鈴蛍

久遠

第1話 序章 

 故郷へ向う車中、野田洋平の心は暗く沈んでいた。

 お盆には毎年帰省しているのだが、今年は幼馴染で親友である寺本隆夫の初盆に回向しなければならなかった。

 洋平の胸は悔恨の念で埋め尽くされていた。親友とは名ばかりで、ここ数年隆夫とは顔を合わせていなかった。体調を崩している、との風の便りがあったが、気が向かず見舞ってもいなかった。そのうちに、と高を括っているうちに隆夫は突然身罷ってしまったのだ。

 訃報が洋平の耳に届いたのは、故郷の山野の根雪もようやく溶け始めた三月の下旬だった。しかし、年度末の忙殺にかまけて、因縁浅からぬ隆夫の葬儀に参列することができなかった。せめてもと、数名の同級生に連絡して、遺漏なきようにと懇請したのが精々だった。

 というのも、隆夫には家族というものがなかった。生涯独身を通し、両親はすでに亡くなっていた。七歳年上の兄が一人いたが、外国に移住したままで、連絡が取れたかどうかもわからなかった。両親の兄弟、つまり隆夫のおじやおばたちが近所に住んではいるが、偏屈な性格で世間と一線を画していた彼であれば、一人住まいになってからどれほどの親戚付き合いを保っていたか、洋平には容易に想像できたのである。

 

 高速バスは、大阪吹田から中国道を西に二時間弱ほど走った後、米子道へと入った。

――ずいぶんと便利になったものだ。

 この道を通る度に、洋平は心の中で呟く。

 彼が大学生の頃はまだ旧道で、四十曲峠の急勾配を、その名の通り幾度となくうねりながら中国山地越えをする際には、男の彼であっても少なからず恐怖を覚えたものである。とくに積雪でもあれば、断崖絶壁の上から谷底を目にしたときの恐怖は数倍加したことを記憶している。この新道は大幅な時間短縮という利点と共に、乗客に安心感をも齎していた。

 峠を越えると、洋平の気持ちは一段と沈んでいった。目に映り込む風景や肌に触れる空気感が、一気に故郷の色を鮮明にしたからである。

 彼の気持ちを重くしているのは隆夫の件だけではなかった。

 長年に亘る実姉との確執もあった。五歳年上の美穂子は、本来長男である洋平が後継となるべき家を継いでいた。

 これ関して、ひと悶着があった。

 洋平は、大学進学のため大阪に出てから一年後、後継の放棄を宣言した。当然、彼が跡を継ぐものと信じきっていた祖父母、両親は一様に驚愕した。とくに幼少の頃より、いわば帝王学を身に付けさせるべく、丹精こめて養育した祖父洋太郎の落胆は目を覆うばかりだった。突然の反旗の衝撃で寝込んでしまい、何とか床上げはしたものの、一気に老け込んでしまったほどである。

 急遽の親族会議で、まだ独身だった美穂子に婿を取る算段になったが、彼女は難色を示した。心に秘めた男性がいたのである。

 だが相手は一人息子で、とうてい婿入りは不可能だった。家と恋との板挟みの中で、美穂子は降って湧いた縁談を頑なに拒否し続けたが、家族のみならず親族総出の必死の説得に、渋々了承に追い込まれた。彼女にとっては、とんだ災難といって済まされることではなかったのである。

 そのとき生じた軋轢が十五年経った今でも姉弟の関係にわだかまりを残していた。それでも、祖父母や両親の誰かが存命のときは遠慮していた美穂子だったが、皆が死去すると、洋平に対してあからさまに嫌悪感を示すようになった。有体にいえば、家を捨てた洋平の帰省を快く思っていないのである。

 このような経緯があれば、実家には寄り付かないところであるが、どれほど美穂子に煙たがれても、毎年夏に帰省する特別な理由が洋平にはあった。


 年を重ねれば重ねるほど、幼き頃の思い出はより鮮明に甦って来る。

 お盆が近づく頃になると、洋平は決まってあの夏の日を思い出す。遥か遠い昔のことではあるが、まるで昨日のことのようでもあり、そのときのことを思い返すと、すっかり当時の心境に立ち戻ってしまい、思わず涙が溢れ出る。

