白馬銀ノ助

 鴨居との喧嘩が終わり、ようやく文吉一家に平穏な日々が戻って来た。梅の花がちらつき始め、寒さに中に春の気配を感じる。そんなある日。

「恐れ入りやす」

 玄関から声がする。

「へい」

 と勘八が出向くと、三人の旅人が立っていた。

「お控えなさって」

 旅人の一人が仁義を切る。

「あんさんこそ、お控えなすって」

 勘八が返す。

「それでは仁義にかないません。あんさんから、お控えなさって」

「それではお言葉に従いまして、控えさせていただきます」

「さっそくのお控えありがとう存じます。わたくし生まれは信州でございます。信州白馬の銀ノ助と申す、駆け出しでござんす。そして後ろに控えるのは」

「大斧でございます」

「こ、小斧」

「実は我ら凶状旅、本来なら見ぬ振り、素通りが作法でございますが、この小斧が食あたりを起こしまして、難儀をしております。無作法ながら一宿お願い出来ませんでしょうか」

「そういうことなら、作法は無用、小斧さんを客間にすぐ運びましょう。誰か医者の手配を」

 勘八はてきぱきと事を進めた。利兵衛に熊・虎・竜がいない今、古参の彼が事実上の責任者なのだ。

「ありがとう存じます」

 礼を言う銀ノ助を見た勘八は吃驚した。銀ノ助の容貌はまるで二枚目役者、やくざの世界にいるには惜しい。それに礼儀正しく、一挙手一投足が美しく、様になっている。

「お公家さんの落とし胤か」

 頭をひねる勘八であった。


 しばらくして、銀ノ助は文吉に対面した。

「凶状旅だってな。難儀な事だろう」

「へい」

 神妙に応える銀ノ助。

「一体、どうして凶状持ちになったんで」

「お上の御威光を笠に着て女子に淫らな行為をしようとした下種侍を斬っちまったんです。いかに、卑劣な野郎でも侍は侍。あっしは子分の大斧、小斧を連れて信州を逃げ出したんです。まあ、男として後悔はありませんが子分衆には苦労を掛けて申し訳ない限りです」

 銀ノ助は下を向いた。

「えらい。あんたはえらいぜ」

 文吉は感極まって、

「白馬のう、あんたは小勢でも立派な親分だぜ。お上だって馬鹿じゃねえ。下種野郎のふざけた振る舞いもいずれ知れよう。すぐに御赦免がでるさ。それまで俺のところに居るが良い。なあ、そうしなよ」

