すこしふしぎな短編集

笹山

かたあはれ

 今日六人目の神経端末ナーヴ・ターミナルのバックドアから抜け出た私は、うなじのインプラントジャックから雑にケーブルを引き抜いてクラウドネットワークから切断した。ケーブルの先のサーバマシンのファンが轟音めいて耳に届く。さっきまで見ていた見知らぬ地の光景が徐々にその色彩を失っていき、反対に見慣れた自分の部屋の様子が鮮明に見えてくる。テーブルの上の灰皿ではまだ煙草の煙が上がっていた。

 軽い吐き気を感じた私は低くうなりながら瞼を強く閉じた。他人の記憶を観た後は、自分の体とのギャップについていけなくなって、いつもこうして眩暈や吐き気に襲われる。

 自分の体の感覚に慣れ始めたと思うと、今度は急速な虚脱感に包まれて何にも手をつけられなくなる。煙草の箱に手を伸ばして、もう切らしていたことを思い出した私は、代わりに16枚挿しのメモリハブから六枚のメモリチップを抜き取った。

 チップをジャケットのポケットに入れ、紙ばさみを小脇に抱えて私は家を出た。


 ホルボーンのファーリンドン・ストリートを、チャンスリー・レーンの地下鉄駅のほうまで歩くうちに、倫敦ロンドンの霧がかった夜空からは雨が降り出した。大通りから逸れてグレビル・ストリートに入ると、刺すように眩いネオンサインが出迎えた。

 一世紀前まではモダニズムからポストモダニズムへの過渡期にあった建築物が大窓を並べ、落ち着いた都会の一角をなしていたというこの通りも、今ではそのほとんどに、瞼の裏に焼き付くような極彩色のネオンが熱帯植物のように絡みついている。

 倫敦を発端とした近年のインプラント革命は世界にとって再びの産業革命でもあった。埋め込み型のウェアラブルデバイスの発達と、神経接続の確立によってあらゆる情報が脳と外界との間でのやり取りが可能になった。人間が本来具有する目や耳といった感覚器官や、一部の運動機能の生活上の必要性を大幅に下げたインプラント型神経端末、「ナーヴ・ターミナル」は最小の生活基盤Minimum Infrastructureとも呼ばれる普及率となった。

 こうした技術革命は一部の民衆に対して、数世紀前の小説や映画のジャンルであった『サイバーパンク』を想起させた。かの舞台を彩る、日本の電脳都市千葉市チバ・シティや宇宙船の浮かぶ羅府ロサンゼルスに憧れた人々は、かつて実在したこともない懐かしい街並みを取り戻そうとするかのように、通りを雑多に飾り立て、ネオン管を張り巡らせた。

 その結果がこのけばけばしいストリートだ。大昔の産業革命が吐き出した霧の代わりに、今この都市を覆っているのは、クラッカーたちが撒き散らすクラック用のナノマシンの黒雲だ。あれがナーヴ・ターミナルのジャックに入り込むと、ファイアウォールを立てていない人間は一発で個人情報も資産情報も抜き取られる。


 ホルボーンのあたりは倫敦の中でも特にサイバーパンカーが集まりやすく、通りを歩く人々はみな、思い思いの薄汚い格好をして、首や腕のインプラントをカスタマイズして意味もなく発光させて楽しんでいる。グレビル・ストリートからさらに小路に入るところはそんな人々の出入りが激しい。私も人をかき分けながら、ひときわまぶしくネオン広告が絡みつくその小路へ入る。

 小路の名前は「流血する心臓の庭」ブリーディング・ハート・ヤードという。名前の通り、道というよりも建物に囲まれたT字の庭程度の広さだ。その狭い庭の中では足の置き場もないほどに蚤の市の出店と、座り込んだ売り手、せわしなく歩き回る買い手が占めている。このヤードは主に電子機器を扱う区画で、私もその一角に小さな露店を置いている。露店と言っても穴の開いたタープの下にテーブルと椅子を置いただけのスペースで、ただひとつ、テーブルの上に、通りの名前にちなんだ割れたハートの意匠と、「思い出売ります」の宣伝文句をネオンサインで描いた看板だけが、私の露店だということを声小さく主張している。ジャケットから取り出したチップをそのテーブルに置くと、すぐに買い手が集まってきた。