 洋平がお盆の帰省を欠かさないのは、ひとえにお墓参りのためである。

 彼の故郷は、山陰の日本海に面した美保浦という小さな漁村である。その辺りは、いわゆるリアス式海岸のようになっており、それぞれの入江ごとに村が作られ、大小二十ばかりの村が集まって町を形成していた。

 美保浦は、その中では一番大きな村であった。もっとも南北に約七百メートル、東西に約六百メートルの平地に、わずか三百五十世帯余り、約千五百人ほどが生活をしていたに過ぎなかったが……。

 村は三方を山で囲まれ、南西にある山の麓に田園が広がっていた。唯一、東側に広がる美保浦湾は北が約四百メートル、南は半島の岬まで約六キロに渡り、小高い山がいくつも連なって迫り出しており、湾自体が東に向いた天然の良港であった。

 そのため、戦時中には軍港として使用する計画が持ち上がったが、調査の結果、水深が浅く小型の船舶しか入港できないことがわかり、計画を断念したという経緯もあった。

 北側の陸地の延長線上には、太古の昔は陸続きであったことを物語るように、沖に向かって小さな島々が点在していて、それが適度な岩礁を造り、魚介類の宝庫となっていた。

 村の半数余りの家が漁業に関わって生活をしており、次いで農業に従事する家が多かったが、農業だけで生計を立てていた家は少なかった。

 洋平の生家の恵比寿家は、室町時代より二十五代続く大変に古い家柄で、かつては網元と庄屋を兼ねていたこともあって、この村だけでなくこの界隈では誰一人として知らぬ者がいないというほどの旧家であり、この村のほぼ中央に屋敷を構えていた。

 本来、二十一代に当たる彼の高祖父が当主になるまでは、この界隈一帯の山林、田畑の半分ほどは恵比寿家が所有していた。

 しかし、高祖父の代になると、人の良さに付け込まれて騙されたり、あるいは人に誘われて博打に手を出したりと、ご他聞に漏れず山林のほとんどを人手に渡す破目になってしまった。

 恵比寿家没落の幕開けである。その後しばらく、不作と不漁が続き、恵比寿家の受難は続いた。

 そして致命的だったのが、GHQによる戦後の農地解放政策だった。この政策によって田畑をも手放すことになってしまい、さらなる没落を余儀なくされたのである。残った財産は、家屋敷と漁船数隻という凋落振りだった。

 その恵比寿家を経済面だけでなく、かつて持ち得た政治的影響力をも復興、復権させたのが、洋平の祖父洋太郎だった。

 洋太郎は、戦後まもない時期、いち早く『株式会社恵比寿水産』を設立し、近代的な経営に着手したが、青年時代より人望が厚かったこともあり、彼の元には続々と網元や船主が集結し、会社は急速に拡大していった。

 その後の漁船の大型化や設備の近代化により漁場を拡大したことと、幸運なことに、長く続いた豊漁とが相まって事業は大成功を収め、彼の手腕と力量は近隣にあまねく知れ渡ったのだった。

 さらに、事業拡大を推進する過程で、政治家や銀行の頭取ら、地元の政財界の有力者と親交を深めて行った洋太郎は、名実共にこの辺りでは比類なき存在になった。当時、洋太郎の後ろ盾がなければ、町長にもなれないというほどの実力者に上り詰めたのである。

 洋太郎は五十代の半ばという若さで会社を洋平の父洋一郎に譲り、自らは隠居生活に入ったのだが、その後の度重なる町や村の公職への就任要請にも、一切耳を貸すことがなかった。しかし、反ってそのことで、周囲からますます畏敬の念を持たれることとなった。

 跡を継いだ洋一郎もまた、才気溢れる人物だった。

 戦時中、恵比寿家の後継者の立場にありながら皇国を憂いた彼は、境港に設立された美保海軍航空隊の予科練に志願入隊したが、その成績は全ての科目で優秀、取分け通信技術においては、抜きん出て優れていた。

 やがて、戦地に赴くことなく終戦を迎えたとき、彼の能力を見込んで、国や海運業界から引く手あまたの誘いがあり、本人も葛藤したが、最後は恵比寿家の長男としての立場を優先したのだった。