 と銀ノ助を誘った。

「ありがてえお言葉で」

 銀ノ助は平伏し、

「では小斧の看病をしますんで、失礼いたします」

 と客間へと去って行った。

「近頃にしては珍しく清々しい、やくざだぜ。おい凪、お前の婿に取ろうか?」

 文吉は軽口を叩いた。

「わたしはお断りですよ。あの人、隙がなさすぎる」

 凪が心底嫌そうに言う。

「そうかい」

 文吉の顔が渋くなった。


「よう、小斧。加減はどうだい」

 白馬銀ノ助は布団にくるまっている子分の小斧に声を掛けた。

「いやあ、加減もなにも……腹が減ってしょうがありません」

 と言いつつ腹を押さえる小斧。「グーッ」と虫が鳴く。

「ふふふ、そりゃあそうだろう」

 銀ノ助が笑うと、

「もう治ったって事にしてもらえませんか」

 小斧が泣きごとを吐く。

「駄目だ。今夜一晩くらいは飯抜きしないと格好がつかねえ」

 銀ノ助が突っ撥ねると、

「ひえぇ、後生だ」

小斧は布団にひっくり返った。

「なに、夜にこっそり握り飯でも持って来てやるさ」

「ありがてえ」

「ところで大斧はどうした」

 銀ノ助はもう一人の子分、大斧の消息を尋ねた。

「気晴らしに散歩だって言ってましたがね。たぶん賽子転がしの様子でも見に行ったんでしょうよ」

 小斧が答えると、

「大斧は博打嫌いだぜ。おそらくは文吉の貸元としての器量を探りに行ったんだろう」

銀ノ助は推量した。

「器量ねえ……親分はどう見たんで」

 小斧が尋ねる。

「まあ初見としては、穏やかそうに見えて相当な勝ち気だ。北恩州を束ねるにふさわしい男よ」

 銀ノ助が顎をさすった。

「すごい褒めようですね」

「だが欲が少なそうだ。生き馬の目を奪うのがこの渡世。俺だったらとっとと南に出るがね。その気がなさそうだ」

 短い時間の対面で銀ノ助はここまで文吉を見ていた。なんという眼力。

「へえ」

 小斧が感心すると、

「まあ、南恩州に出られて相模にくっ付かれても困るから、このまま鼻毛でも抜いていて貰いたいな」

銀ノ助が言う。

「そうですね、下手に力を付けられてウチらの仕事にケチ付けられても困りますからね」

「そう言う事」

 銀ノ助はその美形に似合わず、何か腹に一物あるらしい。果たして何を考えているのか。

 その時、

「誰か居るのか。昼寝の邪魔だ。もっと小声で話せ」

襖の向こうから声がした。

「相済みません」

 銀ノ助は少々肝を冷やした。

「まあよい。眠気も覚めた。ちょっとこっちへ顔を出さぬか」

 襖の奥の声が言う。

「へい、ただいま」

 銀ノ助は恐る恐る、奥の間に入った。そこには、なぜか猫にまみれた浪人者が無表情に座っていた。

「お主は誰だ」

 浪人者が尋ねる。

「へい、文吉貸元に草鞋を脱がせて貰いました、銀ノ助と申しやす」

「そうか、それがしも厄介になっている草刈新九郎だ」

「新九郎様で……」

 そう言った銀ノ助は一点に目を留めた。

「どうした」

「ええ、その刀……」

「これがどうした」

「『春雨丸』ではございませんか」

「お主、目利きだのう。まさしく『春雨丸』だ」

「しかし、噂に聞いた話しじゃ、『春雨丸』は身につけた者を不幸にするため武田大膳大夫が身延山に奉納したとか聞きましたが」

 銀ノ助が刀剣に精通している所を見せる。

「ああ、あれは対の一振り『秋雨丸』よ」

 新九郎が何ともなしに答える。

「『秋雨丸』……。それは初耳でございます。しかし、『春雨丸』をなぜお武家様がお持ちで」

 銀ノ助が尋ねると、

「ああ、我が父が刀の蒐集家でな、どんな伝手があったか知らぬが手に入れたものよ。それを、それがしに譲ってくれたのだが、しかし、伝説どおり、それがしは不幸の連続でな、ははは、今はやくざの厄介者よ」

 新九郎は自虐した。

「ご冗談を」

「冗談ではない。ところで、お主の長脇差……同田貫ではないか」

 今度は新九郎が目利きぶりを発揮する。

「へい、御慧眼で」

「身分不相応だな。同田貫といえば京の萬屋先生のお気に入りではないか」

「へい、この一振り、その萬屋先生から頂きました」

 萬屋先生こと萬屋錦太郎は世に名高い剣客である。そのような名士とつながりがあるとは銀ノ助、やはり隅に置けない。

「ちょっと見せてくれ」

「へい」

 銀ノ助は刀を渡した。

「よく手入れしてあるな。しかし、やくざの長脇差なのに人を斬った形跡がない」

 刀を眺めながら新九郎が呟く。

「あっしは人を斬るのが嫌いです」

 銀ノ助は言った。

「ほう」

「あっしが使うのは長脇差ではなく、こっちのほう」

 銀ノ助は自分の頭を指差した。

「ふうん。頭で人を殺すか」

「えへっ」

「長脇差にはないが、お主自身には血の匂いがする。そうとうやってるな」

 新九郎はニヤッと笑った。

「お戯れはほどほどに願います」

 銀ノ助が頭を垂れた。

「そうだな……ところでお主、どこの出身だ」

「信州でございます」

「信州……それがしは甲州かと思ったが」

「よ、よく言われます。おそらく、甲斐の兄弟分のところに長く居ましたので……」

「そうか」

「では、子分の看病がありますので、あっしは戻らせていただきます」

 退出する銀ノ助の白い顔は、ますます白くなっていた。

 客間に戻って来た銀ノ助を見て、小斧が言った。

「親分どうしやした。顔色が悪いですぜ」

「ああ、奥の間に化けもんが居た」

「化けもん?」

「小斧、病のふりは今夜までだ。明日にはここを立つぞ」

「え?」

「あんな化けもんを飼っているとは、文吉の奴……。前言撤回だ。小国となめてかかった恩州だが……事によっては面倒なことになるぜ」

 銀ノ助は片頬を歪めた。


 一方、ひとり外出した大斧はやくざ独特の嗅覚で賭場を見つけていた。入ってみる。

「あれ、お客人、手慰みですか」

 帳場には勘八が座っていた。

「ああ、遊ばせてもらうよ」

 大斧は無表情に言う。

「なら札を貸しますよ。ただし三両までだ」

「三両?」

「ええ、ウチの賭場は、堅気一両、渡世人三両までと決まってるんですわ。大勝ちも大負けもいけねえっていう親分の方針でね」

「へえ、変わった方針だな」

「ウチの親分は賭場で稼ぐ気がないんでさあ」

「ますます変わってる」

 大斧はそういって三両出した。

 賭場では竜太郎に代わり、長太郎が壷を振っていた。じっとそれを眺める大斧。

(いかさまはしてないな)

