新しき国
戸塚の友蔵の全快を祝う花会は中止になった。だが、磯子の千ノ助、帷子の染吉らとの交渉が決裂した訳ではない。新六浦代官から恩州の全貸元に招集があり、どうせ一同に会するならそのときに話し合いをすれば良いという事になったのだ。
「目明かしの佐吉に聞いたんだが、今度のお代官様は清廉で大らか。その中に針のような鋭さがあるらしい」
久々に家に落ち着いた鶴見の文吉が娘の凪に言う。
「そうなんだ。で、なんというお方なの?」
凪が言うと、
「それが佐吉の奴、教えてくれないんだ。知ったら腰を抜かしますよってな」
文吉は答えた。
「なんだかいやらしいね、佐吉さんも」
「だな。案外女子だったりしてな」
と文吉は笑った。
代官の招集日が来た。
文吉は綱島の熊太郎、鴨居の虎太郎、小机の竜太郎、生麦の長太郎、大師の竜平、日吉の隠居の代理、住吉の又五郎を引き連れて代官所にきた。又五郎によると日吉の隠居はお迎えが近いほど衰弱しているらしい。
続いて戸塚の友蔵が駕篭に乗ってやって来る。まだ足の具合が悪いそうだ。だが目は生き生きとして以前の輝きを取り戻している。
それから磯子の千ノ助が子分も付けず一人で、帷子の染吉が子分筋の保土ヶ谷の公介と現れ、恩州中の貸元がここに集結した。皆慇懃に門番に挨拶して代官所に入る。貫禄は下でも相手は役人だ。ここは何事もないように進む。広間には酒肴が並べられていた。
「役人にしては気の効いた趣向ですな」
保土ヶ谷の公介が言った。
「席順はどうしましょう」
友蔵が言うと、
「まずは鶴見の貸元がお座り下さい」
と帷子の染吉が口を開いた。
「じゃあ、そうさせて貰うよ。だがウチの三下どもは下座の下の方にしてくれ。こいつらはいっぱしの親分面してるがまだまだ俺の助けがないとなんにも出来ないんだから」
口の悪い文吉。
「仰る通りでございます。我らは下座に」
熊太郎が頭を下げた。
「友蔵さんは好きな所にどうぞ。身体がまだ不自由でしょう」
染吉がいう。どうもこの男仕切りたがりのようだ。友蔵は文吉の横に座る。
「お前は文吉一門の下にお邪魔しな」
染吉が保土ヶ谷の公介に言い、熊太郎達と席の譲り合いをする。ここまでは和気あいあいだったが、
「千ノ助貸元は右の上座へ」
染吉は同格の千ノ助を立てた。それに対し千ノ助は、
「うぬ」
と聞こえるか聞こえないかという声で頷き、遠慮なく座る。一気に座の空気が冷ややかになる。
「じゃあ、私は千ノ助貸元の横に失礼いたします」
千ノ助と好対照に明るく努める染吉。
「うぬ」
頷く千ノ助。別に機嫌が悪い訳ではないようだ。
すると、
「お代官様のお成りぃ」
と声がして、代官と二人の与力、堀十郎太と岡村主計が入室して来た。
「一同の者面を上げられよ」
代官が言う。
「それがしが六浦代官、草刈小十郎である。よろしく頼みます」
「草刈!」
文吉一門が腰を抜かした。
(佐吉の野郎! 本当に腰が抜けたぜ)
文吉は思った。
「驚きの段、充分承知しております。それがしとてこの辞令には驚いております。まあおそらく、兄新九郎の動きを抑えるのがお上の考えでしょう。しかし、それがしは与えられた仕事は手抜きなしにやらなければ気が済まない性格です。ですので事実上恩州を動かしている皆さんに忌憚なく意見を承りたい。そう言う気持ちで今日の席を求めました。皆さん遠慮なく意見を伺いたい」
気難しい兄と比べ、小十郎は明朗快活、はっきりとした物言いで、各貸元は戸惑ってしまった。そんな中染吉が、
「ならばお代官様、先日の六浦湊の浦五郎の死、それによって生じた広大な空白地。これをどうしますか? ことによっちゃ、また大喧嘩になりかねません。いい案はございますか」
と尋ねた。それに対し小十郎は、
「それがしに腹案があります。文句も出そうですが最後まで聞いて下さい。浦五郎の縄張りの跡地は、代官所の直轄地とします」
「ええ」
「なんだそりゃあ」
「悪代官の仕業だ」
という声が下座から上がる。文吉は渋い顔。染吉、友蔵はあっけにとられ、千ノ助は両目を細めた。
「だから話しは最後まで聞いて下さい。旧浦五郎の縄張りを代官所直轄地にする代わり、貴方達の縄張りの年貢量を今の半分にします。そうすれば旧浦五郎の縄張りを争う事なく均等に分けられる。民の生活も楽になる。どうです? 無駄な喧嘩をするよりずっといいでしょう」