 「思い出売ります」というのも、二百年前のとあるSF小説のタイトルから取った宣伝文句だが、その文句に偽りはない。私が売るのは他人の記憶、思い出だ。クラウドに接続している不特定多数のネットワークユーザーを無作為にクラックしてかすめ取った記憶をこうしてチップとして売っている。

 他人の記憶が売り物になるものかとよく言われるが、意外に買い手は多いし、お得意様もついている。あいにく、あの小説のように買った人間に記憶を埋め込むとか高度なことはできないが、見知らぬ他人の思い出を主観的に追体験することはできる。それにどんな価値を見出すかは人それぞれだ。


 六枚のチップは三十分も経たずに売り切れた。紙ばさみから取ったメモ用紙にその日の売り上げを書き記した。これであと一週間は何もしなくても食っていける。

 ブリーディング・ハート・ヤードを後にした私は家に帰ると、またすぐにケーブルをナーヴ・ターミナルに繋いだ。目の前に現れるホロ・コンソールにレコン・キーボードでコマンドを入力し、手ごろなクラックの対象を探し始める。リスト化された無数の個人情報を眺めながら、私は重い溜息をついた。

 思い出の価値がどれほどのものか、私にはわからない。

 それが、他人の思い出を数えきれないほど盗み見てきて感覚が麻痺したからなのか、それとも私自身の思い出がなにもないからなのかは分からない。

 私にはある日を境に記憶がない。気づいたときにはこの倫敦の路地に突っ立っていた。まるで突然大人の姿でこの世に生まれてきたみたいなのに、言葉もナーヴ・ターミナルも使い方は分かっているのだからおかしな感じがしたものだった。その瞬間の驚きや嘆かわしさや言い表しようのない疼きを表そうにも、赤子のように泣きわめくこともできず、なんとか言葉にしようとしてそれができないのだからもどかしかった。

 と、個人情報リストのスクロールが止まっているのに気づいて私は思わず首を振った。思考で入力するレコン・キーボードを扱っている時に上の空では何も進まない。

 食っていくだけの金を稼いでも、私は思い出収集をやめられない。毎日大半の時間はホロ・コンソールを眺めながら過ごした。毎日数十人の頭を覗き見た。どこかに自分の痕跡を探して。誰かの記憶に自分の姿を探して。


 数人の思い出を追体験した私は激しい眩暈を感じて急いでネットワークを切断した。煙草に火をつけながら私は目を強く閉じる。他人の記憶を見るということはその人の身体的特徴を主観的に感じることでもある。性差や身長、体重、対象の体癖などをそのままに体験することになるので、対象との身体的特徴の差が大きいほど違和感が強くなる。顕著なのが視力の違いによる違和感で、酷いときには酔って吐くこともある。

 次の記憶で今日は最後にしよう。私は再びネットワークに接続し、適当に選んだ人間のナーヴ・ターミナルに入り込んだ。


 そこはどこかの家の庭のようだった。イギリスの田舎風に色とりどりの花々や高さの違う草木が入り交じり、明るい色のレンガの小路が弧を描いて、白い小さなポーチのある裏口と、裏通りに面した鉄製の格子戸とを繋いでいる。庭の真ん中にはパラソルを立てた鉄製のテーブルと二脚の椅子が置かれている。その脇で白いワンピースにオリーブ色のシャツを羽織った女性が、こちらに背を向けて、散水用のホースで草木に水を撒いていた。顔は見えない。西の空は赤く染まり、夕陽の暖かいオレンジ色の光は湿気をはらんだ庭の空気に溶け込んで、その中で花々がマーブル模様のように瑞々しく色づいている。

 私は――思い出の主は――、背伸びをしながら大きく息を吸って、パラソルの下の椅子に腰かけた。視界の端に映った自分の足は低いヒールサンダルを履いている。パラソルの影に入ると肌寒い。ここがイギリスだとすれば、庭にバラやラベンダーが咲いていることから夏だろうか。だが倫敦の夏よりかはずっと涼しいから、スコットランドのほうだろう。

