奇跡だよねっ

テルミン

第1話


田中泰子は、もはや完全に後悔していた。


(なんでこんなことに…)


大学の友人と久しぶりに楽しく飲んで、いささか気分が良くなっていたのかもしれない。


だけどそれは全然悪いことじゃない(注釈:もちろん泰子は二十歳を越えていたし、未成年者に飲ませたわけじゃない。悪酔いして他人に迷惑をかけたわけでもないし!)。むしろ、日頃のストレスを発散するという意味では良いことだ。それでも今、泰子が後悔しているのは、黒いローブをまとった怪しげな占い師によって、意味不明な呪文をかけられている現状を生み出した自らの軽率さによってだ。


友人と別れた後、泰子は酔いざましに、夜の街をふらふらと歩いていた。

だんだん顔の火照りも落ち着いて駅に向かおうとしたとき、不意に声をかけられた。


「おねえさん、あなた、お悩みがあるんじゃないですか?」


泰子は突然湧き出た声に驚き、辺りを見回した。泰子の周囲に人はいない。自分が声をかけられたのにも、どこから声が聞こえてくるのかも分からないことも予想外のことだった。


「こちらですよ、おねえさん、そうこっち。さあ、お掛けになってください。」


泰子が左斜め後を振り返ると、黒いかたまりが小さな机を前に置いて、こちらに手招きしている。

いつもの泰子なら、怪しい奴!と、一瞥するだけで、そのまますたすたと歩き去っていただろう。しかし、今日の泰子は恐いものなしな気分だったし、事実、悩みはあった。


吸い込まれるように、いつのまにか黒い物体の前の椅子に泰子は座ってしまっていた。


「一目見て分かりましたよ。あなたは今、自分の将来に関わるような重大な悩みを抱えていると。私はあなたの力になりたいのです」


泰子は、はあ、と頷きながらも、占い師の持つ一種独特の空気に飲まれつつあった。それに、泰子自身、占いを信じる方でもあった。


「さあ、少しだけあなたの心の内を開いてください。そうすれば、私には未来が、あなたの進むべき道が見えてきます。あ、で、料金はこちらになります」


泰子にかかりつつある魔法は解けた。今まで占い師は、くぐもったような声、もともとそんな声なのか、若い女性が演技して出しているのかよく分からない声をしていたのに、料金のことを言うとき、ちょっとだけ声が高くなったのだ。営業用のような。

よくよくこの占い師を見てみると、なんだか胡散臭い気がしてきた。街頭に照らされた黒いローブには、慌てて引き出しから引っ張りだしてきたのか、所々糸くずがついてるし、安っぽい机の下から覗く足元にはスニーカーが見える。


泰子は逃げ出しくなってきたが、占い師はすでに瞑想らしきことを始め、本当に水晶玉なのか、それともただのガラス玉なのか、これまた胡散臭い、とにかく透明な球状の物に向かって念を送っている。すると突然、占い師が、


「ホンニャーラー、ハラミーター、ホンニャーラー、ハラミーター」


と、何やら般若心経のまがい物みたいな謎の呪文を泰子に向かってかけはじめた。


泰子はびっくりするやら恥ずかしいやらで、ピシッと固まってその場を動けずにいたが、失敗したな、という思いは全身を駆け巡っていた。


「はいっ。ええ、今、私と水晶玉とあなたは一つに繋がりました。ではあなたの悩みを話してください。そうすれば、この水晶玉にあなたの未来が映し出されます」


(お金を出して愚痴を聞いてもらえるなら、そんなに高くもないかもな)

この時点で、2000円をドブに捨てることを泰子は決意した。帰りの電車賃ぐらいは残るはずなので、割とあっさりあきらめもついた。


泰子は、そんなあきらめの境地の中、開き直りともいえる調子の良さで語りだした。


泰子には、付き合って二年ほどになる彼氏がいた。同じサークルの一つ上の先輩で、泰子がサークルに入って一年するかしないかのうちに、自然と付き合いだした。


彼は、不思議系というか少しヘンな人物で、それは泰子にとっては魅力でもあったのだが、周りが就職活動で忙しくしている間も、何にもならないような作詞活動?とやらを続けていた。


泰子も大学三年生になると、将来のことを考え出し、目の前にいる一つ上の先輩の彼氏がどうしようもない人間のような気がしてきたのも事実だった。

そんなある日、泰子は彼氏の部屋に呼ばれて、こいつはほんとの馬鹿だ、と確信せざるを得ない告白をされた。


彼曰く、

「おまえも分かってると思うけど、俺は日本で小さく収まっているような人間じゃないんだ。俺はロックに生きることを宿命づけられているんだ。だから、俺はアメリカに行く!」とのこと。


泰子は笑顔で彼を送り出した。

「がんばってね(私には関係ないし)。きっと夢を叶えてね!(もう好きに生きればいい…)」


と、こんな具合で

「自然に」

彼と別れた泰子ではあったが、一ヶ月もすると段々彼が恋しくなってきた。彼と一緒にいる夢ばかり見て、夜中に目が覚める日もあった。いつの間にか、彼に会いたくなっていた。


