第30話 走る魔法使いの手綱は巫女が握る




 周りはしっとりひんやりした石壁が広がるばかり。

 薄気味悪くも、到底人の手が届きそうもない位置に並ぶ炬火きょかのお陰で、明かりには不自由しない通路に呼吸を荒くする男の息がひっそりと響く。


「絶対じゃぞ。絶対に金は払うのじゃぞ」


 えっほえっほとひた走る男の耳元に、約束を破ったらハリネズミを飲ますから――とかなんとか続く守銭奴少女のガメつい声が吐きかけられる。

 男はその首には銀髪少女の細く白い腕が巻き、胴には素足じゃ痛いのじゃ、と駄々をこねたその足から蟹挟みをされしがみつかれていた。


 そんな男――すなわち俺は、道具箱を担がせたサーシャを背負いながらカレン達仲間との合流を果たすべく、『狭間の広間』のある上階を目指し、ひたすらに足を前へ前へと押しやる。


「はあっ、はあっ、しつこいな。分かっってるって」


「本来は1つで10万じゃからの。じゃから、じゃから……お主今レベルはいくつじゃ?」


 魔王の、まさしく魔の手から逃れた俺はサーシャにレベル上限を打診した。

 後ろの無職&低レベルのちびっ子に戦闘力は望めない。敵と遭遇した場合戦えるのは俺だけ。

 こんな冴えない状況下の中、HPやSPの回復も含めて前向きに考え出した答えが俺の上限引き上げで、サーシャ曰く本気の『限界突破の歌声』=フルコーラスバージョンを歌ってもらった。

 本気具合はともかく、お陰さまで一度に一回以上の上限引き上げが可能だった。


「おい、魔道士イッサ。妾がいくつじゃと訪ねておるのじゃ。ちゃんと答えぬか」


「んなことより、右と左どっちだ。はあっ、はあ、そっちを答えろよっ」


 速度を緩める俺の正面、道が二手に分かれる。

 迫る四方を囲む青い石壁の様式は、見た感じどっちも似たようなもの。


「そうじゃな。そこは右――と見せかけて左じゃな」


「見せかける必要性なんてねえだろうがっ。本当に大丈夫なんだろうな!?」


「案ずるな。才色兼備のサーシャちゃんは無論物覚えも良いのじゃ。曲がった先に階段があるからそこを登れば『狭間の広間』の階層なのじゃ」


 声を聞く限りでは自信たっぷりの道案内。

 それを信じるに値するかどうかは結果次第なのだが――初見でうろつく自分よりは、任せておくが良いと言い張るサーシャの方がマシだろうとの判断である。

 俺は後ろからのナビに従い左折進行。

 駆ければ駆けるほどに、奥の闇がぐんぐん払われてゆく。

 その先に言われた通りの階段があった……との言葉を溢したいところではあるのだけれども。

 足を止めた俺の目は、石壁を這う鉄のハシゴを下から上へとなめていた。


「これ……階段とは言わねーよな?」


 確かに上層には行けるがしかし、ナビ内容とやや異なる。

 んで、案内に不信を抱く俺の訝しみにナビ子からの反応がなかったので首を回し見てみれば、なんか小瓶に入る液体をゴキュゴキュ飲んでいやがった。

 サーシャの手には貴重なポーション。

 どこから仕入れたかなんて考えるまでもない。こいつに担がせている俺の道具箱からだ。

 鼻先にて目と目が見つめ合う。


「ぷはっ。喉が渇いたのでな。お主も一本どうじゃ?」


「うらっこら! 何やってんだよっ、このスットコどっこい巫女がっ」


「そういきり立つでない。お主の言いたい事はよう分かっておる。しかしじゃ、仕方がなかろう。他に喉を潤す物もなか――」


 俺は背中の物体サーシャを柔道家バリに投げ捨ててやった。

 第一の感想としては、


「良い買い物をした」


 さすがは冒険者御用達の道具箱である。硬い床と手癖の悪い巫女から挟まれても潰されることはない。

 ただし、叩きつけられた衝撃を吸収することはなかったようで、ちっこい巫女が大いに床をゴロゴロのたうち回る。

 避難の顔で見上げてくるサーシャ。

 知ったことじゃない。俺は憎たらしい目を返す。


「お前の飲んだそれっ。ヤバイ時用に取っておいたポーションだったんだぞっ」


「まさにそうじゃな。久しぶりにフルコーラスを熱唱したので、妾の喉がカラカラでヤバヤバじゃった」


「ジェイミーさんジェイミーさん、俺にこのアホな巫女を焼き払う力をお貸しください」


 ギっと睨みを利かせる俺は腕を突き出し、スキル発動の意思表示。


「待て待て、待つのじゃ。ちょっとした戯れじゃ。洒落の分からん小僧じゃの。ほれ、ちゃんとこうして一つは残しておる」


「だからっ、お前が無駄に飲まなきゃ、そいつが”最後の一本”にならなくて済んだんだよっ」


 バシリとサーシャの手からポーションをぶんどる。


「回復薬の一本や二本でキャンキャンガミガミ、心が貧しい男じゃの……。そもそもじゃ、ポーションに頼らざる得ない状況を作り出したのは、お主の後先考えぬ計画性の無さからくるものじゃぞ。うむうむ、そうじゃそうじゃ」


