ラーメンに殺されないために ~ブラックラーメン屋バイトの掟~

枕目

バイトの掟その0:ドントトラスト履歴書


 ラーメン屋『獄卒軒』のアルバイト面接は五秒で終わった。


 店主はおれの渡した履歴書を、そもそも読まなかった。

 求人サイトに「履歴書必要」と書いてあるから、わざわざ履歴書用紙を買って、ちゃんとボールペンで清書して持っていった。

 だが獄卒軒の店主は履歴書をわたしても、ほとんど見ずにわきに置いた。


 「あの……履歴書、見ないんですか?」


 店主は不思議そうな顔をする。


 「求人に、履歴書がいるって……」

 「ああ、あれは、求人屋の人が勝手に書いただけ」


 店主はそう言った。

 本当は履歴書不要だったのである。

 大人になった今だったら、その時点で「大丈夫かよ……」と思うだろう。

 だが当時のおれはまだ世間知らずの学生だったので、なあんだ。書いて損した。としか思わなかった。


 「履歴書なんかおれは読まん」

 「そうなんですか」

 「どうせウソばっかり書いてあるから。信じんぞ」


 店主はそう言った。

 ドント・トラスト・履歴書。

 ちなみに経営者には、そもそも履歴書なんか最初から信じない人はわりといる。

 だから彼が特別ヘンとかではない。

 履歴書にウソを書くような人間がゴロゴロいたりすれば、履歴書の情報的価値は下がるという理屈である。


 「名前と電話番号がわかりゃええ」

 「はあ」

 「……名前と電話番号は、本当だろうな?」



 ***



 さて、獄卒軒の店主は、髪は床屋さんカットの白髪で、にこりともしない恐ろしげな顔だちのおじさんであった。

 一見した印象は、ポケモンで言うとゴローンに似ていた。

 柔道をやっている人なんかによくいる、骨太で筋肉が多く、そのまわりを脂肪がうっすらおおったような体型であった。

 いわゆるガチムチである。


 その店主の名は、かりにハートマン店主としておこう。

 なにしろ、彼が怒ると、その表情が、映画『フルメタル・ジャケット』に出てくる鬼軍曹、ハートマン軍曹にそっくりなのだ。

 そしてかれはしょっちゅう怒っているから、ほぼ常時ハートマン軍曹そっくりであった。

 そんなわけで、彼をハートマン店主と呼ぼう。

 もう少し具体的にハートマン店主の顔を知りたい方は、グーグルで「ハートマン軍曹」「モロボシダン」「山崎努」を画像検索していただき、それを頭の中で足してまぜあわせていただきたい。

 それがだいたい『獄卒軒』の店主の顔である。


 「面接の質問はひとつだ」

 「はい」

 「身体は丈夫か?」

 「え、あ、はい」

 「じゃあ、明日からきて」

 

 面接はこれで全部であった。

 面接はこの質問一つで終わった。

 

 結果は『合格』である。


 「身ひとつで来い」

 「あ、はい」


 こうしてバイト先が決まった。



 ***



 さて、若い方にアドバイスしたいのだが。


 面接で「体力はあるか」「身体は丈夫か」「病気はないか」などと質問してくるところの仕事は、キツい。

 つまり「体力がなかったり病気だと、すぐつぶれるぐらいのキツさ」であるばあいが多い。

 だからわざわざ質問するのだ。

 ばあいによっては、体力には自信がないなどと答えて落とされたほうが得、なんてことも充分ありうる。

 おれもそうすればよかったと思っています。



 この話は、ただのラーメン屋のバイトの話である。

 エッセイ・ノンフィクションという、体験そのものが貴重でないとあまりコンテンツ性がないジャンルで、ラーメン屋のバイト、などとはいかにもしょうもなく思われることだろう。

 実際しょうもない。

 どこにでもあるバイト話だ。


 ただちょっと店主が異常性格で、

 ちょっとでも『店主ルール』を外れると奇声を発するとしても。


 店がゴキブリとネズミだらけで、

 客は何も知らずにぞうきん汁のついたチャーシューを食わされるとしても。


 まともなバイトは二週間で全逃げして、

 その店の歴史上、長期的に残ったバイトが三人だけで、

 その三人のうち一人がおれだとしても。


 そしておれはドーピングの力でそれをやったのだとしても。


 しょせんバイト話である。

 


 おれだったらこんなエッセイは読まないです。


 おれだったら、わざわざ他人のこんなくだらない体験記をネットで読むぐらいなら、もっと貴重な体験談を読む。

 世の中には貴重な体験談があふれているわけだし。

 チェ・ゲバラの自伝だとか、バロウズの南米麻薬旅行とか、ファインマンの体験記とか、もうあげていけばキリがないが、貴重で刺激的な体験談は世の中には山ほどある。

 それに比べれば、学生のブラックバイト体験談なんてあんた。

 読めたもんじゃない。

 読むに値しない。


 ただおれが語れるのは、汚いラーメン屋の話だけです。

 おれは読者が作者のカウンセラーでないことはよく心得ているので、べつに自分が悲惨な目にあったとかそういう事が語りたいわけではない。

 ただ、汚いラーメンがどんなものか語るだけです。


 おれはただ、ラーメン屋の店主がかかえる狂気について、

 わけのわからないクレームを入れてくる酔っ払った客について、

 食器洗浄機の下にできたゴキブリの王国について、

 そういう事について語る言葉しか持たないのです。


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