Third

 ドアがノックされたのはそれから暫くしてからだ。

「はい、」

 ベッドに寝転んでいたデイビスは勢いよく身を起こし、扉へ向かった。ドアノブを握り、動きを止めて深呼吸、想定出来る限り全ての状況に備える。

 ドアを開いた。

 不機嫌そうな女の顔が目に入る。ふくよかな体型の中年女、恐らくフロントにいた男の家族だろう。田舎のモーテルに似合わない上等なストールを肩にかけ、裾の長い黒のドレスを着ている。一目で解かる上質の布は光沢が違う。頭の上でだんごに纏めた髪形は地味な印象を受けるが、ネックレスなどの宝飾品はさりげなく贅沢な品を付けている。似合うかどうかは別としても。

 目の小さい、そばかすの多い丸顔。他にこれといった特徴はない。

 愛想の無い女はじろりと視線を室内に向けた。それからデイビスに戻して、まっすぐに見つめる。

 すれっ枯らした風の嫌味な目をして、表情には剣呑なものがある。面倒臭げに唇を尖らせて、マニュアルの言葉を吐き出した。

「ルームサービスの品をお届けに来ました、どうぞ。」

「……ありがとう、」

 女の後方にサービス用のワゴンがあり、ワゴンと同じ銀色のトレイの上には料理とコップが乗っている。スティック状のポテトフライと、からりと揚げられた白身魚のフライ。ディップはタルタルソースだが、おそらくは市販品だろう。

 女はワゴンを室内のごく浅い場所へ置き去りにして、くるりと踵を返した。

「ごゆっくり。」

 マニュアルさえも怪しいと思えるぞんざいな一言を残し、振り向きもせずに帰っていった。


 人間は減っている。だが、人々が困る場面は表面上では起こらない。物資の補給は機械任せであり、プランターを管理するのも、物流も、製造も、全てがロボット化されているからだ。

 消費だけを、人間が分担する。

 運びこまれたこの料理にしても、あの夫人は油で揚げて盛り付けをしただけだろう。

 便利さが、麻痺を生み出したのかも知れない。

 ポテトを一本摘まんでみる。塩加減が足りない、トレイに乗っていた小さなガラス容器を傾けると、中で生の米粒と白い結晶が交じり合って踊った。

 細工はフィッシュの方にしてあるようだ、綺麗に食べ尽くしてから気付いた。

 一口目では解からなかったあたり、とても巧妙な細工が施してあるらしい。表面に薬を振り掛ける程度を想定していたが外れた。

 このモーテルの有様を見れば、とてもそんな細かい作業をする者達とも思えなかったが、もしかしたらそれさえカムフラージュなのかも知れない。もっと雑な仕掛けを予想していたのだが。

 胃の中へすべて収まってしまった異物を別段気に止める風もなく、腹部をさする。

 薬は睡眠導入系、逆らうことをせず、デイビスはベッドに潜り込んだ。


 眠気が来ることはない。第一級の劇物だろうと受け付けることはない。デイビスはそういう身体だ。

 だから、薬物が効いているフリをしなければならない。

 分析の結果、ハルシオンによく似た成分……ピリジン系の物質と思われた。超短期のうちに睡眠へと誘う強力な睡眠薬だ。処方箋がなければ入手不可能なはずだが、どういう経路で手に入れたものか。

 やがて、人が近付く気配がした。廊下を渡る密かな足音は三つ。夫妻と、あと一人は誰か。子供の軽量な音ではないことを、デイビスは微妙な波長の違いから分析している。カーペットの下、床板の軋む音は体重の違いで微妙に変化する。人間の聞き取れる音ではないが、デイビスには集音が可能だ。

 扉がゆっくりと開かれた。眠っている事は確認済みだろう、慣れも手伝えば犯行の手口は杜撰になるものだが、この連中はどこまでも用心深い様子だ。

 だからこそ、今までバレる事がなかったのだろうが。


 眠っている人間を完璧に演じながら、デイビスは感覚だけを研ぎ澄ませている。

 一人は開け放たれた扉の傍で止まった。残る二人は距離を離しつつベッドへと近寄ってくる。足元と頭の側の二手に分かれようというのだろう。

 傍に来た二人は様子を窺うようにじっと動きを止めて、寝入っている客を覗き込んでいる。頭部付近の誰かがデイビスの首に何かを近付けた。気配だけではそれが何かは知れない。

 足元に待機する何者かと扉付近に居る者とは動かないままだ。

 首に何かが当たる、そして金具の擦れ合う音。おそらくは首輪のようなものだろう、鎖の触れ合う耳障りな音も混じっている。いきなり殺してしまうのかと思っていたが、これも予想を外した形だ。

 続けて身体を返された。うつ伏せにしようとする腕には逆らわず、されるまま、身を返す。今度は少々乱暴に両腕を背の方向へ回された。首輪をつけたことで安心したらしい。

 構わず眠ったフリを通す。後ろ手に回された手首にも戒めが為された。恐らくは手錠の類だろう。

 次は叩き起こしにでも掛かるのだろうか。薬が切れる時間帯にはほど遠い、薬物残留状態の様子はどういったものだったか。思考をあれこれと巡らせつつ、彼らの様子を窺った。


 デイビスを拘束した相手はしばらく考え込んでいたようで、足元に居た誰かに促されてベッドから離れた。そのまま、扉付近の一人と合流して、戸を閉め、足音は遠ざかっていく。

 完全に遠くなった。そこでようやくデイビスは薄く瞼を持ち上げた。頭を枕から上げる。

「……」

 暗闇に、青い瞳が獣の光を宿す。緑色に煌く瞳孔が注意深く周囲を見回した。

 赤外線スコープのように、室内を映し出す。ドアは以前と同じに閉じられている。

 身を起こし、ベッドの端に座り直した。

 彼らは去った。いやに静かだった他の部屋の主たちが、現状、どういう状態に置かれているのかを推測するには充分なデータが揃った。今の彼のように首輪を掛けられ、鉄格子の窓を眺めやりながら絶望しているのだろう。

 生きたまま食うのか。ある意味、想定外の分析結果が出て、デイビスは呆れたように苦笑を浮かべる。

 この様子を連中は監視カメラを通して見ているだろう。気配を感じた他の部屋の主たちに危害を加える前に行動に移したほうがいいと判断し、デイビスは動き出す。



 可能性。

 殺しているなら、デイビスにも同じことをする。

 殺していないなら、連中よりも他の部屋の主たちを優先する必要性がある。

 獲物が増えたことで別の誰かを始末する可能性。


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