抱きからめとるは柔らかな腕

姫宮フィーネ

第1話 触手と遭遇

深夜の帰り道、この時間特有の静けさを楽しみながら歩いていると、目の前に黒いものが落ちていた。

近寄ってみるとそれは生物のようだった。

表面は分厚い皮が覆われているし、なんだか半乾きのようだ。

ハンドバッグからミネラルウォーターを取り出して試しにかけてやる。

ぴくり、と動いた。

「へい」

声をかけてみる。

自分から見て右手の端がぴくりと持ち上がった。

お、言葉が通じるのか、と思ったら、ぱたり、と倒れた。

「……」

次の瞬間、私はそのよくわからない生き物を抱えて家まで走っていた。

幸い、経皮毒などはないらしく、14に行かずに済んだ

とりあえず、水分が必要そうだがどれぐらいつけていいものやら。

風呂場に連れていき、桶にいれたところで、シャワーで少しずつお湯をためていく。

お湯が心地いいのか心なしか形が崩れ始めた。

「湯が十分だったら全身で表せよなー」

無茶ぶりをしたな、と思っている間にそれは水没した

あちゃー、と思っていると、それは動き出した。

筒っぽい体をくねらせて。

たぶん、大丈夫なのだろうが、念のために聞いておく。

「辛かったら体を動かしてみ?」

微動だにしない。

「よい?」

今度は別の動きを見せた。

頭らしき部分を持ち上げ開いて見せたのだ。

「ザクロか」

ところで、目はあるのかね、と湯船に浸かりながら桶に向かって話しかける。

ないよ、と言わんばかりにゆっくりと体を左右に振る。

「ま、この場合は不可抗力よな」

無反応。

頭はよさそうだ。

はて、こんな生き物はいただろうか。

会話が成立する時点でこいつ、相当にできる。

「正体は、まぁ、おいおい聞かせてもらおうかね」

さすがに無理だろう、と思ったら体を半分起こして、さらに縦に動かした。

「マジか」

湯船から身を乗り出して問うと、肯定の動きを見せてきた。

これは、面白くなってきた。

「しかし、水棲生物がなんで陸にいたのかな」

反応しない。

身振り手振りでやるには限界がある内容だ。

「はい」か「いいえ」で答えられるものでなければ難しいだろう。

「君は、人間に対して害がある存在かね」

桶から水があふれるほどに激しい動きを見せる。

「や、悪いことを聞いた」

しかし、水を与えてから随分と元気がよくなった。

「お湯でも大丈夫、水道水も大丈夫、頑丈だなぁ。乾燥には要注意か」

ちゃぷ、ちゃぷと頭(?)を縦に振る音。

「話し相手がいると長風呂しそうだな。のぼせる前に上がらせてもらうよ」

断りを入れて上がる。

ちらっと振り返るとどことなく身を縮めていた。

寂しい、の表現だろうか。

後ろ髪を引かれる思いで風呂場を後にする。

「ふぅむ」

考えてみればいろいろと迂闊だ。

最近感染症を考えるとなかなかの自殺行為だ。

もしかすると、明日あたりに高熱を出すかもしれぬ。

高熱で済めばまだ良くて、全身の穴という穴から触手が噴き出すやもしれぬ。

もしくは、深夜に襲われてホラー展開か、モザイクが必要な方向になるかもしれない。

いや、両方ともモザイクがいるか、それは、などと考えつつ、着替えを済ませる。

「とりあえずは、水槽と餌だな」

熱帯魚用の水槽を捨てずにとっておいたのは好都合だ。

ついでに言えば、水を抜いただけでその場にインテリアとしておいた私は先見性がある。

よくやった、過去の私よ。

水を入れ、ポンプ類と照明の動作確認をする。

準備が整ったところで風呂場から桶の湯ごと水槽にそれを流し込む。

水槽に落ちるとそれは、ゆらゆらと底に沈んでいく、と思いきや、身体をくねらせ泳ぎはじめた。

そして、砂地のなだらかなところに着地した。

「ほぅ」

その声が聞こえたのか、それは得意げに体を反らした。

人間の動きをよく理解しているようで。

「ふむ、いい時間だな。何かリクエストは?」

それは体をゆっくりと左右に振った。

「そうか。では、おやすみ」

どう反応するだろうか、と見ていると、くるっと体を丸めた。

なるほど、それが睡眠の姿勢か。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る