 及び腰だったサーシャが一転、無い胸を張って言う。

 偉そうな態度が指すところは十分に思い当たる。俺が”すべて”使った『とっておき回復』のことを言っているのだろう。


「こいつ、開き直りかよ……」


「違うぞ。妾は今、お主の軽率さを避難しておるのじゃ。妾は何か事実と異なる事を言うておるか?」


「あれは……面白いようにステータスがあがるからさ、ついついボタン連打したつーか……そもそもレベル上げでの回復は裏技的なものだし……それはそれじゃん」


 視線を逸らしていたことに気づき、再び銀髪頭を視界へ戻すと、すうーとたっぷり息を吸うサーシャ。


「お主が――うっわヤッベ、ボーナスの+20がガバガバじゃん。ヤベえ、とにかくヤベえ、なあ見てみろよサーシャっ。俺の引きの良さが留まるところは知らねえっ。このステータスの上昇ヤバ過ぎだろ! 俺死ぬんじゃねーか、いやむしろ無敵気分で死ぬ気なんてまったくしねーけど、死んじゃうんじゃないのか俺、ヒャッホーイ――などと浮かれ騒いで己を見失い経験値を使い切らなければ、ポーションも必要としておらんじゃろ」


「しつけーな。浮かれてたのは認めるが、わざわざ再現すんなよ。似てねーし、俺はそんなアホ面じゃない。ただその……俺も可能な限りレベル上げしたことを失敗したとは思ったさ。けど後の祭りってやつで……だから別にいいだろ」


「うむ。人は失敗から学び成長するものじゃからの、妾も反省している者を殊更責める気もない。以後は同じ過ちを繰り返さぬよう気をつけるのじゃぞ」


 尊大な態度が青天井のサーシャに、分かったよと口を開きそうになって思い留まる。


「なあ、なんで俺がなんか全面的に悪いみたいになってんだよ。元はといえばお前が」


「その元の元がお主じゃから、少しは上に立つ者としての心構えを養うべきじゃなと思うてじゃな、こうして説教をしてあげておるのじゃぞ」


「おい日本語しゃべれ、おこちゃま巫女。説教される理屈が皆無だ。つーか、お前何様のつもりだよっ。いいか、俺の方がお前にいろいろ説教してくれーだかんな」


「おほん。妾はサーシャ様じゃ」


 やれやれといった様子を見せてから、お子様以外何者でもないサーシャがゆっくりとした瞬きを一つ。

 深海のような深さをもって、蒼い瞳で俺を見上げてきやがった。


「……なんだよ」


「お主が妾の力を使い、レベル上限を引き上げたいと思う動機や目的に妾は興味はない。しかしじゃ、イッサ……お主はこの世界で特別な存在になってしまうことには責を持つべきじゃろう」


 すう、と細くなる蒼眼が言わんとするところは、恐らく今の俺はこのレベルがモノを言う世界で最高峰のレベルを持つ存在だろうから、


「特別と言われればそうなんだろうけど。だからって責ってなんだよ。レベル上げることに責任なんて必要ねーだろ」


「そうじゃなお主の言うとおりじゃ。しかしながら『稀代の歌姫』と賞賛される妾はその責務を果たすため、日々下々の者へ歌を届けておるぞ」


「さらっと、自画自賛がヒドイな」


「主の音痴もまた才能じゃ。僻むでない」


「勝手に歌下手認定してんじゃね。つまりあれだろ。強くなったらなったらで、やれることをやれとかそういうことだろ。わけの分からない歌姫話をされなくても十分自覚してるさ」


 俺は眉根の筋肉が固くなる。


「不細工な顔じゃな」


「ほっとけっ」


 このしかめ面は覚悟の表れなんだよ。

 サーシャに言われるまでもなく、短い時間だったが今に至るまでに自分を見つめ直すことはやった。

 俺の中に新しく生まれたもう一人の俺。

 そいつと対話して教えてくれたことがある。

 これまでにない可能性――そう、例えば俺が魔王を倒すとか。


「俺にとっては持つべき者の責務とか、そんな大層なものでもなく、きっと自分自身へのチャレンジなんだよ。それに、彼女との約束もあるしな」


 ぼそり独り言のように言えば、サーシャが背負う道具箱から備え付ける魔道士の杖を取り出す。


「よく聞き取れなかったが、要はお主が素敵な魔道士イッサになるか、ただの冴えないイッサになるか、選べる自覚を持てということじゃ。それはお主の心の在りようにて決まる。無論、妾は素敵なサーシャちゃんとして皆から敬われておるぞ」


