クリスマスラプソディー

銀鮭

第1話 雪の駅前商店街

 はなを啜りながら暗い夜空を見上げていた───。


 どっしり重い冬の雲が満天低く垂れ込めて、凍てついた地上との間を大粒の雪がゆらゆらと落ちてくる。吹きさらしの街頭に、かれこれ七時間近くも立っていただろうか……。じんわり冷気が靴底から這い上がり、いつしか頭の天辺に抜け切って体が真冬の外気と一体になる。そうなるともう寒いのか、痛いのか、自分でも判断がつかなくて、いつの間にかその場で足踏みなどをしている。


 これじゃ、まるで映画の『八甲田山死の彷徨』だ。ならば恰好をつけて、

「天は我々を見はなしたか!」と、映画のように叫んでみると、何と目の前にマリア様が降臨されたのだ。


「ごめんね!遅くなって……」


 マリア様にしては裾の広がった真紅のスカートだ。フリルで縁取りされた真っ白なエプロン姿が子供じみて見える。――が、それは店の制服で、その上にピンクのブルゾンを慌てて羽織ったのだろう、ちょっとかわいい店の女の子が駆け寄ってきて申し訳なさそうに言ったのだ。


「チョコホット飲んでくださいね!」


「あっ、すびばせ~ん。もう、ブルッちゃって……助かりま~す」


 などと、媚びるように応えたよなぁ。タイプだったもの……。

 だから確かに休憩はとったのだ。契約の条件にも3時と6時にそれぞれ10分間の休憩が与えられることになっていたもの。


 僕は外よりは寒くないという程度の店内で、マリア様が淹れてくれたチョコホットのカップを掌で包み込み、かじかんだ指先を温めるようにして暖を取ったのだ。けれども真冬の店頭販売で、わずかに十分ばかりの休憩じゃ、とてもじゃないが温まらない。

 おまけに何の因果か知らないが、今夜に限ってやってくるこたねーだろうっつーの、マイナス四十度の寒波のバカ野郎が!


 腰に貼り付けた使い捨てカイロも効いているのか、いないのか……いや、そもそもカイロなんて貼り付けたの? って感じで、自分自身に訊ねたくなるほど体が芯まで冷え切っている。もう耳が千切れそうで、鼻ももげそうで、南極越冬隊員じゃあるまいし、何もそこまで命がけでするアルバイトでもないだろうに――。


 おまけにここは駅前商店街だ。体を温める熱い食い物ならなんだって手に入る。外が寒けりゃ、内側から温めればよい、というのはわざわざ教えてもらわなくてもわかるのだ。しかし、それでいながら要領よく、駅の立ち食いうどんに駆け込んで熱い天麩羅うどんを啜ったり、向かいの店の自動販売機で温かい缶コーヒーなどを買って飲んだり、屋台のたこ焼きなどを物陰に隠れて頬張ったりしないのは「仕事中」であるという、その職務に対する糞真面目すぎるほどの責任感からか、それとも単なる融通の利かないトウヘンボクだからか――。


 まあ他人に言わせりゃ、おそらくどちらも当たっているのだろう。自分だって、最近はつくづくそう思うことがあるのだから――。


 考えてみれば、昔から要領が悪かった。世渡り上手なやつを見てうらやましいと、自身も同じように立ち回れば、必ずといってよいほど勘違いや誤解を受けて損をする。むきになって言い訳などすれば、ますますドツボにはまり込む。自分でも運の悪いやつだというのは正直、嫌というほど思い知らされた。だから姑息な考えは浮んでも、ただ思い煩うだけで、実行しようとは思わない。

 とにかく下手に動かない、余計なことはしない、というのがなにはともあれ最善の策であると思っている。今日だって、途中で投げ出し泣き言など言えば、「あいつは無責任な屁たれ野郎だ」などと、まさか面と向かっては言われないだろうが、思われるのが癪だった。


 そんな情けないことは、昨日今日会って明日には顔も合わせない赤の他人にだって思われたくない。だからあと一時間、何としてでも辛抱する。今弱音を吐いて逃げ出せば、それまでのすべてが無駄になる。


 仕事が終われば即、駅の立ち食いに飛び込んで、唇の裏側の粘膜がもろもろになるほどの熱い天麩羅うどんを啜ってやろう。風邪がぶっ飛ぶほどに七味唐辛子をぶっかけて、ふうふう、言って汗を流す。昆布のおにぎりはまだあるだろうか……、いなりずしがあれば二つ三つは食ってやる。僕は空想の中で腹を満たして寒さを忘れようとする。

 ただ、喜んでよいのか、悲しんでよいのか、さっきから顔だけが異常に熱っぽい。だから額や頬に落ちる冷たい雪は、むしろ心地よく感じられるのだった。


 ふと、無邪気な童心にかえって両手を拡げて天を仰いでみた。口を大きく開けて舌を出し、雪の感触を味わってみる。今日という日を精一杯楽しく遊ぶことに明け暮れた、そう子供だったあの頃のように……。

 しかし、現実は甘っちょろい懐古趣味などには容赦なかった。


「いっけねぇ!」


 たちまち弾かれたように我に返ると、慌ててワゴンの上にパラソルを拡げた。赤と白の放射縞が恥ずかしげもなくブワッと音を立てて拡がった。雪まみれになってよいのは雇われた僕だけで、決して商品様は濡らしてはいけないのだ。



                              (つづく)

 

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