2】見込みどおりだったらしい僕 -3

「おでんを探すのを手伝いなさい」


 ここで出た……そのキーワードが。理塚くんの噂話にも上がったそのキーワードが。

 僕はもう、財布から取り出した三百円を差し出しながら道路の先を指差すしかなかった。


「……なによそれは」


「コンビニが。向こうに」


「コンビニでなにしろって言うの」


「僕リサーチでは、そこのコンビニが一番おでん美味しいよ」


 だって仕方ないじゃないかぁ! おでんを探してほしいて言われたら、普通そう思うじゃないか! けれどそれが間違っていたのはすぐに分かった、沢瑠璃さんが今にも盆栽を引っこ抜こうとしてるから!


「さ、沢瑠璃さん、ごめん、違うんだね、ホントにごめん……!」


 鉢と盆栽の幹をつかむ沢瑠璃さんの手を必死で押さえて謝る、全身全霊の罪悪感をこめて。


 それが功を奏したのだろう。

 沢瑠璃さんの手から力が抜けていく。僕は彼女が盆栽から手を離し、その場を離れるまでその手を離さないでいた。つまり盆栽の完全な安全が確保されるまで。


「……いつまで手を握ってるんだ」


「え、ああごめん」


 手を離すと、思ったより強くつかんでしまったのか沢瑠璃さんは手をさすりながらそっぽを向く。なぜか沢瑠璃さんの頬が赤らんでるような。


「……分かればいいのよ、私も好きで盆栽を抜きたかったわけじゃないんだから」


「だろうね、絶対そうだと思ったんだよ。盆栽抜くのが好きな人なんかそうそういないからね」


 もし彼女が、好きでやっていたらここで踵を返していただろう。


「で、どうなの。手伝ってくれるんだろう」


 沢瑠璃さんが話題を元に戻す。


「ちょ、ちょっと待って。まず大前提として聞かせて。おでんてなんのこと?」


 手伝う手伝わないの前に、まずその正体を知らないことにはその話もできないので尋ねると、沢瑠璃さんは面倒そうな表情をした。なぜ面倒がる。


「私、話が遠回しになるの嫌いなんだよな」


 ……なるほど。それなら今みたいな会話になるのも理解はできる。納得はしないけど。


 沢瑠璃さんが持っていた鞄からスマホを取り出すとなにかを操作し始める。そして、「ほら、おでんだ」と画面に映る一枚の写真を見せてきた。……見せられたものを見たのだけど。


「……ネコ? うわぁっ!」


 画面に写っていたものを口にしたのとほぼタイムラグがなく沢瑠璃さんの鞄が大上段から振り下ろされてきて、僕はそれを反射的に受け止めていた。受け止められたと見るや、沢瑠璃さんは無言のままその鞄をグイグイ押してくるので、僕も無言のままそれを押し返して耐える。


 しばらくその攻防? が続いて、やがて彼女が少し荒い息をつきながら手を引く。なので僕も手を緩める。……なんなんだろう、この時間。


「……おでんよ。分かったか」


「……うん」


 でもネコだよね、という言葉は飲み込んだ。

 そう。ネコだった。沢瑠璃さんから見せられた写真には、まごうことなき一匹のネコが写っていた。彼女のものとおぼしき部屋の、彼女のものとおぼしきベッドの上で、白と茶色の毛が混ざったネコが一匹、リラックスして寝転んでいる。それはなんの変哲もない、猫のいる風景を切り取った写真で、だから僕は「ネコ?」と聞いたのだけど、返ってきたのは今しがたの無言の鞄だった。


 いったいなにが彼女の怒りの琴線に触れたのかまったく分からなかったけど、でもネコだよね、の言葉は鞄の災厄の再来を呼び起こしそうだったので押しとどめた。


 でも、これで少なくとも一つの疑問は解決した。ネーミングセンスはさておき、おでん、はネコの名前だったのか。


 でもそうと分かれば、僕の中での選択は早かった。


 ネコが懐きやすい僕なら役立ちそうだし、なにより沢瑠璃さんのお願いだ。彼女と出会ってまだ五分くらい? だけど、彼女の性格が少し分かった気がする。変わった性格なのは間違いない。まったくもってまず間違いない。でも同時にこうも思ったのだ。「面白いコだな」と。確かにクセは強いけど、それもなぜか気になってしまう。


 だから僕は、「いいよ」と頷いた。「おでんを探そう」と頷いた。



 ――次の瞬間の、沢瑠璃さんが見せてくれた笑顔は。

 僕より少し背が高くて。ショートカットに髪をそろえて。ちょっと凛々し目な目尻の女の子。綺麗な顔立ちのその子が見せてくれた笑顔は、とても。その。――可愛かった。


「ホントにっ!?」


 飛び跳ねるような明るい声が上がった。可愛らしい、沢瑠璃さんの声だった。それが聞けただけでも、手伝うと言って良かったな。

 僕のそんな思考を遮って、ガチャン、という音が響いた。


 沢瑠璃さんの両手が僕へ伸びていた。握手でもしようとしたのか。でも彼女はそのポーズのまま止まっていて、視線だけが下を見ている。その視線を追うと。


 たぶん、鞄が当たったのだろう。盆栽が落ちて割れていた。


 ――僕たちは、話の続きをする舞台を移すことにした。

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