でも、どうしようもないのが事実だった。彼を探すにはアメリカという国は広すぎたし、彼の連絡先も全く分からなかった。

彼を思い、身悶えする日が続いた。


「―とまあこんな感じなんです。一目でいいから彼に会いたいんです。まだ自分で割り切れてなくて…」


「見えますね」

「えっ?」

「見えます。ええっとこれは…森?いや公園?何か心当たりがありませんか?あなたの思い出の場所に」


占い師は水晶玉であるかもしれない物体に集中している。泰子は思わずそれを覗いてみた。とても何か映し出されているようには見えない。


「どうです?あなたの記憶の奥底に眠っている何かがありませんか?うーん、そう、ベンチ…白いベンチが…」


記憶の奥底どころか、記憶のそこらへんに何かはあった。


「ええ、そうですね。彼とはよく公園に行きました。ベンチに座って、時間も忘れて話すこともありました。でもそれが何か…」


「あなたと彼は、その場所で再び出会います。会えるとすれば思い出の強い場所―そしてそれが公園のベンチであるのが見えたのです。そうベンチが見えましたね…間違いないです!ふーっ。では2000円を」


占い師は一息つくと、ぺこりと一礼した。


この占い師は本物だったんだ、という気もしてきたし、何だか気味も悪くなったので、恭子はそそくさと2000円を置くと、バタバタと急ぎ足で駅へと向かった。


後ろから、

「ありがとございまーすっ」という、営業用の明るい声が聞こえてきた。



占い師に占ってもらった週の日曜、泰子は思い出の公園にいた。完全に信じたわけではないが、あの占いは偶然にしてはできすぎていて、もしかすると、という気がしたのだ。


泰子は、真っ直ぐに、いつもの、ベンチに向かわず、公園を一周ぐるっと回ってみた。もしかするともしかした、ときのためにあれこれ考えていたのだ。


会ったら何を話そうだとか、今日の服は変じゃないよねだとか、これからどうしようだとか。


あれこれ考えていると、このまま公園を二週回ってしまいそうなので、泰子は覚悟を決めて、ベンチへと向かった。


ベンチは公園の真ん中にある、ちよっとした広場になっている場所にあった。いくつかあるベンチの中で二人が座るのは決まっていた。


泰子がやって来てみると、日曜であることもあって家族連れが多く腰掛けていた。


泰子がキョロキョロとベンチに視線を移していると、その中の一つに―そう、いつもの場所に―誰か座っているのが見えた。泰子はまさか、と思いながら、ゆっくりと近づいていった。近づいていくにつれ、まさか、は確信に変わっていった。


(彼だ!絶対に彼だ!)


泰子は高鳴る鼓動を抑えながら、もう彼の目の前といえる場所にまで接近した。


一方、相手の方は、ノートに何やら熱心に書き込みながら、

「違うな」

とか

「これか!」

などと呟いている。


泰子はおそるおそる、

「あのう…」

と声をかけてみた。


彼は、顔を上げると一瞬驚いたように、そして満面の笑顔になった。


彼は、

「信じられない!」

と言いながらノートを投げ出して立ち上がると、泰子と手と手を取り合える距離にまで近づいた。


泰子は何も言わず、彼に抱きついた。目からは、我慢しようとしても涙が出てきた。


彼は泰子をギュッと強く抱きしめ、

「会いたかったよ」

と言った。泰子は何とか声をひねり出したが、涙で、

「わだじぼっ」

となった。


しばらく二人は抱きしめあった。空白の時間を埋めるように抱きしめあった。


その後、泰子は少し落ち着くと、彼から離れ、改めて彼の顔を見た。前より彼は、ずっと素敵になった気がした。何だか、男らしくなっていた。


(きっとアメリカが彼を大きくしたのね!)

そんなことを思いながら彼に見とれていた。彼は、泰子の両肩を掴んだ。


「ごめん、俺、帰ってきたら、すぐお前に連絡しようと思ったんだけど」

彼の顔が暗くなった。

「俺、アメリカで全然通用しなくて…言葉も分かんないし…金も尽きちゃったし…で、帰って来ちゃったんだ」


泰子は、いいんだよ、大丈夫、といった具合に頷く。


「でも俺、アメリカにいてもお前のこと忘れなかった!忘れてた、大切なことも色々思い出した。それで… 」



そこで彼は、一度言葉を切った。その後に続く言葉を想像することは、泰子にとって簡単に思われた。何度も想像してきたことだったし、夢見たことだったからだ。



(「それで…泰子、もう一度、俺と付き合ってくれないか。一生大切にするから!」

って。私は少し間を置いて、もちろん答えはイエスよっ!)


しかし、その期待は数秒後に、百万光年の彼方へと消え去ることになる。

「あ、あのさ、一年前、あそこのイタリアンレストランで3000円奢ったの覚えてるよね!ほら、コースのやつ!あのときの金、返してくれないか!今、金無いんだ…」

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