断章
Rainy Day(ある雨の日の話。)
朝から降り始めた雨は、昼過ぎには勢いを増していた。
強い雨脚が、拝殿の屋根をばらばらと激しく叩く。
賽銭箱の上に座り込んで、トヨは雨に
昔はこれくらいの雨が降ると、川が溢れる心配をしなければならなかった。
増水した水が町に迫らないように、川の流れがおかしくならない世界を視て、現実に反映させる。
そもそもトヨが神様になった理由がそれなのだから、最優先の仕事だった。
しかし、今はそんな心配はほとんどしなくて良い。
治水工事が発達し、この辺りの河原も綺麗に整えられている。
土手に水が迫ることでさえ、数年に一度あるかないかだ。
余程の事がない限り、トヨの出番は無いに等しい。
「まあ、平和なのが一番なんだけどさ」
最近ではこの辺りでも農業をする家が減ってきた。
時代の流れとはいえ、神様は徐々に必要とされなくなってきているのかもしれない。
そんなことを考えていると、誰かが神社にやって来るのを感じた。
よりによってこんな天気の日に、何処の誰が。
境内に入ってきたのは人間だ。
その気配を察して、トヨは慌てて賽銭箱から飛び降りた。
「リク、どうしたんだい、こんな雨の中」
紺色の傘が揺れて。
「ああ、トヨ」
リクの笑顔が覗いた。
賽銭箱の後ろに、二人は並んで座った。
雨の勢いはさっきよりは弱まったが、まだやむ気配は無い。
しとしとと、冷たい滴が降り続いている。
「ホントに、こんな日になんで神社なんかに来たんだい?」
トヨの質問に、リクは頭を掻いた。
「いや、いつも雨の日とかって、神社には行かないからさ」
「まあ、そうだね」
雨の日は、無理に掃除をしなくて良いとユイにも言ってある。
サキチは見回りの都合上一度は顔を出すが、流石にこんな天気の日は長居をすることはない。
「こういう時、トヨは何をしてるんだろう、って思って」
やれやれ、とトヨは心の中でほっと胸を撫で下ろした。
何か困ったことでも起きたのかと思ったが、そういう事でもないらしい。
小さく息を吐いて。
トヨは軽く肩をすくめてみせた。
「御覧の通り、退屈してるよ」
普段からおみくじを売っているわけでも、お払いの受付をしているわけでもない。
天気が崩れれば、ただでさえ少ない
モノに関して言えば、雨降りの方が活発に動き出すモノたちもいないことはないが。
基本的にこんな日の稲荷神社は、とても静かで。
退屈だ。
「リクも神社なんかに来てないで、もっと他のことをした方がいいよ」
この稲荷神社で雨に濡れていても、良いことなんて何もない。
割と本気で、トヨはそう考えていた。
リクは今、高校生。
青春時代だ。
リクにはもっといるべき場所がある。
人生を楽しんでもらいたい。
人として、生きてもらいたい。
「俺は、トヨと話がしたいかな」
リクの言葉に、トヨはどきっとした。
「え?」
「いや、退屈しているって言うならさ、一緒に話してる方が良いかな、って」
「リク、キミはねぇ・・・」
呆れたように、トヨはため息をついた。
どうしてだろう。
「雨の中、私を
こうやって気にかけてもらえることが、嬉しいと感じる。
「私の退屈しのぎにまでつきあってくれと言うつもりはないよ」
話をしていることが、たまらなく嬉しいと思える。
「確かにリクには色々と助けてもらってることもあるけど」
二人なら、今まで出来なかったことが出来る気がする。
でも。
「私はリクの人生まで縛るつもりはないんだよ」
神様は、わがままを言わない。
神様は願いを叶えるものだから。
「いや・・・俺がトヨと話したいからなんだけど」
トヨは目を閉じた。
胸の奥が痛む。昔、切り離したはずの痛み。
「やれやれ、神様とお話ししたいとか、これはまた
こんなことでも、必要とされるなら。
「まあ、リクがそうしたいと言うのなら、私は構わないよ」
リクの方を向いて、優しく微笑む。
うまく笑えているだろうか。
自分の中を見せないでいられているだろうか。
リクの視る力は強い。
ひょっとしたら、見透かされているかもしれない。
でも。
「さて、何を話そうか」
トヨは、リクの神様でいたかった。
そうでなければ、ならなかった。
夕方近くになって、微かに雨の降りが弱くなった。
暗くなる前に帰るようにと、トヨはリクを稲荷神社から送り出した。
空はまだ雨雲に覆われている。
まだ明日も晴れることは無いだろう。
「私も、まだ晴れることは無い、かな」
ぽつり、とトヨは呟いた。
自分の中で、古い記憶が鎌首をもたげている。
消そうとしても消えない、忘れようとしても忘れられない。
ふぅ、とため息をついて。
トヨは、ふと自分が一人でいることに気が付いた。
ついさっきまでは、隣にリクがいた。
リクと話をして。
笑っていた。
「寂しいなんて、思わなかったのにな」
思わずこぼれ出た言葉に。
トヨは自分で驚いて。
そして、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます