【SF】DEMI‐HUMAN

柿木まめ太

First

 いつしかその地はメタリックな輝きを纏い、眼下に紅く巨大な月を戴くようになった。

 今、かつて月と呼ばれた大地に人が住み、かつては棲家だった母なる星を臨む。とうの昔に居住不可能な惑星と化した地球。紅く燃えるような色に染まり、人々の嘆きを写した陰がところどころに暗くうつろう。最終兵器による破壊の跡は遠く月面からも見届けることが出来た。


 月へ逃げ延びた僅かばかりの人類は、未だにその数を減らし続ける。かつては月面すべてに広がっていた人工のドームも今では半数以上が過疎との戦いに明け暮れる。原因などは解からない。人間は減っている。

 月面はメタリックシルバーに染まり、半円のドームが無数の泡のようにその表面に張り付き、その一つ一つは透明なチューブレールで繋がれていた。

 ドームゲートを潜れば別世界が開かれる。

 故郷を写し取った人工の風景、ホログラムの青い空に雲は流れ、在りもしない飛行機が細長く白い尾を引いて飛び去る。街路樹は背の高いポプラだ、黄色く色付いて田舎町の大通りに沿ってどこまでも続く。

 一列に並ぶ樹木の向こうには乾いた大地と見まがう赤茶けた畑が地平線にまで続く。すべてはジャガイモ畑だったという、かつての地球にあった場所だ。

 自走二輪のモーターサイクルを駆り、舗装のない土の道路を走る。砂煙が後方へなびいて見えるのは、ホログラムなのか現実のものなのか。

 人々のノスタルジーが創り出した故郷の景色は、住む人々が居なくなっても何の変化も起こさない。

 このドームはかつて三千人規模の人口を有していたが、今では五百に満たないという。……そんな場所になってようやく、この地で長い間隠され続けた秘密が明るみに出ることとなった。

 舞台となったのは一軒のモーテルだ。

 ホテルリバーサイド。




「一泊でよろしいんですね、」

 無愛想な声が一応の確認を求めた。壁の小窓から人が覗いている。

 こういうモーテルの造りは建物に入るとすぐフロントに当たる部屋と廊下を仕切る壁に突き当たり、そこでキーを受け取って続く廊下を進むようになっている。

 来客の胸の辺りにくる位置にある小窓、そこから男が見上げる角度で覗き込んでいる。

 銀縁メガネの奥には抜け目のない鋭い眼光があり、頭部の禿げあがった小男は眼鏡越しの上目遣いで相手の男をじろりと見据える。男にしてはいやに甲高い声で、少々勘に触る響きを持っている。

 ペンキの禿げた外壁と手入れさえない庭木の示す通り、内部も荒れ放題だ。視線を向ければ向けた場所に、白く積みあがる埃の山が四方に出来上がっていた。

 申し訳程度にしか掃除はなされていない。

「お名前は……ジャック、ジャック・デイビスさん?」

「ああ。」

 客は答えて、滑らされた白いカードを受け取った。男が顔を覗かせる小窓の下にもう一つ小さな台の付いた四角い穴があり、狭い木枠に囲まれたその穴から先ほど提示した身分証が滑り出てきたのだ。

 壁を挟んで二人は会話をしている。フロントの男は禿げた頭と眼鏡を掛けた目の辺りまでしか姿を見ることが出来なかった。


 相対する男はまだ若い。壁の向こうの男と同じ青い目と、男と違ってふさふさの頭髪は焦げた茶色だ。こんな場所にこそ似つかわしいと言えるラフなスタイルで、一見して流れ者と思えた。

 履きくたびれた風のジーンズにヨレかけた白い綿のシャツは色がところどころ変色している。その上から羽織ったジーンズ地のジャンパーも良い具合にくたびれてビンテージの風合いを醸し出していた。大事に着ているのだろう、地球がああでなければ自慢にもなったか。

 人類は死に瀕している。

 若者に職はなく、都市は巨大なスラムだ。田舎へ行けばまだ日雇いの仕事、あるいは巧くいけば結婚の斡旋があり、集落に潜り込める。都市から流れてくる若者が、時折、こういう田舎の寂れたドームを訪れた。


 フロントの男はしげしげと若者を品定めするごとくに視線を投げかけている。若者に職はなく、流れ者は善良な者ばかりではなかった。町へ入って強盗となる者さえ居る。

 視線の先に居る青年は愛想こそ感じられないが、悪党のような目付きの悪さも見られない。その服装と同じに疲労の滲む表情で所在無げに立ち尽くしている。昼の日中から、こんなモーテルへ来るのだからロクな目的もないに違いない。まるで叱られている最中の学生のよう、といった風体。

 バツが悪そうな、居心地が悪そうな、そんな様子で落ち着きなく身体を揺らしていた。

 しばらく無遠慮な視線を投げていたフロントの男が、やがて奥へ消えた。

「303号室の鍵です、シャワーと飲食は別料金を頂きますのでそのつもりで。」

 カードが出てきた同じ穴から、鈍く光る真鍮製の鍵が滑り出てくる。カードキーではないことに、青年は少し驚いた顔をした。このドームの連中のノスタルジーは相当なものだ。

 ぱたぱたと足音が響き、彼の後ろを小さな影が通り過ぎていった。振り返ると、水色のエプロンワンピースが遠ざかっていくのが見えた。

「わたしの娘です、お気になさらずどうぞ。母屋の方から入ってきたんでしょう、後で注意しておきますから。」

 変わらぬ冷めた口調でフロントから声が掛けられた。

 無言で廊下へと歩を進める青年を、彼が入ってきた同じドアの隙間から顔を覗かせる少女がくすくすと笑いながら見守っていた。


 白いカードは硬質プラスティックで四方には丸みがある。国籍、氏名、住民基礎番号などが刻印され、その人間の身分を保証する。写真に映るのは青年の顔。

 ジャック・デイビス、身分証にはそう記されている。彼は自身のものであろうその記載をしげしげと眺め、やがて上着の内ポケットへ仕舞い込んだ。そして、くすんだ金色の輝きを放つ古びた鍵を手にした。

 ホテルと付く割に、この建物に二階以上の高さはない。平屋の廊下を進んでいくと、101号、102号、103号、201号、……そんな具合に銀色のプレートが並ぶ。突き進んで奥まった場所に303号室のプレートを見つけた。

 他に泊り客がないのかと思わせるほどに静まり返った廊下を殊更ゆっくりと渡る。

 人の気配はある。幾つかの部屋に、誰か他人が存在することは感じられた。壁面上部にある明り取りからは、中天の太陽光が鋭角で差し込んでいる。もちろん、その光は人工的なものだが、時間は確かなはずだ。余計な素振りは極力控え、時計を確認したりはしない。それでも時刻は十二時前後のはず。

 恐ろしく静かな各部屋の主たち。


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