21】沢瑠璃さんのお母さん -1

「沢瑠璃なら休んでるよ」


 沢瑠璃さんの教室を覗きこもうとしたときにかけられた声は、そんなだった。

 いつもなら朝にメールが届いて(意外なことに届く時間はだいたい決まってる)、今日の予定を知るのだけれど、そのメールが今日は届かず、だからと言って催促のメールを打つのも細かいヤツだと思われそうでやめておき、その代わりにこうして昼休みに様子を見に来たのだけれど。


 かけられた声の方を見やると、予想したとおり――と言うかその声が聞こえた時点でおおかた分かっていたけど、ここへ来るたび応対してくれるあの女子だった。


 僕は少しのあいだ、その女子を見つめ返す。彼女はこの前と同じように、パックジュースのストローをくわえながらそれを器用にフリフリと振っている。


「僕の用事、よく分かったね!」


 ちょっと驚いてしまうと、女子はため息をついた。


「分かったっていうか……あんたがうちのクラスに用があるってそのくらいしかないじゃん」


「まあ、そうなんだけど」


 その女子は口からパックジュースを解放して、机に置く。


「沢瑠璃は今日休んでる。風邪ひいたんだってさ」


「風邪ひいた?」


 おもわず聞き返してしまう。今は春過ぎで風邪をひきにくい季節だと思うけれど。しかも昨日別れるときは元気だったので、よほどなにかをしたのだろうか。


 そんなことを考えていると、ちょうどというか図ったようにというか、メールの着信音が鳴って画面を確認すると、沢瑠璃さんからだった。


『連絡忘れてた。お風呂で五時間くらい寝ちゃって風邪ひいた』


「……」


「沢瑠璃から? なんて?」


「お風呂で五時間くらい寝たんだって」


「……それ、お風呂ん中で夜明かしてない?」


 そりゃ風邪もひくわけだった。

 自業自得のレベルでいえば、それは時間がたっぷりあるのをいいことに二度寝した結果遅刻するのと同じくらいだったので僕は気の利いた文面を考えつくことができず、結局『分かりました、ご自愛ください』という、きゅうりの浅漬けと変わらないくらいのあっさりしたものを返信した。


 ……おでん探しは、今日は無しか。


 おでん探し、という言葉を心の中で呟くと、間髪入れずに想起してきたのは、昨日の理塚くんとの二人だけの話だった。


 ――沢瑠璃が探してるのは、本当に猫なのか。


 僕は頭を軽く振り、そしてそうすることで昨日の映像を脳裏からカットアウトさせる。今は、少なくとも今は考えなくていいことだ。おでん探しを続けるのはこれからも変わらないのだから。


 そんな風にいろいろ考えていると、女子が空になってるはずのパックジュースのストローをまたくわえながら、小さく笑った。その笑みは、これまでに見た人をちょっと小馬鹿にしたようなものではなく、純粋な小さな笑みだった。


「でもあんた、沢瑠璃の手伝いまだ続けてんだね」


「え? うん、まだ結果出てないけどね」


「まあ、手伝わないあたしが言うのもなんだけど、もっと早くやめるかと思ってたのに」


 僕は女子をじっと見つめる。

 女子がおろっとたじろいだ。


「な、なによ。べつに悪口じゃないわよ」


「あ、ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど」


 そのことで彼女を見ていたわけでなく、それよりも思われ方がそういう方向であったとしても沢瑠璃さんに無関心でないということがちょっとびっくりだった。


 そういう風に伝えると、彼女は少しバツが悪そうな? すねたような? 表情で視線を外す。

「べつにそんなつもりじゃないわよ。ただ早く見つかったらいいと思ってるだけ」


 僕はそんな彼女の表情を察して、「そうだね」と短く簡単に答えるだけにした。この子、初めはあまり好きになれない笑い方をしていたけど、こういう優しい面も持ってるんだな。


 とりあえずこの教室へ来た目的は果たせたのでその子に教えてくれたお礼を言うと、僕は教室へと戻った。


 これで放課後は、急にぽっかりと空く時間になった。

 理塚くんも今日は部活なので一緒に帰るという提案もなく、午後の授業が終わるとすぐ帰ることにした。

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