幕間

色んな表情をするようになった。

 トヨの稲荷神社でも、毎年のように夏祭りはおこなわれていた。


 小さな境内に両手で数えられる程度の屋台が並び、提灯ちょうちんが飾られ、祭囃子まつりばやしが鳴り響く。

 普段はあまり人の来ない神社も、この日ばかりは多くの近隣住民たちであふれていた。


 リクも毎年この祭りを訪れてはいたが、今年は今までとはまるで印象が違っていた。


「お祭りって、人間だけじゃないんだな」


 人で賑わう境内は、人以外のモノでも大いに賑わっていた。

 人間と同じように、目に見えないモノたちも祭りを楽しんでいる。

 酒を飲み、歌い、踊り騒ぐ。


 その間を、ユイが忙しく動き回っていた。


「ユイ、大丈夫か?」

「うん、毎年のことだからね。リクは初めてだから驚いたかもしれないけど、いつも大体こんな感じなんだよ」


 はぁ、とユイはため息をついた。


「サキチさんはうるさいのが苦手だって言って、こういう時は手伝ってくれないし」


 ユイが言うには、トヨは近隣でも割と人気の神様なのだそうだ。

 だから、お祭りやお正月になると、こうやって人以外のモノたちがぞろぞろとトヨをもうでにやってくる。


 リクも去年までは小さな神社なのにお祭りだけは賑やかだな、という感想を持っていた。

 見えないモノも人間も、お互いに影響しあい、こうして賑やかな場所を作り出している、ということだった。


 その祭りの主役は、拝殿の前、賽銭箱の上に座り込んですっかり出来上がっていた。

 供物として捧げられたお神酒みきを片っ端から飲んで、見るからに上機嫌だ。


「よーし、もう一本行っちゃうよー!」


 周りで見えないモノたちがはやし立てる。

 リクは呆れて声をかけた。


「トヨ、飲みすぎなんじゃないか?」

「んー、そんなきょうざめするようなことを言うのは・・・リクかー!」


 大声で叫ぶと、賽銭箱の上に仁王立ちする。

 モノたちの視線が一斉にリクの方を向いた。


「ちょうど良いところに来た。まあ、まあ、ちょっとこっちに」


 ひらひらとトヨが手招きする。

 仕方なく、リクはトヨの方に歩いて行った。


 賽銭箱の前に立つと、トヨが仁王立ちのまま見下ろしてくる。

 そして、にやっと笑った。


括目かつもくせよ!」


 トヨはリクの手を掴むと、ぐいっと持ち上げた。

 おおお、というどよめきが生まれる。


 リクは賽銭箱の上に投げ出された。


「今どうやったのかちゃんと見てたか?手を、掴んだのだ。こう、手を!直接!」


 どよめきがさらに広がっていく。


「人の子だぞ」「トヨ様が人と」「人と触れられる?」


 すっかり見世物にされて、リクはゲンナリしてきた。


「トヨ、いい加減に・・・」


 体を起こしたところで、一升瓶が口の中に差し込まれた。


 焼けるように熱い感覚が、咽喉から胃の腑まで流れ落ちる。

 次の瞬間、体の中で何かが爆発したような感じがして。


「あー、トヨちゃんダメだよー」


 ユイの声が、トヨの大きな笑い声でかき消された辺りで。


 リクの意識は無くなった。




 目が覚めた時、まだ遠くで祭囃子が聞こえていた。


 体を起こすと、どうやら拝殿の中だった。

 タオルケットがかけられているところを見ると、ユイがここに寝かせてくれたのだろう。


 どうやらまだそんなに時間は経っていないようだった。


「やあ、目が覚めたね、リク」


 ひょっこりとトヨが顔をのぞかせた。

 先ほどのような悪酔いはしていない様子だが、まだ顔がほんのりと上気している。


「トヨ、流石にあれは酷いんじゃ・・・」


 文句を言おうとしたところに、ラムネの瓶が付き出された。

 水滴の付いた、よく冷えた水色の瓶が二つ。


「こっちなら、いいかな?」


 トヨがにっこりと笑う。

 その笑顔は反則だ、とリクは思った。




 拝殿の裏にある石垣の上に、トヨとリクは並んで座った。


 境内にはまだ沢山の人とモノが溢れている。

 薄暗い裏庭は、まるで忘れ去られたみたいに静かで、祭りの喧騒もどこか遠くの出来事のように聞こえていた。


「いやあ、ごめん、ちょっとはしゃぎすぎちゃった」


 悪びれずもせず、トヨはそう言った。


「ひょっとして、夢に沈めてる?」