「ふーん。俺は侮るばかりだけどな」


 皮肉をこぼしながら、ヒョイと突き出される武器をサーシャの手から自分の手へ。

 異変に気づいていた俺達は進んで来た通路の先を見つめる。

 頬に触れる空気を僅かに揺らす振動があった。

 そうして、構える先から聞こえてくる雄叫びがはっきりしたものへと変わった。


『グオオオオンンンン』


 威圧的かつ重なり合う耳障りな重低音。

 速いリズムでドスドスと硬い石床を鳴らし迫り来る二体の影は、もうすでに橙色の明かりによって払われ全貌を俺にさらけ出してる。

 筋肉の塊のような人の巨躯に牛の頭を持ち、一振りで大岩も割れそうな大斧を軽々担ぐモンスター、ミノタウロス。

 敵との間はまだ遠距離戦で戦える程だが、このままではあっという間にいかにもあいつらのお得意そうな近接戦の間合いになる。


『グオオオオンンンン』


「だあっ、うるせーな。吠えなきゃ動けねえのかよ。アナライズっ。んで牽制の『シャルード』」


 ミノタウロス達の足元に、シャランと凍てつく音とともに氷面が広がる。

 中級氷結魔法如きで倒せはしないが、二体の突進は止まる。

 そして、牛の目にもしっかりと映っているのだろう。俺の頭上では紅蓮の大槍が形成しつつあり、更なる魔法攻撃ドラゴニールを警戒したか、ミノタウロスの足踏みが慎重に間合いを詰めるようなそれへと変わった。


「サーシャっ、俺に構わず登れ。こいつら、レベル100そこそこだ。なら問題なく俺一人でも倒せる」


 言い放ちさっと振り返れば側にいたサーシャの姿はなく、掛かるハシゴに目をやると、そこに浴衣のような衣装を着たちびっ子がツインテールの尾を揺らし壁を這う。

 俺から言われるまでもなく、ハシゴを登っている最中だった。


「にゃろ……別にいいけどさ、せめて言われてから逃げろよな」


 聞こえるようには口にしていないのだが、ハシゴの中間地点辺りにてサーシャの動きがピタリと止まった。

 それから一拍の後、ぐるりと首だけをこっちへ向け俺を見下ろすのであった。


「どうした何してる。別に俺は気にしてねえから、早く行けよっ」


「……しまったのじゃ。妾としたことがお主の策略に乗ってしまったのじゃ」


 上方から鬼気迫るような面持ちでこんなことを投げかけられた訳であるが、当然ながら意図が理解できず小首を傾げ返すだけである。


「なんじゃ、その白々しい態度は。聡明な妾が気づかぬと思っているのか。このスケベエの助」


「助兵衛の助?」


「パンツじゃ。お主、モンスターとの戦闘にかこつけて妾のパンツをノゾくつもりじゃったろっ。乙女の聖域を。しかもこっそりじゃからムッツリ――」


『グオオオオンンンン』


 サーシャからの謂れのない避難はモンスターの威嚇に混ざり聞き取れなくなったが、口はパクパクと動き続けていた。


「なんだろ。最優先でお前を焼きたい……ところだが、まずはこっちだろうな、くそムカつく」


『グオオオオンンンン』


「だからっ、うるせーぞ、中途半端にウシウシしやがってっ」


 サーシャを睨みつけ、迫り来るミノタウロスを睨みつけ、俺は一つ息を吐く。

 そして。


「『レンプリカ』」


 きっとどの魔道士も知らない、俺が新しく覚えたスキルの中の一つ。

 その言葉は、炎の大槍に影響を与える。

 本来一本の大槍である『ドラゴニール』が二つ浮かぶ。

 敵は二体でこっちは二本。

 数は適度であるが、今の俺はアホ巫女にイラつかされ、ちっとばかし気が立っている。

 だから言い訳としては俗に言う、むしゃくしゃしてやったってやつになるのだろう。


「レンプリカ、レンプリカ、レンプリカ、レンプリカ、レンプリカ、レンプリカ、もう一つレンプリカっ」


『グオ!?』


 俺の連呼の果てに絶句的なものなのか、ミノタウロスの叫びが途絶える。

 この補助魔法は倍加の効力があるスキル。

 一つは二つに、二つは四つに、四つは八つにってやつだ。だから俺の周りには――。


「おお、なんかすげーな……」


 頭上の赤い揺らめきを確認して感嘆を漏らす。

 勢い任せだったので、実際何回唱えたか把握してない。けど、ざっと100本は優に超える『ドラゴニール』が所狭しとひしめき合っている。

 広いと感じたこの空間の通路が炎の大槍の集まりに圧迫されていた。


「間違いなく無駄なオーバーキル(過剰攻撃)だが、唱えてしまったものは仕方がない」


 牛の表情なんてさっぱりだけど、死を悟った顔に俺は手にする杖のコブを振りかざす。


「とくと灼熱のランスを味わって逝け。ドラゴニールっ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る