 思い出というには鮮明な記憶だった。まだ風化していない、ここ数年の記憶だろう。

 水を撒いていた女性がこちらに振り返る。夕陽の逆光の中で、どこかで見たような口元が何かを口にする。その声を聴きとれなかった私は、聞き返すように身を乗り出す。

 女性がこちらに近づいてくる。逆光の影が薄くなり、その顔が判別できるかと思った矢先に、そこでその記憶は途絶えた。


 強制的に自分のホロ・コンソールの画面に戻された私は思わずため息をついた。おそらく向こうがネットワークから切断したのだろう。こうなればもう私からできることはない。吸いさしの煙草をふかしながらまた自分の体の感覚を取り戻そうとする。

 そして気づく。今までになかった違和感が私を包む。いや、違和感ならいつものことだ。他人の思い出から帰ってきたときの違和感。それが今の私に襲い掛かるはずなのだ。それとは違う違和感。あの違和感がないという違和感。

 そうだ、あの人の感覚と私の感覚にほとんどギャップがなかったのだ。視力の違いも、伸ばした手の距離感も、体重や口の中の歯の位置も、まるで私自身の記憶を観たかのように、今の私には自然すぎる思い出だった。

 初めての感覚に戸惑いながら、私はレコン・キーボードを叩きはじめた。非同期でダウンロードしていた個人情報を読み込む。アクセスログを見るとやはりスコットランド、エディンバラから少し離れた田舎町だ。

 ナーヴ・ターミナルのローカルストレージにデータを保存した私は、アパートメントの共有ガレージからボロのオフロード車を出した。日は暮れていた。


 自動運転に任せて私は腕組みをしながら考える。思えばこの時のために、私は幾人もの思い出を盗み見てきた。誰かの記憶の中に私がいれば、きっとその人は私のことを知っている。思い出を持たない私の代わりに、私のことを記憶してくれている人がいる。そんな人を私はずっと探していた。

 だが、この時が思わぬ形で訪れたことに、私はまだ動揺していた。今向かっている先にいる人が私のことを知っている確証はない。かと言ってこの巡りあわせを逃す手もない。ただ私と同じ感覚を持っているという点だけが今は手掛かりなのだ。


 仮眠を挟んで走り続け、その町についたのは夜が明けてからだった。

 朝靄の中で、緩やかな湾曲を描いて広がる小麦畑が黄金色に微風になびいている。舗装されていない道を手動で運転しながら、私は窓を開けて大きく息を吸い込んだ。この匂いを覚えている。あの記憶の中で嗅いだ匂いだ。

 麦畑を突っ切った先にはいくつかの家々が好き勝手な間隔で並んでいて、どれも清潔感のある白い屋根をしている。街道の脇に車を停めて、私はあの記憶の庭を探した。まだ朝早い時間だが、どの家からも健康的な朝食の匂いが漂い、この町だけが独自のゆっくりとした時間の中で動いているような不思議な感覚がする。倫敦のナノマシンの黒雲とは違い、真っ白な千切れ雲と、まだ薄青い高い空が見守る様に静かにこの町を包み込んでいる。

 すると、唐突に見覚えのある庭が現れた。一年草と季節の花が植えられたイギリス風の庭の奥に、朝日を照り返す白いパラソルがちらりと見える。忍び込むように静かに格子戸を開けた私は、レンガの小路を一歩一歩、その感触を確かめるように踏みしめた。ドーム状になった木々の間を抜けると視界は急に開けて、こじんまりとしたテーブルと二脚の椅子が並んでいる。どれもこれも、あの記憶の延長線上にあることが明白だった。記憶で見た場所を、現実で見るのは初めてのことだった。どちらも実際に存在するはずなのに、まるで思い出の中のあの庭は現実感がなかったような気がして、不思議に思う。夢の中で見た架空の秘められた庭に立っているような――

 家の裏口が開いた。私は隠れる暇もなく、出てきた女性と対峙した。

 女性は小さく息を吸い込んで、華奢な手で口元を覆った。それから一歩踏み出すと、今度は目を潤ませながら、ゆっくり私のほうへ歩み寄り、そして私の頬を手で包み込むと、私の存在を確かめるように優しく撫でた。

 目の前の女性は私と同じ顔をしていた。

 私はようやく気付いた。あの思い出がこの人のものだということに。そして思い出の中の、あのワンピースの女性が、私自身だったということに。

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