、どこまでも広がっている感じがしない。これはおそらくコンテナの様な箱の中なのだろう。ズキズキする頭で私はそう考えた。
周囲を観察しているうちに、段々暗闇に目が慣れてきた。傍らに人がいる。膝を抱えて座っており、しかもうつむいている。しかし暗闇でも輝く様に白く、艶やかな太ももを露わにしたミニスカートをはいているので、二十歳くらいの女性だろうと私はそう判断した。
「すみません。ここはどこなんでしょうか?」
私は恐る恐る訊いてみた。
「あの世の入口です」なんて答えが返ってこないかと思いながら。
返事がない。しかも顔を上げようともしない。眠っているのかと思い肩を揺すってみようかと思った。
「分からないの」
触られるのを怖れたのか娘は弱々しい、しかも気だるそうな声でやっと口を開いてくれた。そして何かを差し出した。
私の近くに置かれたのはICレコーダーだった。それを受け取る。暗闇の中で再生のスイッチを探し、ボタンを押す。奇妙な声が流れた。
「5人デ殺シ合エ。残リ1人ニナッタラ、箱カラ出ス」
声の主はヘリウムガスでも吸っているのだろうか。金属的な男とも女ともつかない声だった。
私は衝撃で、思わず大きく後ずさる。すると鉄片が靴に当たった。まだフラフラしていた私は思わず転倒した。そして背後にある鉄片は何だろうと見るとそれは柳刃包丁だった。少し間違えば、手か背中か、切ってしまうところだった。しかもさらに辺りを見回すと、あちこちに金槌やコンクリートブロック、手術用のメス。そして金属バットなど、人を殺めるのに使えそうな物が転がっている。
「あなたもじっとしていた方がいいわ。危険だし、それにその時に備えて」
親切心からか、もう私に近づくなという意味なのか、分からないけれど娘がそうアドバイスしてくれた。
「その時…」
そうだ。今はそうでなくても、いつまでもこの箱の中に閉じ込められていたら、いつか極限状態がくる。おそらくその時に始まるのだろう。殺し合いが…。
私も膝を抱え座り込む。そして考える。私がなぜこんな目に遭っているのかと。しかし…。何も思い出せない。何も記憶が浮かばない。この箱に入る直前のことはもちろん。私は何をしている人間なのか。名前も家族の顔も、年齢さえも思い出せない。ここは真っ暗闇で、鏡もなさそうだった。これでは自分で自分の顔を確認することさえできやしない。
「私は誰で、なぜここにいるのか」
そんなこともこの漆黒の闇の中では知る術がない。メモでも持っていないかとポケットを探ってみるが何もない。闇が身体の中まで染み込んでくる気がした。隣にいる娘にいろいろ尋ねてみたかったけれど、こんな状況では訊く気にもなれない。だいたい何から訊けばいいのかも分からない。
「私は誰ですか?」なんて質問は、バカげているのにも程かある。
他にやることが浮かばないので一応お腹の空き具合を確認する。これだけはありがたいことに、満腹とはいわないまでもある程度満ち足りている感じだった。しかしそれも時間の問題だ。それに私がまだ耐えられる状況だったとしても、他の人の誰かが空腹やのどの渇きに耐えられなくなり、自分の生命の危機を感じたら、いつ始まるか分からない。殺し合いが…。
それで他にはどんな人たちがいるのか周りを見渡してみた。もう目は完全に暗闇に慣れている。この暗い箱の中にいるはずの、もしかしたら殺し合うことになるかもしれない、私と娘以外の3人も確認しておきたかったのだ。
1人を見つけた。私から見て隣の娘のその奥にスーツ姿の男性がいる。女性と同じく膝を抱えて座っていた。顔を膝に押しつけているので詳しいことは分からないが、白くなった髪、そして少し禿げあがった頭、ちょっと中年太り気味の体から五十代くらいの人と私は判断した。
女性は私の右手側にいた。左手側も確認しなくては。見てみると、私の近くに二十歳くらいの青年がいた。ジーンズにTシャツ。それに革ジャンを羽織っている。
そしてその奥には老婆がいた。小柄で酷く痩せているのが遠目からも見て取れる。殺し合いなんてことになったら、この老婆が真っ先に殺されてしまうだろうと思われるほど弱々しかった。
しかしなぜ私と、年齢も性別もバラバラなこの4人が、真っ暗な箱の中に押し込められることになったのか? 誰かその経緯を教えてくれないだろうか。ことに寄ればもし殺し合いになった時、私が狙うターゲットを決められるかもしれない。
「最後の人も目覚めたようだ。そこでこのままこうしていても始まらない。5人で話し合いませんか?」
中年が口を開いた。そしてこう続ける。
