取扱説明書

 私が半年ぶりに実家に帰省すると、お母さんから小さな小包を渡された。

「なにこれ?」私がそう言うと、

「ある人にあんたに渡してほしいって頼まれたのよ」と、お母さんは言った。



 私はキャリーバッグを自室に運び、換気のために窓を開けると、小包を手にベッドに座った。その小包は文庫本くらいの大きさで、綺麗な包装紙に包まれている。丁寧に包装のテープを切り離すと、中からは一冊の、横長をした本が現れた。

 その表紙には『あなたの取扱説明書』と書かれていた。

 てっきり何か不思議なものとか、素敵なものとか、具体的には言えないけれど、ともかくそういう何かだったら、と期待していた私は、少しがっかりした。

 もちろん『あなたの取扱説明書』だなんていうのも、たしかに不思議ではあるけれど、どうせ誰かのいたずらだろう。私はその説明書をベッドの上に放り出して、お風呂に入ることにした。



 お風呂からあがって、晩御飯を食べた私は、だんだんとさっきの説明書が気になって、家族団らんもそこそこに自室に戻った。

 ベッドにうつ伏せになって説明書を手に取り、表紙をじっと見つめる。

 タイトル以外におかしなところはない。いたずらにしては随分と手が込んで製本されているようで、携帯電話とかゲーム機の取扱説明書とも遜色ない出来だ。

 私はまず一ページ目を繰ってみた。目次だった。見ると五十ページ以上ある。こんなに長ったらしく何を書くことがあるのだろう。


 私は次のページをめくる。

『はじめに

 この度は弊社のアンドロイド29-a-sをご購入いただき誠にありがとうございます』

「なんだ、アンドロイドの説明書ってこと?」

 しかし、私の家で使っているアンドロイドとは型番が違う。ということは、いったいどのアンドロイドの説明書であろう?


 私はページをめくる。

『当社のアンドロイドは疑似精神を使用しています。

 また記憶に関しても予め設定が可能です。』


『29-a-cの志向性設定には次のような特徴があります。

 ①強がり…なんでも一人でできると思いがちです。見守りつつ、時には力を貸してあげることで精神的安定が保たれます。

 ②我が儘…なにかとモノをねだる言動が見られます。家庭内の上下関係を維持するためにも適度に拒否しましょう。ただし、過度な拒否は非行に走らせます。29-a-cのためになると考えられるものは必ず与えましょう。

 ③悪戯好き…いろいろな悪戯で困らせることがあるでしょう。自分でやった悪戯を忘れることも多いため、気づいた時点ですぐに注意するようにしましょう。』


『今回お客様にご購入いただいた29-a-cの主な身体的特徴は次の通りです。

 身長―161cm 体重―55kg 性別―女

 疑似消化器官を使用していますので、食事を燃料として補給することが出来ます。

 なお、より細かな設定はp.43をご覧ください』


 ページをめくるたびに私は、自分の鼓動が早まるのを感じた。

 目の前の説明書の文章、文字の一つ一つが、虫眼鏡で見たように形が歪む。

 身体的特徴が、私と同じ――。前もって設定されているという精神的特徴もまるで私と相違ない。まさか、これは――。

「私が、アンドロイド…?」



 自室を飛び出て、居間にいた母のもとまで行くと、私は息を切らしながら言った。

「お母さん、これ、この説明書、誰から、貰ったの?」

「説明書?」

「これよ、これ」

 と、私は母に説明書の表紙を見せる。

「はあ。それさっきの小包に入っていたの?」

「そう。それはともかく、誰から貰ったのよ?」

「誰って、覚えてないの?それなら秘密」

「秘密って、それ知ってるってこと?」

「そうだけど、なによ、怖い顔して」

 私はたしかにお母さんを睨みながら話していたことに気付いて、目をそらす。

 居間のソファでは、小間使いのアンドロイドが洗濯物を畳んでいる。その姿かたちは人間と寸分違わず、瞳には生気すら感じる。

 今まで考えたこともなかったが、私がこのアンドロイドと同じ存在だとしても、気づきようがなかったのだ。自分の説明書を見るなんてことがない限りは、だが。



 不審がるお母さんに、なんでもないと一言だけ言って、私は自室に戻った。

 記憶だって、精神だって作れる今、私がアンドロイドであることもあり得なくはないし、事実アンドロイドを家族の一員として迎える人々もいるのだ。だが、こんな歳になるまでそれを知らされていなかったなんて。いや、そもそも私は歳をとってすら、いないのかもしれない。となれば、私はいつ生まれたのだろう…。


 それからしばらく、落ち着かない気持ちで説明書をめくっていくと、最後のページに、

『カスタマーサポートセンター TEL 020-5464-5645-4』

と記されているのに気がついた。

 カスタマーサポートセンター。つまり私を作ったかもしれない会社の、ということだ。


 私は迷わず電話することにし、腕時計型のデバイスに電話番号を入力した。

 コール音が静かな部屋に響く。しばらくして、プツッっという音とともに、妙な高音のノイズが数秒流れた。故障だろうかと思ったが、次の瞬間には音声が聞こえてきた。

「『ただいま通話中です――』」

 私はそのメッセージを聴きながら思い出していた。

 この電話番号は、私のデバイスのものだ。

 そういえば、ずっと昔、10年くらい前、ある悪戯を思いついた気がする。私の説明書を作って、未来の私を驚かせようというものだ。それでわざわざ、こんな手の込んだ説明書を書いて、お母さんに10年後の私に渡してほしいと頼んだのではなかったか。


 十年前の悪戯に、今になって引っかかるとは。

 私は急に体中の力が抜けた気がしてベッドに倒れ込んだ。

 そういえば、あの説明書にも書いていた。悪戯好きだが、自分のやったことは忘れやすい、と。自分の説明書なのだから簡単に書けたことだろうな、当時の私は。

 すっかり安心しきった私は、そのまま眠りについた。





「大丈夫だったか」

「ええ、大丈夫だったみたいよ。まさかあんな悪戯をしていたとはねえ。メーカーの方で再プログラムしてくれたらしいから、もう安心でしょう」

「再プログラム?メーカーの人がわざわざ来てくれたのか」

「やだわあ、お父さん、今時は電話の電波でもできるんですから」

「なに、そうなのか。細かいことは母さん頼りだから分からんなあ。ともかく、早いうちにあの説明書だとかは処分しないとだな」

「そうねえ。まさか前の帰省であの子に渡されたのが、あんなものだったなんて。メーカーの対応が早いのには助かったけれど、性格の設定にはちょっと文句言いたいわ」

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