Sous-bois

 下生えを踏むのも躊躇われるような森の中。ここは知っている。今晩読んだばかりの絵本の中に出て来た。あの『もりのなか』。眠りの浅い私は毎晩夢を見る。例え愛する娘の美羽が直ぐ隣で眠っていようとも私の睡眠は続かない。夢を見て目を覚ます。でもこの夢は終わりそうになかった。


 美しい森の中、所々きのこが生えている。見たこともないような赤に白くて細かい水玉のきのこ。口にしたら死んでしまいそうだった。でも齧ってみたい。あの赤くて白い水玉のきのこを味わいたい。生と死がぎりぎりのような際どい感覚が訪れる。目に見える病。目に見えない病。そう違いはない。だけどここはどこだろう。多分夢の中。ただ醒める気配がない。


 ゆっくりと大切な事を思い出そうとした。一番大切なのは美羽の事。今朝も保育園のクラスルームで自分のロッカーにバッグをしまい、朝の用意をする美羽を見送りながら祈っていた。どうか美羽をお守り下さいと。いつものように。それと、悲しみ。何故私は悲しみを知っているのだろう。一番悲しかった時……大切な家族だった愛猫が亡くなった時。だがそれは自然の摂理だった。悲劇ではなかった。私はダイナと言う名前の猫に感謝し弔った。では私が今持つ悲しみは? 美羽は絶対生きている。美羽が死んでも生きていられる自信はないから。もしかしたら私は死んでいる? 分からない。死んだ事などないのだから。


 悲しみ……。美羽を授かる前に勤めていたスナックのママが、いきなり訊いてきた事がある。

「香織ちゃん。一番悲しいことって何だか分かる? それは『愛する人との別れ』だよ」

 ママのダンナもママの二人の子供も生きていた。ママが言う「愛する人」は愛するひとに聞こえた。ママは誰かを失ったのだろう。


 森の中は静かで車やバイクのエンジン音の代わりに鳥の鳴き声が聞こえていた。

「ミャーオゥ」

 驚き振り返ると其処には亡くなったダイナそっくりの猫が居た。そっくりな猫ではなくダイナだった。私に尻尾を向けて歩き始めたダイナの先には森の雰囲気にそぐわない佇まいの洋館が樹々の間に見え始めていた。


 私の記憶のように靄がかかった霧の中に佇む洋館には大小様々な扉が付いていた。


 ダイナは迷う事なく猫用扉から洋館に入っていった。扉は全て木製で全て違う色、くすんだピンクや青、灰色、クリーム色、茶色に塗られていた。

 試しに目の前のペールピンクの扉のノブを捻ってみた。開かない。鍵がかかっている。どの扉も古びていて、ところどころ塗装が剥がれ、鍵がかかっていた。元は綺麗なピンクだったと思う目の前のドアから離れ、壁伝いに歩いた。歩いた。

 ただ歩いた。

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