 特筆すべきことは、洋太郎、洋一郎ともに精錬実直、温厚な人柄で、決して偉ぶるようなところがなく、公職には就かなかったものの、町や村の発展には大いに尽力したことである。

 こうしたことから、世間の人々は、敬意と親しみを込めて、洋太郎を『だんさん(旦那さん)』、洋一郎を『若だんさん』と呼び、そして洋平のことを、幼き頃より跡継ぎという意味で『総領さん』と呼んでいた。


 米子に着くと、タクシーに乗り換え、北へと走らせた。

 市街地を抜けて産業道路に入ると、右手に弓ヶ浜の松並が数キロに渡って続き、後方には、弓ヶ浜から島根半島、そして日本海を俯瞰するように鎮座している大山がその勇姿を現す。伯耆富士の異名を持つ名峰である。

 弓ヶ浜は遠浅の海、広く長い砂浜、そして松林と、キャンプ地としては最適の場所なのだが、残念ながら水道が引かれておらず、訪れる観光客は少ない。

 やがて、タクシーは境港市内に入った。

 日本海側では、水揚高第一位の実績を誇る漁港であり、県境の街でもある。つまり、境水道を渡ると、そこからが島根県なのである。洋平の生家までは、十五分ほどの距離だった。

「タクシーだなんてもったいない。電話をすりゃあ、政幸さんに迎えに行ってもらったのに……」

 美穂子は、洋平の顔を見るなり小言をぶつけてきた。また嫌味か、と洋平は思ったが、言葉の響き、柔和な表情がいつもと違った。

――何かあったのか?

 洋平は訝しいものを感じながら、母屋の一番奥、北側の部屋に荷を置いた。生前、祖父が使用していた思い出深い部屋だった。 

「洋平君、よう帰ってきなさった」

 背後から義兄の声がした。

「義兄貴(あにき)、いつもすみません。今年もお世話になります」

 洋平は、軽く頭を下げた。

「なあに、気にすることはないけん。この家は洋平君の家みたいなもんだけん」

 政幸は屈託のない笑顔で言った。

 洋平は、彼は真に善人だと思っている。美穂子の婿として、一番に白羽の矢が立ったのが、遠縁にあたる政幸だった。

 美穂子より二歳年下の彼は大学を卒業後、地元の信用金庫に就職したばかりだったが、一も二もなく承諾した。恵比寿家の後継の座が手に入るという欲もあっただろうが、冠婚葬祭などで何度も顔を合わせていた彼は、美穂子に憧れを抱いていたことが決め手だったという。

 洋平は、政幸の方が実の兄ではないかと思うくらい親しみを感じていた。

「姉さん、何かあったですか?」

 洋平は声を低めて訊いた。

「上機嫌な訳だな……それが、その」

 政幸は、照れたように口籠った。

「どうしたのですか」

「恥ずかしながら、この年になって、ようやく子供ができたがや」

「えっ、子供? 本当ですか」

 洋平は目を丸くしたが、それも無理はなかった。美穂子、政幸夫婦は結婚して十三年が経ち、ようやく初めての子宝に恵まれたのである。後でわかったことだが、ここ数年、夫婦共々不妊治療に当たっていたのだという。

 恵比寿の後継問題は、家を捨てた自分ですら、折に触れて気に掛かっていた。ましてや十年以上もの長い間、親戚の期待や世間の耳目を一身に集めていた姉の重圧はいかばかりであったであろうか、と洋平は姉の心情を忖度した。

「子供ができたから、言う訳ではないけんど、洋平君もそろそろどげだね」

 政幸は遠慮がちに訊いた。

「僕はまだまだ……」

 洋平は口を濁した。

「美穂子から聞いたことがああけど、その、まんだ気持ちが吹っ切れんかい」

「……」

「こりゃあ、すまん、すまん。余計なことを訊いたの」

 一瞬言葉に詰まった洋平に、政幸はすまなさそうに詫びた。

「そんなことはないです。今はもう、良い相手がいたら一緒になるつもりです」

「そげかの?」

「はい」

 一転、政幸は目じりを緩ませた。

「いやあ、そいは良かった。お義父さんもお義母さんも、そいをえらい心配してござったけんな。洋平君がそういう気持ちになったのなら、あの世で安心しっさわの」

 洋平は話が家族のことに及ぶと、胸に痛みを覚えずにはいられなくなる。

 彼は、ずいぶんと親不孝ならぬ家族不孝をしたと、いまさらながら悔いていた。水産会社はともかく、恵比寿家を相続しなかたことは、家族を大いに失望させたことだろうし、両親には孫の顔を見せるどころか結婚すらしなかった。さらに、母の晩年には自身が興した会社の経営にも行き詰まり、幾度となく金の無心をした。母は、さぞや気掛かりを残したままあの世へと旅立ったことであろう。