「まず話し合う前に、お互い名前を名乗りましょう。名前も分からなくちゃ、話し合いもできない」
私はドキリとした。まだ自分の名前すら思い出していないので答えようがない。
「そんなの嫌よ。これから起こることを考えたら相手の名前なんか聞きたくない。私、あなたたちの顔もできるだけ見たくないし、できるだけ何も知りたくないの」
娘が顔を伏せたままこう言った。確かにそうだ。これからここでは殺し合いが始まるかもしれない。その時は、相手のことをできる限り知らない方がいい。話し合って相手に少しでも愛着が湧いたら相手に危害を加えなければならなくなった時、きっと躊躇してしまうだろう。それにもし生き残ることができたとして、殺した相手のことをよく知らないままでいた方が、罪の意識は軽くて済むかもしれない。
しかし…と私は思う。こんなことを言うからには、娘の方はもう殺し合いを始める覚悟ができているということか。
「確かに私たちは死ぬためにここへ来た。けれど楽に死ねるっていうから、痛かったり嫌な思いをしなくてもいいっていうから来たのに、誰かも分からない相手の手のひらで踊らされた挙げ句、サイアクに近い死に方を迫られるなんて。私はこんなの絶対に嫌よ。生きてここから出たい。そしてそれから自分で納得が出来る死に方がしたい。この際ハッキリ言っておくわ。今はもし誰かを傷つけなければならなくなっても、ここから生きて出られるのなら、仕方ないかなって思っている」
娘は激昂しそうになる自分を抑えながら、言葉を選び、こう語った。
「死ぬためにここへ来た」?
私にとっては衝撃的な言葉だった。しかし中年、青年と老婆でさえも誰も何も言葉を挟まなかった。娘の言葉は、他の3人の気持ちを異議が出ない程度には代弁していたようだ。
「それじゃあ、名乗るのは止めにしましょう。では、この箱の中から脱出する方法を皆さんと考えましょう」
中年男性は気を取り直して言った。どうしても平和的に解決したいという熱意が伝わってくる。いゃ、違うかも知れない。今の内はいい人になりすまし、誰かに最初から狙われないようにしているのかもしれない。さらに話し合いの司会役となり、いつの間にやら5人のリーダーシップを握る気かも。そう考えると、もう殺し合う前の駆け引きはスタートしているのだ。心理戦という形で…。
「このままでもいいんじゃないでしょうか。だってここは密封された箱の中なのでしょう。そのうち酸素がなくなって、みんなで酸欠死すれば、私たちの最初の希望通りじゃないですか」
老婆が優しい口調で話した。温和で気品のある声だ。しかしそれにしても死ぬことがみんなの願い通りっていったい何のことだろう。ここにいる私も含めた5人が、最初から死ぬつもりだったということか?
「それはどうかな」
青年が初めて口を開いた。かなり思慮深いタイプのようだ。そしてこう続けた。
「ここにはうっすらとした明るさがある。完全に密閉されているのなら、照明などない箱の中だ。何も見えないだろう。ということは光が通れる隙間がどこかにあるんじゃないかな。光が通れるなら、もちろんそこから空気も入る。おそらく扉が完全に密閉されていなくて、そこからなんだろうと思うけど」
青年は慎重に推論しているようだった。確かに箱の両端の部分が比較的明るくて、箱の中央にいくほど、暗くなっている気がする。
「かなりわずかな隙間だと思うから、どのくらい箱の中と外の空気の交換に役に立つのか分からない。だからもしかしたら窒息死するかもしれない。だけどおそらくその前に、水分が不足してくるんじゃないかな。うろ覚えだけれど、水分を補給しないと、人間は24時間も持たないんじゃなかったかな」
青年はこう言って一層暗い顔になる。やはり争いは避けられないのだろうか。
5人を包む闇が、どんどんどんどん深くなっていく。この暗澹たる闇に私たちはいつのまにか飲み込まれ、自分の意志に反する行為を犯しそうになっていくのを肌身で感じる。
「さっきから気になっていることがあるんだ」
青年は言葉を繋いだ。
「実は、まだ他のみんなが気を失っていた頃、ここから脱出する方法がないかこの箱の中を調べてみたんだ。暗いからほとんど手探りであまり調べられなかったんだけど、片方の扉にナンバー式の鍵が掛かっているのを見つけたんだ。鍵を開けられるナンバーが分かればここから出られるかもしれない」
私は青年の言葉に一筋の希望の光を見た。しかしその直後疑問も湧いた。鍵を見つけたのならすぐに開ける努力をしなかったのだろう。ここにはコンクリート片やハンマーなど、鍵を壊すのに役立ちそうな道具が揃っているというのに。
