第37話 黄泉の刻印




 ”送転陣”を抜ければ――、そこは空宙だった。

 全身を包む大気の質の違いが瞭然りょうぜんたるもので。


「ぐべっ」


 大広間の高い天井付近からの落下なのだから、衝撃がすごい。

 肉体に痛がる暇を与えることなく、転がって飛び跳ねる。


 唐突に嵐のような戦場の中に放り込まれたからか、身体の器官が悲鳴を上げる。

 鯨波げいはのうねりと猛り狂う者が引き起こす地響きに、目まい、動悸どうき、吐き気、耳鳴り。


 それらに構うことなく、バッ、バッと手早く目に焼いた光景を脳みそへ送り、素早く咀嚼そしゃくする。

 狭間の広間――、冒険者達は半数近くに減っているような――、先に赤い受転陣、ここは”青”寄り――、周り、カレン、猫耳、赤毛、黒髪少女が動揺。


 天井から転移(落下)したことか。


「アッキーっ」


「はいっ、恐らく送り側は『玉座の間』でしたので、何か”乱れ”の干渉が起きたのかも」


 それしかないよな。

 魔王、魔王、魔王――冒険者の群れ、魔王、魔王、魔王。

 何度見回しても、足りない。


「カレンには幾つに見えるっ」


「上も下も物陰も。私の眼にも四体目が映りませんっ」


「ルーヴァも焦ってるにゃっ」


 声だけを飛ばし合い、臨戦態勢のまま気配を探る。

 回る回る、回る戦場に、長い柄のハルバードが弾け飛ぶ。

 広間の中央から、水切り石のごとく地面上を跳ね、転がる肉の塊。

 戦闘中のデカルト隊隊長は発見。

 マサさんはむくりと起き上がれば、武器を見捨て魔王から敗走する。


「マサさんっ、マサさあああんっ」


 叫びながら、マサさんを捕まえに駆ける。


「おお兄ちゃんっ、やっと来たか。これで赤の魔法陣を守らなくて済むなっ。結構大変だったん――」


「マサさんっ、まずいことになったかも知れないっ。魔王が、魔王の転移が上手く成功しなかった」


「魔王なら、俺の後ろにいるだろ」


「三体はいる。けど俺達が送ったはずの黒の魔王がいないんだよっ」


 俺は相手の太い肩を掴み、揺すった。

 やはり肩越しで映る光景に、四体の影はない。


「ああ兄ちゃんは、見てなかった――見れるはずもねえか。それだがよ」


 戦いの誇りに塗れるドロドロの顔。

 広角が上がれば、泥の白粉に亀裂が走り、まさしく破顔となったそれだが。


「すまねえな。あんまりにも魔法使いの兄ちゃんがもたもたしてっから、今しがた俺達で一体仕留めた」


 言葉の意味を理解した瞬間、脱力してしまう。


「あはは、じゃあ、あそこにいるのは俺達が召喚した魔王なんだね」


「おう。あの野郎がそうだ」


 広間の大半を陣取る三体の魔王。その真ん中の獣が指される。


「まったく魔王ってのは、とことんムカつく、空気読めねえド畜生野郎でな。仕留めた矢先、士気が最高潮の時に空から降って――」


 ほんと、空気が読めない相手だ。

 マサさんの愚痴に平静を取り戻そうとした時だった。


 世界が紫色に染まる。


 魔王を取り囲む冒険者達、マサさん、俺、傍らの仲間達が『黄泉の刻印』の閃光を浴びる、


 体中が、一度きつく縄で縛られ解かれた後のそうな感触に蝕まれる。

 俺をのぞく顔を確認しなくても分かる。

 これが刻印なのだろう。


『――врагっ』


 憎悪を孕むような魔王の声。

 俺はそれに苛立ちを感じていたが、一方で『黄泉の刻印』が正しいものだったんだと気付かされる。

 世界が、命のやり取りを等しくしようとしている。


「……一体倒したんなら、早く残りも倒さないとな。分裂したら厄介だ」


 俺は睨み返す。

 巻き角の獣へ死を与えるべく、覚悟しろよと睨み返す。

 そうしてから、カレンを見た。

 凛々しい彼女の顔に、紫の印は刻まれることはなかった。


「やっぱ、カレンだな。日頃の行いがいいんだろうな」


「神頼みなどせずとも、戦況は押し切れます」


 さすがは討伐に選ばれた冒険者と、魔王を一体仕留めた彼らは賞賛する。

 けれど、魔王の数は変わらず三体、その内”黒”の魔王は元気なものだ。それに引き換えこちらの人間側は刻印者と離脱者を増やすばかり。

 激は激として、最善を曇らせてはいけない。


「カレン……滅殺魔法を今すぐ使おうと思う」


 黒の魔王はまず無理だろうが、他は十分に体力を削れている。

 一対全戦力なら勝機はぐっと近くなる。


「広範囲魔法は”巻き込み”だから、念のため、刻印持ちの人を下げて欲しいっ」


「駄目です」


「あとは、魔王を追い込む人にも体力回復を、ん? 『ダメです』って言った今?」


「ええ、そう言いました。イッサの状態が変わりましたので。イッサが言ったのですよ、滅殺魔法は”生命力”を使うと。SPはともかく、HPの全ての消費は私達でいう死です。そして、今イッサの顔には刻印がありますっ」


