第31話 後退者



 狭間の大広間があるらしい階層の通路を淡々と進む中、出会ってしまう。


「見るからに危ない輩じゃの……」


 背中からはサーシャの率直な感想。

 なにせ男がやたらめったら斧を振り回し荒れ狂っているのだから、物理的にも精神的にも関わりたくない光景であるからして危ないことに相違ない。


「ミノタウロスじゃない分、マシと思えよ」


 遠巻きに傍観する先では、大きな双刃の戦斧が力任せに石壁に打ち付けられ、ガキンガキンと硬い音を鳴らす。


「くそったれっ。ここまで来てよっ。がああっ、畜生おおおおあああっ」


 悲痛に感じる叫びの後、戦斧は重たく……そして、それを手にする男が力なく床へと伏せ落ちた。

 四つん這いなる男は堅くする拳を床に叩きつけた。

 俺は止めていた歩みを再開させる。


「ぬお、待て待て魔道士イッサ。近づいてはならぬ。触らぬミノタウロスもとい神に祟りなしじゃ。ここは知らぬ顔で素通りするのが、おい聞いておるのか。

止まるのじゃ。首を突っ込むべきではないぞ」


「……よう。その……大丈夫か」


 俺の掛け声に見知った相手――戦士ライアスが見上げてきた。

 ただ、俺の知る顔とは少しばかり違っていて、額と頬には紫のラインが刻まれていた。

 加えて、こいつが涙を浮かべる面をしてるなんて思いもよらなかった。

 ライアスは声にならない声で唸った後、徐ろに立ち上がる。

 言葉もなくマジマジとこちらを見れば、側の石壁へ拳を一つ叩きつけた。


「なんじゃ、なんじゃ。お主こやつと何かあったのか?」


「その察しの良さを普段から使えよな」


 背後の小声にそう答えたら、正面から物音が立つ。

 ライアスが身に纏う装備品をガシャリと鳴らし俺を見据えた。

 後ろで漂うものと違い、俺の前方ではピリつく空気感。


「あんま気にしないでくれ。こいつ空気が読めないどころか何も読めないなんちゃって巫女だからさ……」


「そうかよ。やっぱりお前の背負っているガキが例の巫女かよ。……たくっやってらんねーぜ。広間で見かけねーから逃げ出したんだろうと踏んでたら、ちゃっかり目的を果たしてたってか」