「そのナンバー式の鍵っていったいどんなタイプなの?」
すかさず娘が訊いた。心なしか彼女の目が輝いて見える。
「それがちょっと厄介なタイプなんだ。いわゆる南京錠なんだけど、6つのダイヤルがついていて、それぞれ0から9までの数字が書いてある。その6つのダイヤルに10種類の数字をある一定の順番に並べれば鍵が開くのさ」
ずいぶん長い説明だ。実際その鍵を見た方が分かりやすいのだろうが、誰も動かない。
鍵は扉に取り付けてある。それを見るには他のメンバーに背中を向けなければならない。それに、暗闇で行動するのは危険だ。床にはいろんな凶器が転がっている。うっかりそれらに足を取られ、転びでもしたら…。どんなことになるか分からない。
「要するに10個の数字の中から1つ選んで、正しい数字を6つ並べれば助かる訳ね。やればできそうじゃない。チャレンジしてみようよ」
こう提案する若い女性は、胸の内でどんどん希望の光が広がっているようだった。目を輝かせて言葉を続ける。
「誰かが代表になって、解錠に挑戦するの。確かにその代表者は他の4人に背を向けることになるから不安かもしれない。でも他の人は絶対に作業している間に、その代表者に手は出さないと誓うの。もし万が一誓いを破ったら、その人を他のみんなで殺しちゃうことにすればいいのよ」
このくらいの年の女性は時に大胆な発言をする。確かに理に適ってはいるが、この状況で「殺しちゃえばいいのよ」はないだろう。
私は彼女のヒステリックな性格と、意外としたたかな部分を肝に銘ずることにした。
「いや、それは無理だよ。10通りの数字から1つ選んで、それを6回繰り返すとしたら全部で10の6乗だから、100万通りの組み合わせができる。そこからたったひと通りの組み合わせを見つけ出すなんて不可能さ。時間が無限にあれば別だけど。それにご丁寧なことに、ここには同じタイプの鍵が3つも掛かっているんだ。それに一応僕も考えてみたんだけど、かなり頑丈な鍵だからハンマーで叩いたくらいじゃ、壊れそうもないし…」
皆さんが考えていることぐらい、とっくに分かっているし、そのことに対してとっくに検討もしているよ。最後の言葉はそう聞こえた。
青年はまだ落ち着いて話しているが、若い女性は落胆した度合いがかなり大きかったようで、今度は青年をにらみつけている。その目は「結局何が言いたいの。私たちの心をもてあそんでいるだけ?」と言いたげだ。
青年は暗くて見えないのか、気が付いてない振りをしているのか。若い女性がにらみつけてもまだ冷静に話を続ける。
「3人で1人1個ずつ鍵を分担して作業すればっていう案もあるだろうけど、いつ殺し合うことになるかもしれない相手と身体をくっ付けて作業するのは無理だ。頃合いを見計らってナイフで刺されるかもしれないし、開錠に関わらない他の2人が共謀して後ろから襲ってくるかもしれない」
すると今まで黙り込んでいた老婆がすすり泣きをしながらつぶやいた。
「私、そんなことしません。そんな人を後ろから襲うなんてこと…」
自分も疑われているのかもしれない。それが悔しいのだろう。老婆は顔を手で覆い、両目からはキラキラと光る大粒の涙が止まらない。
「みんな注意して。この涙は嘘かもしれない。だってこの5人の中で一番弱いのは、このお婆さんだよ。弱い者が身を守るには同情してもらうしかないものね」
いわゆる涙という、女の武器を利用する人間に反感を感じたためか、それとも自分が利用しようとしていた手段を先取りされたためか、娘はイライラしながら指摘した。
確かに彼女の指摘は正しいのかもしれない。しかし娘の今の言葉は、場の雰囲気をさらに悪くしてしまった。殺し合いが始まるのを早めるだけの結果になったとも思える。
しかしそんな私の心配をよそに、娘は厳しい言葉を吐き続ける。今度はすっくと立って青年の方をにらめつけて言った。
「長いご説明ありがとう。でも話が長いだけで結局あれも駄目。これも駄目。何の役にも立たないことばかり。私たちの残り少ない時間を無駄に使っただけじゃない」
娘の怒気をはらんだ声に怯むこともなく、青年は初めてニヤリと笑ってこう返す。
「それがそうでもないんだよ。本題はこれからさ」
私は青年がこれから何を切り出すのか固唾を飲んで見守った。
「実は、この5人の中に僕たちをこの箱の中に閉じ込めた『犯人』がいるって話なんだ」
青年はまだ平然としている。
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