 叱られる感じで言われる。

 カレンに『ふんばーる』での対策まで言ってなかった気もするので、彼女を興奮させた原因は俺にあるような気がしないでもないけど、俺がお馬鹿さんみたいに思われてそうで、釈然としない。


「俺は――命に代えてでもっ、とかの熱血キャラじゃないから安心してよ。頭脳で困難を乗り越えるクールキャラだから」


 使用消費量の設定がない分、ゼロでない限りいつでも発動できそうな滅殺魔法。

 ただ、生命力と言い換えられるように、HPとSPを同時にすべて失うことになるようだ。


 なかなかHPとSPを同時に使うスキルなんてない。というか初なのだが、ゲーム的に考えると、よくある自己犠牲でとんでもない力を行使するやつだという解釈になる。


 それゆえに、俺の最強魔法への期待値は高い。


「刻印持ちになる予定はなかったけど、『ふんばーる』でHPは1残るから大丈夫。できればカレン達には、HPが1、SPが0の役立たたずになる俺を守ってほしいかな……なんて」


「分かりました。命に代えてでも、私がイッサを死なせません。アッキーもいいですね。ルーヴァも」


 カレンは自分の意気込みを、周りへと伝染させた。

 カレンらしい。

 ありがと。まあ、女の子達に守ってもらうことには情けなさを感じるんだけど。


「気負いしていたものが、楽になったよ。……俺達は冒険者。魔王を討伐するため立ち上がった魔法使いは、杖をかざし雷鳴を轟かす」


「騎士の刃は折れない。この身は仲間の盾となる」


「獣人の拳に砕けないものはないにゃ」


「僧侶の癒やしが届かない背中はありません」


「さあ、最後の頑張りどころだっ。行くぞ、皆っ」 





 広範囲魔法の一撃をすべての魔王へ食らわす。

 攻撃対象を漏らさずにと、俺達集団は一丸で行動を起こす。


 黒の魔王へ向けて、他二体の魔王を寄せる。

 味方の刻印者の後退を図りながら、全力攻撃によって敵を追い立てる冒険者達。

 数は五十から徐々に減り、今や半数以下となるが、次第に三体の魔王が中央へとその身を置くことになった。

 俺を堺に、後ろはアッキー、そして待機者が並ぶ。

 命を落とす者はいなかったと信じたいが、その数は数十人と少ない。


「……女神ジェイミー、力を」


 ざわっと、体質が変化する感覚が全身に走る。

 俺はスキルを発動できる状態へ。

 タイミングを見計らおうとした時、左の魔王が蹴り飛ばされた。


 素早く身を引く影は、俺の壁になるカレンの横を走り抜ける。

 そのままルーヴァが俺の後ろへ回れば、ここだと思い、更なる神の名を呼ぶ。


「女神クローディアよ。俺の呼び声に応えてくれ……」


 俺がレベル200超えを果たして覚えた滅殺魔法には、新しき神の名前が必要だった。

 一呼吸の後、女神からの応答は、体感ともに視覚でも分かるもので告げられる。


 魔法陣。


 俺を中心に足元から拡大された、緑色系の円の線。

 不明な言語が記される模様は、緩やかに回り続けている。

 スキル発動の前段階であるはずなのに、異様な圧力を発生している。

 質量とでも言えばいいのか、とにかく高濃度の力を感じる。

 魔法陣を描かれた大地が軋むようだった。


「イッサさんっ」


「イササっ」


 危険を知らせる仲間の声に、自分で展開した大規模魔法陣に呆気を取られていたことを知る。

 眼前には――何かを悟ったのか、獣の本性を剥き出し迫る魔王。黒の魔王の唸り声が、吐く息の熱を感じるほどに近い。

 だがしかし、俺が怯えることは毛ほどにもない。


「カレン、すまない」


「不要。言ったはずです。私がイッサを守ると」


 頼りになる騎士の背中がそう言えば、俺を襲った脅威をぐいぐい押しやるようにして遠ざける。


 俺は古代魔導師の杖をかざす。

 彼の者らを討ち滅ぼす力が集約するように、高々と掲げる。


 そうして、女神からの啓示スキルを、静かに唱えた。



「――新極星の天球アルテラスノヴァ


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る