 あまりにも辺りが静かすぎる。


「んー、流石にちょっと疲れちゃったし。それに」


 トヨはリクの方を見て、ふふっと笑った。


「リクにちゃんとお詫びしないと」


 トヨの姿が、ぼんやりとした遠くの提灯の明りに照らされている。

 まるで夢の中にいるような、いや、これは実際にトヨの視ている夢の中なのか。


「トヨはファンが多いんだな」

「まあね。いろいろお世話したり、お世話になったり、持ちつ持たれつでやってますから」


 トヨは人間から神様になった関係上、当初は右も左も判らない状態だった。

 色々なモノや他の神様、猫たちに助けてもらい、その恩返しをするようにしてきた結果が、この賑わいということだ。


 遠くで大きな笑い声が聞こえた。

 それに混じって、ユイの声も聞こえた気がする。

 笑い声というよりは、悲鳴に近いものに思えた。


「ユイは苦労しているかなー。ちょっと悪いことしちゃってるなー」


 申し訳なさそうに、トヨは鼻の頭を掻いた。


「・・・リク、私はね、今日は本当に楽しいんだ」


 確かに、トヨはいつになく楽しそうに見える。


 ただリクには、何故かそこにいるトヨが。


 自分の知らないトヨであるような。


「嫌なことなんて、みんな忘れてしまえそうで」


 トヨの言葉が自分には向けられていないような。


「ホントに、このままなら、何もかもうまく行くんじゃないかなって」


 どこか遠くの暗がりに向かって話しかけているような。


「そんな気がするんだ」


 そんな感じがした。


 リクの視線に気付いて、トヨはそっと手を伸ばした。


 リクの手に、自分の手を重ねる。

 ラムネ瓶を握っていたからか、ほんのりと冷たい。


「触れるってことは、愛おしいんだね。なんだかずっと忘れていた」


 リクにとって、トヨに触れることは自然なことでも。

 トヨにとって、それは普通ではないこと。


「それを思い出させてくれただけで、リク、キミには本当に感謝しているよ」


 リクはトヨに何か言おうとしたが、その表情を見て言葉を飲み込んだ。


 トヨは、今にも泣きだしそうな顔をしていた。


 遠くの祭囃子と喧騒が、しばらく耳に痛いほどだった。


 どれくらいの間、そうしていたのかわからない。

 ひょっとしたら数秒、そうでなければ数分、あるいは数時間か。


「・・・さあ、そろそろ戻らないといい加減ユイに怒られちゃう」


 自分を鼓舞こぶするように、トヨは大きな声を出して立ち上がった。


 そこにはいつもの、リクが良く知っているトヨがいた。


「リク、今日は遅くまで騒ぐからね。覚悟しておいてよ」


 楽しそうに笑いながら、トヨはそう宣言した。




「トヨちゃーん」


 境内に戻ると、早速ユイが泣きついてきた。

 メインホストであるトヨが不在の間、延々とモノたちの相手をしていたのだろうから、たまったものではないだろう。


 トヨの姿が見えると、早速歓声が上がった。


「・・・まるでアイドルだな」

「アイドルだよ、トヨちゃんは」


 ベンチでへばりながら、ユイが応えた。


「そのアイドルをあんまり独り占めしないでおいて欲しいよ。もう大変だったんだから」

「一升瓶をラッパ飲みするアイドルって、そんなの見たことないけどな」


 リクはトヨに触れられた手をそっとさすった。

 トヨの手の感触が、まだ少しだけ残っている気がした。


「お祭りは毎年見てるけど、こんなにはしゃいでるトヨちゃんは初めて」


 ユイはかき氷をつつきながら、ようやく一息ついたという表情を浮かべた。


「リクはトヨちゃんの特別だから、今日は自慢したいんだよ」

「いや、見世物にされる方の気持ちも考えて欲しいよ」


 そう言いながらも何処か楽しそうなリクの横顔を見て、ユイは微笑んだ。


「おーい、リク、ちょっとちょっと」


 トヨの声が響く。

 リクは観念して、大騒ぎの中心の方に進んでいった。




 トヨに手を掴まれて振り回されているリクを、ユイは静かに見つめていた。


「あ、ユイちゃん、だよね?」


 突然声をかけられて、ユイはそちらを振り向いた。

 何処かで見たような若いパンツスーツ姿の女性が笑顔で手を振っていた。


「えーっと、覚えてないか。この前リクといるところに・・・」

