9】ハヂメテノコユビー -2
そんなことを考えてると。
「……おい、ここならどうだ織野司」
やたらに重い響きのある沢瑠璃さんの声でフルネーム。
まったく慣れない呼び名に一呼吸遅れた返事をしながらふと顔をあげると、そこは階段だった。外壁に囲われていて、踊り場にある窓もすりガラスになっていて外が見えなくなっている。
おお。おお!
僕は心の中でおもわず叫んでしまう。完璧じゃないか、この階段ならいけるんじゃないか!?
よもや階段という日常生活でごくありふれたもので、これほど感動が得られるときが来るとは想像もしてなかった。これなら乗り切れるような気がしてきた。
「大丈夫そうだ、これなら行ける気がするよ」
「そうか。……じゃあ、それじゃあ、次の段階ね……」
僕たちは、階段の前に立った。
そう。
沢瑠璃さんの言うとおり、次の段階だった。
そう、次の段階だった、つまり、沢瑠璃さんと、手をつなぐのだ! 階段を上がるために!
「じゃじゃじゃあ、行きます!」
「ささささあ、きなさいっ!」
ガッチガチのかけ声をかけると、それを凌駕する硬度の返事があった。もちろんそれらは僕と沢瑠璃さんが発したのであって、はたから見れば銅像の関節が動いてる程度にしか見えないだろう僕たちの緊張っぷり。今この場所がただのマンションのただの階段の前にしか過ぎないということは、なんとかぎりぎり分かっている。
沢瑠璃さんはオッケーを出したのだ、しかも僕から言いだしたのだ、ここは僕から指をつながねば、持つぞ、よし小指を持つぞ、あれ持つでいいのかこの場合絡めるが正解じゃ、うわ絡めるなんか僕はなんて言葉を使うん
「早くせんかっ!」
「はいっ!」
沢瑠璃さんの怒鳴り声で僕は反射的に手が動いた。手が動いた先は……沢瑠璃さんの小指だった。
小指を絡めた瞬間、僕の頭に爆発めいた火がついた。
うわ細い! 柔らかい! なにこれウソこんな指で僕と同じように日常生活送れるの!?
暴発寸前の僕の頭はもうクラクラきて、後で考えたらあまりにもバカな選択肢、つまりそれを沢瑠璃さんへなんの意味もないのに直接聞こうとする行為に出ようとして、横顔を見た。
――後日理塚くんに話したら「ウソつけ!」と言われたけど、沢瑠璃さんの髪の毛が極度の緊張で逆だっていた。間違いない、僕にはそう見えた。唇は横真一文字に締められて、目が見開かれている。階段へ踏みだせそうな雰囲気にないのは一目で分かった。
髪の毛の真偽は僕にしか分からないとして、そんな状態の沢瑠璃さんなのだから、ここは僕が動かなければ、いや動くべきだと思った。
「よ、よし沢瑠璃さん、行こう」
沢瑠璃さんに声をかけ、自分から階段に足をかけた。すっと外れそうになった小指に力を入れなおしながら。
そして、その小指に集中力を持っていかれそうになりながらも、忘れてはいけないもう一つのこと、つまりおでん探しのことを必死で思いだしながら。
僕は、ついに階段へと踏み出した。そうして、僕たちはおでん探しを開始したのだった。
――探索の時間ですり減った精神力と沢瑠璃さんの激細な小指への喜びで、もう一つ結果があったことを伝え忘れていました。
僕は人生で初めて、七階まであがりました。
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