「たまたま居たから連れているだけなんだけどな」


「あのお前が巫女を救出か……ははは、お笑い草だぜ……。まったく俺はどこまで惨めなんだよっ」


 ガンと再び壁へ拳を叩きつけたライアス。

 それは一度で終わることがなく、二度三度と繰り返される。


「おいおい、何をそんなに怒り狂ってんだよっ。ライアス落ち着けって。お前手から血が出てんじゃねえか!?」


「うるせえっ。触んじゃねえっ」


 自分の拳を傷めつけるライアスを制しようとその肩を掴んだ俺の手が払われる。

 そればかりか、ライアスは俺の胸ぐらを太い腕で掴んできた。

 俺より体つきも良く、身長も高い戦士の睨む顔が近い。

 締め上げられるようにして壁際へ追いやられた俺。

 何かサーシャが呻きを上げている気もするが、今はこのライアスと向き合うことにする。

 だってさ、


「お前、どうしたんだよ……らしいと言えばそうだけどさ、なんかいつものお前らしくないぞ」


「テメエにっ――くそっだらっ」


 緩む首元。

 浮かんでいた踵が地に降りる。

 相手は俺から一歩下がれば、歪む顔を俯かせる。

 そのまま沈黙を経て、かすれた声が耳をかすめ始める。


「俺は……逃げたんだよ。……奴から逃げちまったんだよ」


 ゆっくりと頭を上げたライアス。

 全身で嘆きを向けられる中、俺の脳裏には即座に彼の者の名が浮かぶ。

 俺はそれを視線を通してライアスへ伝ようとした。


「ああ、魔王から俺は逃げたのさ。この俺がっ。仲間はまだ戦っているってのによっ。俺は俺はっ、畜生おおおおっ」


 憤りで満ちる大きな雄叫びが響き渡る。


「魔王相手ならしかたが――」


「仕方がないって言うのかよ! テメエもその言葉を言い訳に俺のっ、自分の弱さを認めろって言うのかよっ」


 行き場のない俺に対し迫る興奮状態のライアス。

 更に近寄ってこようとするライアスだったが、そうはならず俺の右手が痛むと同時に俺から離れることになる。

 深い思慮なんてない。敢えて言えば後先考えず感じたままの行動だった。


 ライアスを、思いっきし殴ってやった。


 結果、なかなかレアだと思われる魔法使いの不意の一撃に戦士が一回転して倒れるの構図が生まれた。


「て、テメエ、何しやがるっ」


「おまおま、ライアスお前さ、状況はまだ飲み込めてないけど……自分の不甲斐なさにイラついてたんだろ。そんでそんな自分がどうしようもなく嫌で、だから、だからさ」


「だからどうしたよお、ああ?」


 むくりと起き上がるライアスが、頬の痛みを食いしばりながらに睨んでくる。

 すげー怖い。なんか足が震えている気がする……がしかし、これだけは言ってから仕返しは受けたいところだ。


「俺、お前が殴られたがっているように感じたからさ」


 本当にそう思った。

 恨み辛みも多少はあるが、ライアスを救おうとした。

 なんとなく俺にも分かるんだ。こいつのように自分が許せない時って……俺だったら何かけじめみたいなものが欲しいっていうか。


 目の前で振り上げられた拳を見た後、俺はぎゅっと目を閉じる。

 全身を固くし防御体制である。

 ライアスの拳を待つ刹那の時間が……やたらに長い。体感的にはもう数秒ほど経過しているんですけれど。


「あれ?」


 片目を開けてみたら、少し離れたところにライアスの後ろ姿があった。

 転がる戦斧を拾う気配もなく、こっちへ勢い良く跳びかかってきそうなそれもない。

 俺は自分がボコボコにされる悲惨な未来が存在し得ないことを徐々に受け入れていった。

 そうして手にじわり汗をかきつつも安堵していると、


「うむうむ。青春じゃの」


 背後からこんな戯言が囁かれていた。










 『狭間の広間』まで少しを残す通路の一角。

 一つ一つが大きい石材がぎっしりと隙間なく積まれた分厚そうな石の壁、硬い石の床に高い天井。

 物陰もない殺風景なこの場所で、端に身を寄せて少しでも身を隠そうとする俺とライアスとの話は続いていた。


 聞けば、ライアスの退避には俺達デカルト隊の隊長マサさんの指示があったようだ。

 無理矢理にでも引かされたってことで、ライアスの傷つく自尊心への足しになるかも――と思いはしたが、せっかく収まりつつある火に油を注ぐ気がしたので控えた。

 時間的猶予もない状況だし、確認したいことだけを尋ねないとな。


「ライアスの顔にある紫の線が『黄泉の刻印』なんだな」


「あの盗賊の参謀が言うにはな。この印が刻まれた奴は教会送りにはならずに、あの世に逝っちまうって話だ」


 腰を下ろし壁に寄り掛かるライアスの口からは、悔しさがにじみ出る語気とともに言葉が吐かれる。

 んで、やっぱりだが何してんだよ的な目で見上げられた。


「テメエはよお、昔っからそうだよな。アナライズするなら一言言え。気持ちのいい感触じゃねーんだからよお」


「あはは、わりーわりー。けど状態異常のステータスを確認する分にはどこも異常は」


「毒でも麻痺や石化でもなんでもないんだ。状態異常とは違うんだろ」


「そうだよな……」


 魔王だけが使うスキル『黄泉の刻印』。

 確率で刻印が体に刻まれるらしいこのスキルの効力は、俺達冒険者へ完全な死を迎えさせる。

 ただ、たとえ刻印持ちでもライアスように殺される前に退避できれば、一先ずは安全とも考えられるスキルではある。

 後、確証がないのでなんともだが、もしかしたら『黄泉の刻印』ってやつは魔王城内では発動しないんじゃないかと俺は思ってしまった。

 正確には”『狭間の広間』を除く魔王の城では”だな。


「何を考えている」


 ライアスの問いに心底苦い笑いを作って返す。


「いやさ、魔王も本気で俺達冒険者の息の根を止めようとしてんだなーってさ」


「『狭間の広間』に魔王が現れたことか。確かに奇襲されて後手に回るハメになっちまったぜ。ただでさえ、広間でモンスターから襲われることはないと聞いていたからな。ちっ、迂闊だったとしか言いようがね……」