「ああ、リク・・・君のお母さん」


 ナオはニコニコしながらユイの方にやって来た。


「ははは、ナオで良いよ。お母さんって言われるの、なんだかくすぐったくてね」


 照れたみたいにはにかんでみせるナオは、本当に年齢不詳だ。


「ええっとじゃあ、ナオさん、座りますか?」


 ベンチの隣を勧めると、ナオは「すまないねえ」と言って腰を下ろした。


「橘って聞いた時にもしかしたら、って思ってたんだけど、この神社の管理をしている家の子だったんだね」

「はい、そうです。今日もお祭りの手伝いで駆り出されてます。リク君にもちょっとお手伝いをお願いしています」


 そうなんだ、と言ってナオはリクの方を見た。


 リクはトヨに捕まって絶賛振り回され中だが、その姿は視る力を持たない人間にはただ忙しそうに動き回っているようにしか見えていないはず。

 どんな風に見えているのだろう、とユイは自分に見えている惨状が惨状なだけに少し気になった。


「あの子・・・リクのことはどのくらい前から知ってるの?」

「良くお話をするようになったのは春くらいからです」

「そうか。今年の春くらいからあいつ神社によく行くな、と思ったらそれか」

「ええっと、多分それだけじゃないんですけど・・・」


 どう答えたら良いものかと、ユイは戸惑った。


 リクが神社に良く足を運ぶようになった最大の要因は、今リクの背中に乗って馬鹿笑いしている。

 その姿がナオに見えたら大変だろうな、とユイはそちらの方が気が気ではなかった。


「リクは昔、よく泣く子でね。あれが怖いこれが怖いって言ってしょちゅう泣いてた」


 昔を思い出したのか、ナオは目を細めて少し笑った。


「でもこの神社に来ると不思議と泣き止んでね。なんだろう、ここの雰囲気が好きだったのかな」


 多分トヨちゃんだな、とユイは察した。


「その後、七才位だったかな、急にあまり泣かなくなってビックリしたんだけどさ」


 恐らくその時、蓋がされたのだろう。


「ねえ、ユイちゃん」

「はい」


 ユイはナオの方を向いた。

 ナオは優しく微笑んでいた。


 その笑顔は、どこかトヨに似ていた。


「リク、最近よく笑うようになったんだ。本人は自覚してるかどうかわからないけど、ここんところ今まで見せたことが無いような、色んな表情をするようになってさ」


 蓋がされている間、リクの世界は灰色に包まれていた。

 恐らく蓋が取れた後、この神社でリクは、無くしていた沢山のことを取り戻しているのだろう。


「楽しいんだと思う」


 ナオの言う通り、リクは毎日を楽しんでいる。

 それはユイにもわかっていることだった。


「これからも、リクと仲良くしてやってくれないかな」


 ユイはちらり、とリクの方を見た。


 リクはトヨに何か文句を言っている。

 トヨがそれに言い返して、リクの腹を一発殴って、周りがやんややんやの大喝采。

 怒っているような顔をしているけれど、多分リクは本気で怒ってはいない。

 知らん顔している風に見えるトヨも、ちらちらとリクの方をうかがっている。


 ユイは、リクのそんな表情を引き出しているのは自分ではないとは思ったが。


「はい、わかりました」


 トヨの代わりにそう答えておくことにした。


「そうか、良かった」


 ユイの答えを聞いて、ナオは花のような笑みを浮かべた。


 ああ、この笑顔がトヨに似ているのだな、とユイは思った。


「・・・それにしても、リクのお目当てはユイちゃんだと思ってたんだけど、実は違う?」

「わかります?」


 ユイはふふっ、と笑った。


「うん、なんかユイちゃんの反応が違う気がする。えー、私の知らない所で何やってんだあいつ」

「大丈夫ですよ」


 ねたような顔をしているナオに、ユイは断言した。


「楽しそうですから」


 リクとトヨは、賽銭箱の上で腕相撲を始めていた。


「そっか」


 ナオの目にその姿はどう映っているのだろうかと、やはりユイは気になって仕方が無かった。


 その日、リクは結局日付が変わるまでトヨに解放されることは無く、何度も手を握られ、文字通り振り回され、最後には投げ飛ばされる羽目になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る