「余計ついでに訊くけんど、会社の方はどげだかい」

「心配を掛けましたが、整理するつもりです」

「そいは勿体ないの」

「景気がいっこうに良くなりませんから、続けてもジリ貧になるだけです」

「だいてが、せっかくここまで頑張って大きくしてきただらが。金ならもうちょっこし融通できじぇ」

「とんでもない」

 洋平は顔の前で手を振った。

「家を捨てた僕ですから、お袋に助けてもらった分だけでも、虫の良いことをしたと思っています。それなのに、これ以上の支援をお願いしたら、それこそ姉さんの気分を害することになります」

 いや、と政幸は顔を横に振った。

「あいのことは、気にせんでええだが。口を開けば、洋平君の悪口ばっかり言っちょっても、心の中ではえらい心配しちょうだが。おらにはようわかっちょうけん」

「姉さんが? まさか」

「見損なっちゃいけんよ、洋平君。そいが実の姉弟っちゅうもんじゃないだか。あいは端から恵比寿の財産の半分は、洋平君に渡すつもりでおおだよ。だけん、そがに慌てんと、もうちょっこし、考えてみたらどげだ」

「は、はい」

 政幸の思わぬ言葉に生返事しかできなかった。

 と同時に、洋平は目から鱗が落ちたような気がした。母亡き後、姉は母に代わって小言を言っていたのだ、と気づかされたのである。


 翌八月十四日の午後、菩提寺の永楽寺で初盆の法要が執り行われた。

 懐かしい面々の姿が散見されたが、洋平は声を掛けることを憚った。初盆法要は隆夫だけではない。美保浦と近隣の村を合わせ、実に三十数家の合同法要なのだ。その場には、気軽に旧交を温める雰囲気はない。

 それでも、洋平の姿を見つけると、近くの者は小声で挨拶し、遠くの者は無言で頭を下げた。跡を継がなかったとはいえ、恵比寿家の人間には違いない。いつ、洋平が恵比寿水産の要職に就くとも限らない、と思っている証左である。

 洋平はその都度会釈を返しながら、ご本尊から一番遠い隅に腰を下ろそうとした。

「総領さん。いや、洋平さんはこちらにどうぞ」

 住職の野太い声がした。八十歳を超えているはずなのに張りのある声である。

「いえ。私はこちらで結構です」

 洋平は丁重に辞退した。

「そうは参りません」

 住職の指示で、息子の副住職が席の案内にやってきた。周囲の者も目で促している手前、洋平もこれ以上は頑な態度を取れなかった。

 住職が用意した席は、檀家総代の横という上席だった。隣には政幸がいた。

 住職が洋平を厚遇するのは、この政幸の手前もあった。政幸は五年前、三十三歳の若さで、美保浦の檀家代表に就いていた。これは、寺院の修理改築等の際に恵比寿家の財政的支援を当て込む、他の役員たちの計略だった。事実、政幸のお陰で寺院の財政は潤っていた。

 滞りなく法要を終え、墓参の運びとなった。

 村の西側に、村や湾を一望できる小高い丘があり、なだらかな東斜面全体が村の共同墓地となっていた。丘の頂上には、大人三人が手を回しても繋ぐことができないほどの松の巨木が聳え立っていた。

 当時、この辺りはまだ土葬の風習が残っていたため、村の人々は、埋葬された死人の養分を吸ってあれほどの大木になったのだ、と口にしていたほどだった。

恵比寿家の墓は、その丘の頂上付近にあったため、洋平はお墓参りをする度に、眼下に広がるその懐かしい風景を眺め、遥か遠く過ぎ去った昔、彼がまだ小学校六年生だった、あの夏の日を思い出すのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る