これからも仲良くしておくれ。
ある日、リクが稲荷神社に行くとユイとトヨが濡れ縁に腰かけて談笑していた。
ユイの持ってきた雑誌を見て、何やらファッションの話をしているらしい。
そんな様子を見て、リクはトヨが神様であるということがどういうことなのか良くわからなくなってきた。
「なあ、トヨは神様・・・なんだよな?」
「ん?そうだけど?」
「こうして見てると、なんだか普通の女の子みたいだから」
「まあ、意識してそうしてるからね」
そもそもトヨは実体を持っているわけではないので、普段の行動はそれを視ている側が自分で解釈していることになる。
見た目に関しては、相手に与えるイメージを変化させることで、トヨの意思でどうにでも出来るということだった。
「リクがそういうのを望むなら、筋肉ムキムキのマッチョでもいいんだけどさ」
トヨはにやりと笑った。
巫女服のマッチョが拝殿から出てくる姿を想像して、リクは無言で首を振った。
「そもそもこの神社の祭神トヨウケビメノカミは女神なんだから、そこはご期待通りにしておくべきかな、って」
トヨは、正しくはトヨウケビメノカミ。
毎日普通にトヨと呼んでいたので、リクはすっかりそのことを忘れていた。
「そこは忘れないで欲しいな・・・ちょっとキミには信心というものが足りてないんじゃないのか」
リクの認識に、トヨは呆れた顔をした。
なんにしても、見た目に関してはトヨ自身今の姿が気に入っているという。
「言葉遣いに関しては・・・もっとこう、かしこまった態度とかでもいいんだけどさ」
こうしてトヨの姿が見えて、トヨと言葉を交わせることの出来る力を持つ人間は珍しい。
相手が信心深い年寄りとかいうのならとにかく。
十代の少年少女が相手であるなら、こうやって砕けた話が出来る方がトヨにとっても楽しい、ということだった。
「それに、私はリクやユイのことは小っちゃいころから知ってるからね。幼馴染的な」
トヨは明るく笑った。
日暮れが近付き、神社を後にして家路に向かうリクを、ユイが追いかけてきた。
「もしよかったら、明日ウチに来ない?」
突然の誘いに戸惑うリクに、ユイはこう続けた。
「トヨちゃんの、神様のこと、知りたいんでしょう?」
リクが家に帰ると、珍しくナオが先に帰っていた。
「お帰りー」
「ただいま。今日早かったんだね」
「急にヒマんなっちゃってさぁー。代休消化しろとか言って無理矢理午後半休だよ。普段休みくれって言っても全然くれないクセにさ。まいっちゃう」
ナオは夕食の用意をしていた。
今までも、仕事をしながらでも可能な限りこうやって食事を作ってくれている。
リクはナオのためにも料理を覚えようと考えている所だった。
「そういえばリク、最近また稲荷神社の方に良く行ってるの?」
「え、うん」
リクはドキッとした。
たまにナオは変な鋭さを発揮することがある。
「昔は良く連れてったよねー。あそこ行くとあんた機嫌良くってさー。よっぽど好きなのね」
恐らくその頃には、トヨの姿が見えていたのだろう。
「でもなんか全然人いないし。あー、そういえば橘とかいうおじいさんがよく掃除してたなぁ」
ユイの祖父のことか。
体調を崩してからは、ユイが一人で掃除しているということだが。
「代々面倒を見てる、とか言ってたけど、そういうのって続くもんなんだねぇ」
ナオはガスコンロに火を点けた。
野菜を炒める音がして、会話はそこで途切れた。
翌日、リクはユイの家に向かった。
家族が出かけているということで緊張したが、通された客間にユイが持ってきたのは、古い文献の山だった。
「ウチがあの神社の面倒を見てるってハナシは、したでしょう?」
ユイの家は、代々神社の世話をしている家系だった。
その家に伝えられている神社の
昔、室町か、更にそれよりも古い時代に遡る。
この辺りは川の
土地自体は
ある時、川の氾濫を抑えるために
それが、あの稲荷神社の始まりであるという。
「その時、水神のために生贄が捧げられた、と伝えられているのよ」
社を作る際、その土台となる場所に。
荒れ狂う川の神を鎮めるために、新しい社の
一人の女性が生きたまま埋められた、とのことだった。
「それが・・・トヨ?」
リクの問いに、ユイはうなずいた。
「トヨちゃんはあまり話したがらないけどね。多分、そういうことだと思う」
ユイは昔、祖父からその話をよく聞かされたという。
自分の家系は代々あの神社の世話をしている。
それはあの神社の氏子代表、というだけではない。
今生きているこの土地を守るために、命を捧げた者がいるという過去を忘れないように。
犠牲の上に成り立った恵みに対して。
感謝と
「そんな・・・」
ユイと楽しそうに話しているトヨ。
サキチと濡れ縁で退屈そうにしているトヨ。
まるで何でも知っているかのように得意げなトヨ。
色々なトヨの顔が脳裏に浮かんで。
「ちょっと、トヨに会ってくる」
リクは真っ青な顔をして立ち上がった。
「リク」
今にも飛び出していきそうなリクを、ユイは呼びとめた。
