第38話 俺は天国の扉をノックした



 刹那の暗転。

 すべてが深淵へ誘われたと息を呑んだ時、数多の星が輝きだした。

 暗闇は空の色であり、上も下もない宇宙の色だった。

 戦場だった場所は今、果てなき銀河として広がる。


 銀河の端に俺達が存在する。

 俺達以外の冒険者も、無論魔王も。

 ただ、ここに人の声や獣の声はない。圧倒的な光景と空間が言葉と動きを奪うのだろう。


 俺は寒気を覚えた。

 自分が唱えた想像を絶する滅殺魔法に、恐れを感じている。


 ライフゲージが赤い。

 発動した時点で、一度生命力の底をついたようだ。ライフゲージのポイントは微かな1だけを残す。

 それから、あらゆる方向から真っ赤に燃えたぎる星が集まり出したところで理解する。


 この魔法の広範囲は全てだ。ここにいる全ての者を対象にする。

 だからきっと、唱えた者も、俺もあの迫り来る星々の衝突に巻き込まれる。

 だからきっと――生命力のすべてを消費する魔法だったんだ。


「どうか、皆は耐えてくれ……俺には無理そうだ」


 死を。本当の死の局面を迎え、やっと揺り起こされた感情に身を委ねる暇もない。

 カレンには、ルーヴァやアッキーには、最後の微笑みを贈ればいいのだろうか。

 それとも涙を流しながら、ごめんと謝るべきだろうか。


 いやだ、まだ俺は、俺は――。

 星々の爆発を迎えることなく、意識が白く白くなって灰になった。










「――にたくないっ」


 明かりがあった。匂いがあった。地面があった。


「何!? なんの声――うわ、変な男がいる!?」


 俺を驚かす、俺の声に驚いた様子の女性の驚きは、俺の混乱に拍車を掛ける。

 とにかく、びっくりが一杯。


「失礼。呼び鈴もノックもないから、つい見たままのことを口走ったの。悪気や敵意はないから忘れちゃってくれるかしら。でも、私を襲うつもりなら容赦しないよ。元獣人だから一発でバーンよ、バーン」


 目の前では、空く手の方で拳を作り前後させ殴る仕草を見せつつも、微笑みを向けてくる青い瞳のお姉さん。

 長い金髪ブロンドを掛ける肩は白衣を羽織る。

 白衣の天使ではない方の、研究者っぽい白衣の美人。

 くびれた腰回り辺りで手にするマグカップから、足元へ視線を落としていけば、本や羊皮紙が散乱している。足の踏み場もないくらいに物が散らかる地面――。

 はっ、となって周囲の細部を見回した。


 洞窟の中のような質感を覚える。

 ランプを灯す天井や、本棚や机、クロスやボードで隠れていない壁は、あおさをもった岩肌を見せていた。


 『聖なる祠』に似た雰囲気が漂う部屋。

 しかしながら、規模はまるで違う。

 ほこらは冒険者の送られ先(教会送り)でもあるから、楽に三桁の人間を収容できる広さを持つ。

 けど、せいぜい一つのパーティが収まる程度の広さ……の上、出入り口らしきものが見当たらない。


 それにしても、この生活臭といい、この部屋はなんなんだ? 俺はどうしてこんな場所にいるんだ? ここどこ? そして、あなたは誰?


「ああこれ、違うのよ。私は掃除ができない女子ではないから、今、少し忙しくしてたからそれでなの。まさかお客さんが来るなんて、思ってもみなかったからね。そこんとこよろしく」


「その、……突然お邪魔してすみません。それで、お邪魔した俺が言うのはおかしいような気もするのですが、あの、ここどこでしょうか?」


「私の部屋。あー、もう私だけの部屋ではないのか。君の部屋でもあるから、そうだねー。『秘密の部屋』ってとこかしら」


 やや忙しくしながらも、ブロンドお姉さんはハキハキ俺の相手をしてくれる。ありがたいがしかし、全然答えになっていない。

 俺は申し訳なさそうにして、右手をそろりそろり上げてゆく。


「あの……」


「私はこの世界の探求者、学士がくしのトーワ。発音は永遠とわじゃないよ、トーワね」


「……俺は」


「自己紹介は結構結構。『調査スキャン』するから。別にいいよね? と尋ねつつ、うふーん。もう開始しているけど」


「学士に……スキャン?」


「魔法使いで言うところの情報取得アナライズね。でも、私のスキャンはスペシャルだから、同じとは言えないかしら。はい、サーチ完了」


 ポロンと可愛らしい音がなれば、俺の知らない職業『学士』さんなる者は、

すぐ後ろの椅子へ腰掛け、浮かぶ電子画面をふむふむ頷きながら操作する。

 俺はそれを眺めるだけ。


 そんな俺の頭の中では、疑問符が渋滞するばかりなのだが、一つ解消されつつあるのは、このトーワって人の人物像。

 概ね人の話を聞かないタイプ。これは間違いなさそうだった。


「イッサくん、イッサくん、はてはて、どこかで聞かされた覚えのある響き。それはそれとして、ほうほう、へえ、ああ、なるほど、君の方はここで女神クローディアを知るのか。魔王を倒したんだね。プレゼントはないけれど、おめでとう」