小十郎は自信ありげに話した。
「湊はどうするんで」
千ノ助が初めて口を開いた。
「湊も直轄地とします。ご不満ですか」
「いえ」
「ええと、賭場は開いてようがすか」
染吉が聞く。
「それがしの口から良いとは言えませんがイカサマなしのお遊び程度なら取り締まることもありますまい。だが年貢の減少で利益は増えるのだから真っ当にやって欲しいですね。貴方達には博徒でなく名主、庄屋になってもらいたい」
「ううむ」
皆、考え込んでしまった。
「他国のやくざが喧嘩を売って来たらどうします」
また染吉が聞く。頭の回る男だ。
「その時は皆で一致団結して戦いましょう。それがしとて腕に覚えあり」
それを聞いた文吉は、
「ああ、なんてすばらしいお代官様が来たもんだ。みんな、乾杯しようぜ」
と言うと立ち上がった、立つのが辛い友蔵以外の皆も続く。
「恩州の未来と、小十郎代官様に乾杯」
これをもって恩恵国は政治的に固まった。小国だからこそ成せる技かもしれない。
「ああ、そうだ」
友蔵が言った。
「こんどの六浦湊の件でお兄様の新九郎様、私の子分、仁八郎たちが凶状旅を続けています。どうぞ、ご赦免状を」
「うむ。仁八郎以下には赦免を出そう」
「新九郎さんは」
「兄はこの国に必要か。いつも騒動の主役なのではないか? 兄は因果な人だから」
小十郎は新九郎への赦免を出し渋った。
「騒動に巻き込まれるのは新九郎さんの責任ではありません。運がお悪いのです」
下座から長太郎が発言した。
「国内に争いが消えれば騒動もないか……しかし今度は他国を巻き込みそうな予感がする」
これに文吉が口を出した。
「お兄上は日頃はボケーっとして動物達と遊んでるような呑気な人です。悪いのは飲んでいる薬です。あれさえ、取りあげれば大丈夫ですぜ」
「そうか、ならば赦免状を出そう」
ようやく小十郎も納得した。
そのころ、藤沢宿。
薬の副作用で寝込んでいた新九郎は少し持ち直し、風呂にでも入ろうかと言う事になった。この宿の湯は温泉で疲労回復、怪我などに良いと言う。早速入ると、先客がいた。
「邪魔するぞ」
新九郎が言うと、
「へい」
という返事。湯気の向こうに美男の顔が見えた。
「お主、銀ノ助と言ったな」
美男が新九郎の顔を見る。
「貴方は、鶴見一家の?」
「そうだ」
「確か新九郎様。いったいなんでこんな所に」
「凶状旅の途中だ」
「ああ、ついにやっちまったんですね。そうなると思った」
「事の成り行きだ。仕方ない。それよりお主はなにをしておる」
「ええ、実は指を怪我しまして湯治です」
「指をどうした」
「たか……高い所から野良ねこに齧られまして」
「ふふふ、ねこに噛まれるとは、やっぱりお主は悪人だな」
「ご冗談を」
「そうだ、それがしの知っている者に、鷹に指を齧られたものがおる」
新九郎は銀ノ助を睨んだ。
「存ぜぬか」
「存じません」
そう言うと銀ノ助は風呂を出て行った。
「やっぱりあの者の口調、甲州なまりがあるな」
一人呟いて、新九郎は湯を楽しんだ。
三日後。
新九郎は回復し駿河に向かう事となった。まだ、足元がおぼつかないが、青に乗れば大丈夫だろう。その支度をしていると、
「ご赦免、ご赦免だよ」
と叫びながら走る男が居る。男は宿の前に居た青を見て、
「あれ、青でねえか。あたいだよ。権太だよ」
と青に抱きついている。
「おい、権太。いかがした」
宿の窓から新九郎が顔を出すと、
「あれ、新九郎さん、あんた駿河じゃなかったのかい。あたいはそんつもりで沢山の旅費を頂いて来ただ」
権太は叫んだ。
「それは物足りなかったな……ところで赦免と言っていたが我らにそんなに早く赦免状がでたのか」
「そうだ。聞いて驚くな。新しいお代官様は新九郎さんの弟さんだでよ」
「小十郎が……」
「とにかく大手を振って鶴見へ帰りましょう」
こうして新九郎の凶状旅は駿河の大親分にも大目玉の大親分にも逢わず、わずかひと月あまりで終わった。
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