魔法優良人の奮闘

吉津駒 日呂

プロローグ

▽侵蝕△


        0


 〈当たり前〉が、当たり前じゃなくなる。

 〈出来る〉が、出来なくなる。



 赤い獅子を、青い竜を、黒い亡者を、白い天使を、呼び出す度に蝕まれる体。

 目に見えない侵略者の破壊はどんどん深くなっていく。



 それがどんなに恐ろしくて、怖いことなのか、その日俺はいきなり世界に押し付けられた。


 日常を壊される。才能を取り上げられる。

 世界がいきなり俺を放り出す。


 神様っていうのを、俺は信じちゃいない。俺のような人間はそういった人種が多い。

 だけど、もしも、もしもの話だ。そんな奴がいるとしたら、俺はその面に唾を吐きかけてこう問いたい。





 ――これは一体、なんの罰だ。





 確かに、俺は善人じゃない。一切の邪念もなく国に尽くし世のため人のために仕事にいそしんでいた、なんてことは言えない。

 でも俺は、少なくとも苦しんでいる誰か一人を助けるためにやってきた。やってきていた。その誇りはある。自負がある。そう声を大にして言える。

 その俺が、こうして苦しめられる立場になった。


 あぁ、神よ。お前はなんて悪魔だ。

 当たり前を捨てろとお前は言う。


 でも、俺はそれを捨てられない。それは確かに、俺の中にあった才能だから。それがない世界は生きていないも同然だ。



 どうすればいい。

 どうすればいいのだ。








「――分かったわ」


 彼女はそう言った。優美な微笑みを添えて。しかし、死神の宣告のように彼女はこう続けるのだった。


「でも、教えてあげられない」

「……どうして?」

「理由を教える義務は、ないわね」


 ゴン、と鉄格子を殴る。

 思わず怒りに任せて凄みをきかせてしまったが、それでも彼女の態度は変わらない。飄々ひょうひょうと、超然ちょうぜんとした態度。こんな場所に閉じ込められてなお、己を保ち続ける彼女には私など矮小わいしょうな虫けらにしか見えないのか。


「何を引き換えにしても手に入れて見せる」

「あらそう。頑張ってね」

「どんな手を使っても」

「努力は良い事ね」

「……弟子を人質に取っても」


 そこで彼女は、初めて余裕のある態度を少し崩して目を瞬かせた。

 ここが付け入る隙、弱点か。


「あなたに出来るかしら?」

「舐めてもらっては困るぜ」


 呼吸、操作、そして発動。

 少し前に握っていた鉄格子の一本を、切り取る。


「殺すくらい簡単だ。生きたまま捕らえるのは、苦労するかもしれないけど」


 彼女は、何かを考えるようにあごに手を当てた。ここで自分が殺される――なんて可能性を考慮しているわけじゃないだろう。そんな、ほとんど有り得ない可能性、不可能に近い可能性を。


「いいわ」

「何?」

「やってみせてもらおうかしら」


 二の句が継げなかった。自分の弟子が人質に取られるか、最悪殺されるかもしれないのに、彼女はあろう事か優雅ゆうがに微笑んだのだ。

 出来ない、と考えているのか。いいだろう。ボロボロになった弟子をここまで引きずって来てなおその余裕な態度を続けていられるか、見せてもらう。


「後悔するなよ」


 最早ここで話す事はない。私は背を向けて怒りによって足早になっている事を隠そうともせずに去ろうとした。


「まだよ」


 そこに彼女の声が届いた。


「まだ話は終わっちゃいないわ」

「…………」

「条件がぁ、ある」


 足を止める。

 振り返る。通路からじゃ鉄格子の中は見えない。けれど、きっと彼女はまだ微笑んでいただろう。



「そのために、私も協力してあげようじゃないの」



 きっと彼女は、未来を見通しているのだろう。

 馬鹿らしい話かもしれないが、彼女の卓越たくえつした才能の数々が可能性という数値から導き出される選択肢の中から最も起こり得る未来を容易に想像させているに違いない。

 そんな彼女が出した勝負と条件を飲んでも俺に勝ち目はないのかもしれない。



 だけど、それでいい。

 俺は〈当たり前〉がそこにあれば、それだけでいいんだ。

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