 大斧は感心して座に着いた。場の雰囲気は通常の賭場にある重たい雰囲気はなく、純粋に博打を楽しんでいる感じがする。

(これじゃ双六だぜ)

 しらけた気分になった大斧だが、それでもしっかり十両ばかり稼いでその場を立った。

「もう、お帰りで。二十両までは儲けていいんんですぜ」

 勘八が言う。

「儲けにも限度があるのか」

 驚く大斧。

「言ったでしょ。大勝ちも身を崩す元でさあ」

「なるほど」

 大斧は初めて笑った。


「……という訳です。ここは変わってる」

 客間に戻って来た大斧は銀ノ助に報告した。

「面白いな」

 銀ノ助はそういいながら考え込んだ。

(文吉はやくざじゃねえな。侠客だ。敵に回すと手強いかもしれねえし、決して俺たちの味方には出来ねえ。懐に食い込んでいる今のうちに始末するか……)

 天井を見つめる。

(駄目だ。隣の化けもんが黙っていねえ。ここはおとなしく退散しよう)

 銀ノ助はそう決意すると努めて、善人面を作った。


 翌日。

「もう、出立するのかい。病人には酷じゃないか。遠慮はいらねえんだぜ」

 暇を告げた銀ノ助に文吉が言った。

「ありがとうございます。しかし小斧も元は頑丈な男。一晩ですっかり良くなりました。それに万が一貸元にご迷惑をお掛けしてもいけねえ」

「そうか、じゃあ少ないが餞別を受け取ってくれ」

 文吉は五十両差し出した。

「いえ、それには及びません。昨日、大斧が賭場でたんまり稼がして頂きましたから」

「そうかい、遠慮深いなあ」

 感心する文吉。

「では、失礼いたします」

 そう言うと銀ノ助一味は文吉の家を出立した。

「近頃にねえ、良い男だったな」

 文吉が呟くと、

「そうですかねえ」

 と部屋に入って来た新九郎が言い返した。

「お武家には渡世人の事は分かんねえよ」

 文吉はプイッと横を向いた。


 二十日後。甲州竹竿村。

「兄貴、今戻りました」

 銀ノ助が一軒の屋敷に入って行った。

「おお、銀か。ずいぶんと遅かったな」

 中から小柄で、でっぷりと太った男が現れた。

「すいやせん。相模に行ったついでに恩州も見て参りやした」

「恩州? あんなちっぽけな国に行ってどうすんだ。この、馬鹿野郎」

 男が銀ノ助を叱る。

「いえいえ、恩州を甘く見ちゃいけませんぜ」

 銀ノ助は言い返した。

「なんだと。訳を早く言え」

 男は随分とせっかちなようだ。

「いえね、相模のやくざは思った以上にたいしたことはありませんでした。みんなでけえ面をしてましたが所詮は山賊、百姓、漁師上がり、大仰な態度の割には気の小ぃせい、度量のない奴ばかり。『貸元』なんて呼ぶのもおこがましい。小田原の右衛門からして看板ばっかりでかくて中身は賽子くらいの大きさだ。

もっとも、小田原は兄貴が城代様に話しをつけてくれてるから動けやしねえでしょうがね」

「そうだ、お前の言う通り賄を散撒いてるからな。それより、恩州の話しをしろや。まどろっこしい」

 男は怒る。しかし銀ノ助は平気な顔で、

「あっしも恩州は小国と侮ってましたが、考えれば恩州は甲斐と同じでお上の直轄地。ここと一緒でやくざの宝庫でした」

「ふうん」

「数が多いだけ、見所のある奴が沢山いました。一番ふんぞり返ってる六浦湊の浦五郎はたいした玉じゃねえが、帷子の染吉、戸塚の友蔵、磯子の千ノ助なんかは一廉の者でした。それに……」

「それになんだ」

「北恩州の鶴見の文吉。こいつは大物でさあ」

「だからって、相模攻略に恩州は関係ないだろ」

「甘いぜ、兄貴。あんたが相模を狙ってるとしれたら、相模の奴ら、どこかに助太刀を頼むだろうよ。そうすると……」

「駿河の丸長に決まってんだろう。野郎の首級、今度こそ取ったるぜ」

 男はいきり立った。

「いや、駿河は箱根の関を越えない。せいぜい名代に大波、小波が出て来るくれえだ」

「そうか」

「それより恩州だ。交通の利便がいい」

「なるほど」

「だからよう、早めに手を打った方が身の為ですぜ、兄貴」

 そう言うと銀ノ助はニヤッと笑った。

「そうだな」

 男……甲州一凶暴な博徒と呼ばれる、竹竿の安五郎はギロッと銀ノ助を睨んだ。

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