春紅葉の思い出

藤原ピエロ

第1話

 休みの日にはおしゃれして、大好きなあなたと出かけましょう。

 今日行くのは、近所の大きな公園です。旦那が「そろそろ紅葉が綺麗な時期だろう、一緒に見に行かないか」と珍しく誘ってくれたので、お化粧にもちょっと気合いが入ります。バッグに荷物をつめたらさあ完成。玄関へと向かいます。

 玄関ではあなたがすでに待っていました。私はリビングのテーブルの上に出かける趣旨を書いたメモを置いて、外に出ました。

 秋の爽やかな空気を胸いっぱい吸い込むと、空気は秋の味がします。夏はもう終わったのですね。


 今年の夏は大変でした。中学生になった息子の孝明は、難しい時期なのでしょう、避けてくることが多くなりました。お互いにどう接していいかわからず、うまくいかないことにイライラして、喧嘩することもしばしばでした。

 そんな時、旦那はいつも間に入ってくれました。私が落ち込んでいる時は、不慣れな家事の手伝いをしてくれたりもしました。最近はようやっとお互いのちょうど良い距離がわかって、喧嘩もなくなりましたが、ここまでこれたのは旦那のおかげだと私は感謝しています。

 ドアの鍵を閉めると、旦那が無言で右手を差し出してきました。いつもの不器用な優しさに私は思わず微笑んで、その手を握りしめました。


 公園は、真っ赤な紅葉で埋め尽くされていました。空は雲一つない晴天。紅葉狩り日和です。

「綺麗ですねぇ」

思わずありきたりな言葉が出てしまいます。それほどに紅葉は見事でした。

 少し歩いて、ベンチに座って紅葉を眺めます。まだ日もそんなに高くない時間だからでしょうか、公園にはジョギングをしている人と犬の散歩をしている人くらいしかいませんでした。

「静かだなぁ」

旦那がしみじみと言います。ひんやりした空気がその静かさをさらに感じさせます。

「なあ、前にもこの公園に紅葉を見に来たの、覚えてるか?」

不意に旦那が言いました。

「ええ、覚えていますよ。あれは孝明が三歳になった時でしたっけ」

「いいや、もっと前だ」

もっと前? 私はすっとんきょんな声を上げてしまいました。それより前は記憶に全くなかったからです。

「ごめんなさい。覚えていません」

そう言うと、旦那は初めてのデートだよ、と言いました。

「その時も紅葉が真っ赤でな。でも、秋じゃなかった」

そこまで聞いて、ぼんやりと思い出しました。

「春紅葉、でしたっけ」

うろ覚えの言葉を言うと、旦那は嬉しそうに 「そう、春紅葉」と笑いました。

「えっと、春と秋の二回紅葉するんですよね」

「じゃあ、その時お前が言ったことも覚えてるか?」

ゆるゆると首を振ると、旦那は「この紅葉の葉は」と言いました。

「人生で二回も紅葉するなんて、大きな仕事を二回もするようで大変だなって俺は言ったんだ。そしたらお前は、何て言ったと思う?」

思い出せなくて首をかしげる私に、旦那はさらに続けました。

「『そんなことありませんよ。人生で二度も恋が出来るみたいで素敵じゃありませんか』。お前はそう言ったんだ」

それから、ちょっと照れて頭を掻きながら、旦那は言いました。

「これからもよろしくな」

旦那は、顔を紅葉のように真っ赤にしながら笑いました。

「何を言うんですか、それはこちらのセリフですよ」

私も笑いながらそう言って、それから私達はまた紅葉を眺めていました。


 ふと、小走りで歩いている女の人が目に入りました。切羽詰まった顔をして、あたりをきょろきょろ見回しています。

 どうしたのかしら。そうは思いつつも、人様の事情に首を突っ込むものではないので紅葉に目を戻そうとした時でした。

 女の人と目が合ったのです。女の人は私を見て、あっと一言大きな声をだしてからこう言いました。

「お義母さん!」

そう言って駆け寄ってくる女の人。おかあさん? この人は何を言っているのでしょう。私にはまだ中学生の息子しかいませんし、見た感じから四十代の娘など持っているはずもありません。

「どうして一人で出かけたんですか? 危ないでしょう」

しゃがみながら女の人はそう言って、私の手を膝に置きました。

「一人ではありません、隣に夫がいるではありませんか」

私がそう返すと、女の人は悲しそうに「お義父さんが死んでしまったことも忘れてしまったのですね…」と言いました。

「とにかく、帰りましょう。みんなお義母さんがいなくなって探しているんですよ」

そう言って強引に私を立たせました。ここのままでは知らないところに連れていかれると思い、私は言いました。

「私はあなたの母親ではありません」

すると、女の人はさらに傷ついたような顔をした後、一粒の涙をこぼして、言いました。

「私のことなんて忘れてしまっても構いません。お義父さんがいると言っても構いません。でも、あの日あなたが笑顔で抱いた、私の子供、あなたの孫のことだけはどうか忘れないであげて下さい」

そう言って俯く女の人。私は、よくわからないけれど、この女の人が手を引くまま歩いていました。


 休みの日にはおしゃれして、大好きなあなたと出かけましょう。


春は桜を、夏は海を、秋は紅葉を、冬は雪を。春夏秋冬の全てを私は旦那と見てきました。


大好きなあなた。私は呼び掛けます。また、二人で出掛けましょう。


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