 どっから怪しめばいいっ。どっから考えればいいっ。

 魔王討伐はジェミコル。だとしても、倒したってなんのことだ。それに女神クローディアの名。


「トーワさん、俺が魔王を倒したって話を、俺は、俺は仲間達と戦っていた。魔王と戦っていた」


「知ってる」


「知ってる?」


「ログを追えば、大体の状況は把握できるわ」


「ログ?」


「イッサくんの主だった行動記録ログから推察しているだけだから。秘密事とかは知りようがないので、ご心配なく。イッサくんがどこどこの街へ行ったーとか、どんな誰とどんな戦闘をしたぜい! とか、そのくらいのものだから」


「そのくらいのものだから……て」


 理解し難いが、それってアナライズから考察できる範疇はんちゅうをとうに越えていないか。


「それより、トーワさん。魔王を倒したって話を詳しく聞きたい」


 俺は生きている。

 そう実感を得て間もなく、見知らぬ部屋で、見知らぬ女性が『おめでとう』と祝福をくれた。

 行動記録ログなら、結果ってことなんだよな!?


「……少し考えてしまったよ、イッサくん。兎を捕まえた猟師から、どうやって兎を捕まえたのか教えてくれと頼まれた気分だわさー。正直、この子痛い子なのかしら、とも思ってしまいました」


 冗談よ、と手の平がパタパタ宙を扇ぐ。


「『黄泉の刻印』のことでしょ」


「『黄泉の刻印』?」


「君は、オウム返しばかりなのね。うふーん。オウムくんと呼んじゃうぞお」


 楽しそうに肩をすくめられたが、もちろん刻印のことも気にはなっているさ。


「じゃあ先に。俺自身、ここにこうしてトーワさんと話せていることが不思議で」


「良かったわね、大量殺人者にならなくて」


「はい?」


「『アルテラスノヴァ』だったかしら。発動した時点で魔王の消滅フラグが立ってたみたいね。魔王の敗北が確定したので『黄泉の刻印』も消滅。だから、自滅した君が教会送り扱いになって、こうして秘密の部屋へいるわけだ」


「ちょっと待ってくれっ」


 会話を切るように、強く言った。

 この人から話をはぐらかそうとか、そういった不純な気持ちはうかがえないけど、どうにも求めている答えが返ってこない。

 それどころか、疑問ばかりが増える。

 俺あっぷあっぷだから、余裕ないんすよ。

 だから整理できるように、一つ一つ分かるようにお願いしたい――。


「何!? 声荒げちゃって。おお、忘れてた。サンクスサンクス、イッサくん」


 白衣の背中を覆うブロンド。

 ランプに炙られ、コポコポと煮え立つガラス容器がトングで掴まれる。

 添えられるウサギのプリントがあるマグカップへ、ガラス容器の中身の黒い液体が注がれる。


「ちょっとだけ温めるつもりだったのにー。これ火傷するわね。仕方がない、イッサくんはコーヒー飲む?」


 ウサギマークのマグカップが突き出される。


「……火傷するんですよね」


「お姉さんと間接チューできるチャンスだぞお。ちなみにこのウサちゃんマグは私のお手製ね。あと、この部屋にある物も私が持ち込んだ私物だから、そこんとこよろしく」


 勝手に触らないでねと、よろしくされた俺。

 俺は……諦めた。この人のマイペースさに苛ついても、どうしようもない。

 そうどうしようもない。俺は大人だ。相手に合わせてやるのも大人の嗜たしなみだ。


「人生悟ってます。そんな顔のイッサくんって、ザイル荒野の魔法使いイッサくんなんだね。弟、じゃなかった妹といい、ミロクとも接点あるようだし、世間て狭いものだわ」


 無意識だったのか。電子画面を見ながらに、湯気が香るコーヒーに口をつけ熱がった後、でも、と言葉が続く。


「お陰で助かったかな。同じ女神クローディアを知る者として、私は君に興味がある。しかししかし、残念ことなのだが、私は今非常に忙しい。一段落してから今度ゆっくりお話しましょうね」