「トヨちゃんにも、話したくないことはあるだろうから、そこは察してあげてね」
「・・・わかった」
それだけ応えて、リクはユイの家を後にした。
もう日暮れが近い時間。
神社にはいつものようにトヨがいた。
濡れ縁に腰かけて、誰かがお供えしたよもぎまんじゅうをほおばっている。
「やあ、ユイに何か聞いてきちゃったかな」
リクの様子を見て、トヨはバツが悪そうに頭を掻いた。
「まあいつかはバレるというか、話した方が良かったかな、とは思っていたんだ」
オリジナルではない。
トヨはトヨウケビメノカミとして祭られてはいるが、本物の神様ではない。
人々が願いによって生み出した、作られた神様。
元々は、生贄として命を落とした、一人の人間。
「・・・幻滅したかい?」
「いや、そんなことはないよ。ただ・・・」
ただ、トヨがどうしてそうしていられるのかが、リクにはわからなかった。
「昔のことは正直よく覚えてないんだ。いやホントに、何しろものすごく昔なんだから」
濡れ縁から立ち上がると、トヨは夕日の方を向いた。
夕焼けがトヨの顔を照らし、頬が赤く染まる。
それがとても綺麗で、リクは思わず見入ってしまった。
「でもね、覚えてるのは、私は神様になること、嫌じゃなかったんだ」
トヨの言葉が、リクにはよく理解出来なかった。
自分が生贄になることが嫌じゃない、というのはどういうことなのだろうか。
死ねと言われて死ぬことが、嫌じゃなかったとでも言うのだろうか。
「死んだ時のことは・・・覚えてないし、思い出したくも無いんだけど、でも物凄く苦しかった、つらかった、それは確か」
苦しくないはずが無い。
生き埋めにされたと、そう伝えられている。
それなのに。
「その後、いろんな人の願いが流れ込んできたんだ。助けてほしい、救ってほしいって」
願いを、叶えるために。
「願いの中には、私の知っている人のものもあった。お父さんやお母さん、兄弟や、親戚。みんな、助けを求めてた」
自分の家族を、一族を救うために。
「私は、ああ、神様になったんだから、みんなを助けなくちゃって、それだけを考えてた」
生贄の少女は、神様になった。
「猫たちも力を貸してくれたし、そうは見えないかもしれないけど、私、ちゃんと神様してるんだよ」
神社にいる女の子。
笑顔が可愛くて、ちょっと生意気な感じで。
「洪水も、地震も、日照りも、干ばつもあった。その度に、色んな人の願いを力にして、みんなが助かって、幸せになるようにって、そうなるように視てきた」
みんなの願いを叶えて、この土地を守ってくれる、神様。
「・・・だから、そんな顔をしないでおくれよ」
トヨが、少しだけ悲しそうな、困ったような顔をした。
知らない間に、リクは涙を流していた。
ぽろぽろと、意思に関係なく涙が零れ落ちる。
リクは、自分がトヨのことを何もわかっていなかったことを知った。
目の前にいる少女は。トヨは。
人々の願いを叶えるために進んで命を落とし。
気が遠くなるほどの長い間、実際にその願いを叶え続けてきた。
オリジナルじゃないとか、元は人間だとか、そんなことは問題じゃない。
トヨは、この子は。
神様だ。
神社にいるちょっと変わった女の子。
その程度の認識でいたことが、リクにはひどく恥ずかしく感じられた。
リクやユイの前では
トヨは、存在からして人々の願いを叶えるもの。
神様だった。
「いいんだよ、リク。幼馴染的な、って言ったじゃない」
トヨは優しく笑った。
「そんなことは気にしないで、これからも仲良くしておくれ」
リクの頬に、トヨが手を伸ばした。
涙にぬれた頬に、白い小さな手が触れる。
柔らかく、ほんのりと暖かい。
「・・・ええっ!」
途端にトヨが驚きの声を上げた。
驚いているリクに構わず、ペタペタと顔を撫でまわしてくる。
「ねえ、リク、君、触れる・・・っ!」
なんだかわからず混乱するリクなどお構いなしで、トヨの興奮は収まらない。
「ちょっと手を出してみて」
言われるままにリクが手を出すと、トヨはその手の甲を軽くつまんだ。
「・・・暖かい・・・」
トヨは実体を持たない存在だ。
その身体に、生きた人間が触れることなど本来はあり得ない。
「リク、キミは・・・キミの視る力はすごいな。蓋をしていた影響なのか、何にしても、私も初めてのことでビックリしたよ」
「そんなにすごいのか?」
リクには今一つピンとこなかった。
「無意識のうちに相手を観測したままの物理実体として強制的に定着させて、触るという行為を無理矢理認識させることが出来るんだよ?」
トヨの説明を聞いても、やはりリクには何のことだかさっぱりわからない。
興奮気味のまま、トヨはリクの手を、いつまでも握っていた。
「そうか、人の手って、こんなに暖かかったんだな」
懐かしそうに、トヨはそう呟いた。
ただ、その眼は何処か遠く、リクの知らない所を見ているようだった。
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