「油断しているところへまさかってのもあるだろうけどさ、『狭間の広間』って普通なんだろ?」


 例えば、仮にライフが尽きた場合俺達は教会送りされるが、この黒き城では世界のどこかへ転送される。

 下手をしたらモンスターもそうかも知れない。

 通常とは違う力が働く城内部。

 カレン曰く摂理せつりが乱れるここで唯一の正常な空間が『狭間の広間』と聞く。

 俺達はたとえ死んでも教会や聖なる祠ほこらへ。モンスターは通常通り魔監獄へ。

 この都合の良さと悪さがあるから広間へはモンスターは踏み入らないのだろう。


 けれども、魔王は違った。

 ゆえに、摂理の乱れが魔監獄送りの回避策になっていると考える俺はこの行為の理由を考えてしまう。


「ライアス、たぶん普通……正しく世界の摂理が働くからこそ、『黄泉の刻印』で俺達冒険者を正しくあの世とやらに送れるんだろうな」


「ん……魔王はあの広間でしか『黄泉の刻印』を使えない。そう言いたいのか?」


「魔王城の中では……だろうな。憶測の域を出ないけどさ。なんせ外での話はベルニ隊のしか知らねーから」


 けど、もし魔王が俺達冒険者を俺達が思う以上に脅威として認識していたら魔王の行動は理解できるし、俺の憶測が信憑性を帯びる。


 魔王が直接『狭間の広間』の冒険者を襲うことは相当のリスクだ。

 俺達のように定められたところへ送られることなく世界のどこかかへ転移されるのかどうかは知る由もない。

 しかし、知るところでは正常なこの世界の理なら……彼の者も魔監獄送りになる。


 だから、魔王の覚悟を感じる。

 それを後押ししたのが、人間側であるサーシャのレベル上限突破の力なのだから皮肉なものだが、自身を倒そうとする冒険者を根絶やしにしようと、腹をくくった決意。

 魔王のリスクの先には、今後最も脅威になっただろう上限者及び上限突破者の消滅がある。

 一網打尽とも言える好機がそこにある。

 これは魔族の王たる者の未来には、すこぶる魅力的ではないだろうか。

 たとえ、こちら側にとっても望ましい場所へ出向くことになろうとも……。


「なにはともあれ、『黄泉の刻印』には注意しないとな」


 懐をごそごそとやってから、ライアスの側へ屈む。

 そして、取り出していたポーションを床へ置く。


「お前瀕死だろ。良かったら使えよ」


 ありがとうなんて返事はライアスからは期待できないので、一方的に終了。

 んで、妾は腹が減ったのじゃと、永遠ガサゴソ道具箱を漁っていたサーシャの元へ寄り、その首根っこを押さえる。


「いい加減諦めろ。さっき薬草食ったからいいじゃねーか。それより早く道具箱背負え。さくっと行くぞ」


「行くぞとは、『狭間の広間』へか?」


「当たり前だろ。他にどこに行くんだよ」


「お主、そこの戦士の話をちゃんと聞いておったのか。今『狭間の広間』には魔王がおるのじゃろ。なぜ妾が妾を捕まえた者のところへわざわざ行かねばならんのじゃ。お主バカじゃな、本当にうつけじゃな」


「……イッサ」


 イラつく巫女へ暴言を浴びせてやろうとした時、ライアスが俺を呼んだ。

 いつの間にか立ち上がっていた戦士へ向き直る。


「お前、本当に行くつもりなのか」


「皆戦っているだろうし、仲間の力にならないと。それに広間で魔王を倒せる機会を逃せない」


 この城内で魔王を魔監獄送りにしようと思うなら、『狭間の広間』しかない。


「お前如きが行ってもよ……と言いたいが、俺にんな言葉を吐く資格はないよな。はは……惨めなもんだぜ」


「ライアス……」


「つまらねえ顔をこっちに向けんな。おら、行くぞ。ついて来い」


 双刃の戦斧が床をこすり重々しい金属音を立てると、戦士の肩の上に担がれた。


「お前、来るのかよ!?」


「……扉までな。貧弱な魔法使いにはどうにもできないだろうからよお」


 そう背中で言って、先をすたすた行くライアスを俺が追えば、


「待て待て、待つのじゃっ。妾一人をこんなところに放置するでない。か弱い妾を。この人でなし者どもめ。ぬお、足が痛いのじゃ。魔道士イッサ。妾のふにふにの足が痛いのじゃ」


 ぺちぺち足音が近づいてきたので、俺は急ぎ『狭間の大広間』を目指すのだった。





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