 始終、気になるワードだけを吐かれて、お別れが一方的に告げられれば、こちらにトーワさんのお尻が向く。

 ガサゴソ狭苦しい机の上が漁られる。

 中腰で突き出されていたお尻が、お尻でなくなる。

 視線を上げれば、トーワさんの青色の眼差し。


「ねえイッサくん。ここにあったファイル知らない? さっきまでここにあったのよー。あの書類がないと先へ進めないのよー」


 知るわけがないので、困り顔で生返事するしかない。


「この世界の核心に迫る大切な資料なの。ほら、私達転移者って『エド』や『メイジ』時代の人っていないじゃない。よくて二つ前の『ショーワ』時代からでしょ。この辺りから違いを探ると、レベリングの概念が浮かび上がるの。概念は人と人とが何かを形成するのに、絶対不可欠な要素じゃない。だから私はそこに着目してるわけ」


 人差し指が立てられ、小難しそうな話がされるのだが。

 俺も一緒に、紛失中のファイルを探してくれってことなんすかね。俺にはそんな暇――。


「トーワさん。かなり真面目な話です。真剣に聞いて下さい。俺、ここから出たい」


「真面目な話、私に断る必要はないわよ? ここは私達の場所なんだから。それよりファイルよ、ファイル。もう、どこに行ったのよファイルちゃん」


 駄目だ、遥かに手強かった。

 ため息をつけば、部屋の隅にて、淡い光を放つ衣類の山に気づいた。

 物がやたらと転がっている狭苦しい場所を、足場を選びながら近づいて行く。


 ぐちゃぐちゃっと今盛り重なる衣類を、ぐわし、と抱え上げれば、そこから六芒星の光る魔法陣が顔を出した。


「これ、転移陣か」


 乗ってみたら反応があり、足元から風が巻き起こった。

 風圧で衣類が散乱する。

 顔の前を、下着がひらひらと舞う。

 淡いピンクだと、認識した頃には転移していた。


 覚えのある感覚の後、たまにお世話になる六芒星の魔法陣の上に俺は乗っていた。

 そして、大勢の冒険者の姿が広がる。


 ここは聖なる祠。

 そう判断するのに、多くの時間は必要としなかった。








 大丈夫だよと、俺はカレンの細い腰へ手を回した。

 頬の傍には黒くて綺麗な髪。


 いい香りがした。


 でも、それを口にしてしまうとカレンは怒ってしまうかも知れない。

 俺に抱きつく彼女は、きっと『こんな時に』と真顔で答えるだろう。

 俺はカレンを泣かせてしまった。仲間に酷く心配を掛けてしまった。


「どこにも、イッサだけがここにいませんでしたから、私はもしかしてと」


「地図画面を開いても、イッサさんの信号がどこにもなくて。ボク……本当に良かったです」


 聖なる祠の魔法陣のきわでは、アッキーも涙を拭う。

 本当に、ごめん。


「謝り足りないけれどさ。心配してくれて、ありがとう」


 そう気持ちを二人に伝え、転移魔法陣ある壇上から降りようとしたら猫が飛びついて来た。


「今度はルーヴァの番にゃね。イササ、たわわなルーヴァといっぱいハグハグするよろし」


「ちょ、おい、ル――ーばぐえっ」


 壇上の階段から転げ落ちた。

 地面に仰向けで寝転がれば、俺の顔をのぞく逆さの熊、いやマサさんと、俺達と一緒に魔王と戦った戦友達。


「ま、空気読んで、小言みてーになっちまうから言いたくねーんだけどよ。魔法使いの兄ちゃんのお陰で、俺達もほこら送りになっちまった」


「あはは……すんません」


 『新極星の天球アルテラスノヴァ|』は、相当な規格外の威力だったらしい。

 魔法は人間には、かなり軽減されてダメージとなるわけだが、あの場にいたほとんどの者が巻き添えで、ここへ送られて来たみたい。皆の衆、すまん。


「俺達の顔にあった刻印の消滅からするに、どうやら魔王は倒せたような気配だが。俺達にはそれを確認する責任がある」


 そこまで言うとマサさんは俺を引っ張り起こし、壇上の階段へ。


「野郎どもっ。俺達をこんな場所へ送った憎たらしい魔法使いが帰って来た。つまり、これで全員の顔ぶれがそろったわけだっ」


 熱のこもったマサさんの大声のお陰で、注目の的となる俺。


「今から俺達魔王討伐隊は再び黒き城へ出発する。なあに、ピクニックみてえなもんだ。気を抜くことは許さねえが、気負うことない。ちゃっちゃと仕事を終わらせた後は」


 マサさんが俺の腕を取り、ぐいっと引っ張る。


「その後は、俺達の英雄を自慢するために、意気揚々とベネクトリアへ凱旋だ!」


 誰かが、俺を呼んだ。

 誰もが、俺の名を繰り返し叫んだ。


 こうして聖なる祠は、魔王討伐隊が湧き起した歓声の熱だけを残して、俺達を見送ることとなる。

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