2】見込みどおりだったらしい僕 -1

 あっという間に放課後。


 午後は三時限、つまり一日の半分だけなので、早く感じるのも当然といえば当然だ。しかも昼休みは長考と理塚くん探しに費やしたので、余計に短く感じてしまった。


 僕は教科書やノートを鞄に詰めこむと、早々に席を立った。そう多くない僕の友人は、半数が部活、残り半数は校門を出た時点で帰る方向が真逆になるので、予定を組まないかぎりはいつも独りでの下校になる。楽しそうに話しながら真逆の方向へ帰っていく友人達の背中を見送るのは、もちろん寂しくない。そう、寂しくなんかないのだ。


 家に着くまでの道のりは、徒歩にして十五分。けれどそれはまっすぐに帰った時の時間で、帰りのルートはいつも気まぐれに変えることにしている。理由があるわけではなく、本当に気まぐれだ。


 本日、僕の気まぐれが選択したルートは、人の往来を避けて静かに帰れる住宅街方面だった。平屋とかもあったりする少し年季の入った町並みで、車の往来も少なく、なにより高い建物がないので、うつむき加減で歩かなくてもいい。僕にとっては数少ない良好な環境がそろっているのだ。


 僕は少し遠回りになるそんな帰路を、てくてくと歩く。


 このルートには、実はもう一つ利点がある。というほどでもないのだけど、何が利点かというと。


「あ、ネコ」


 僕は道の先で横切る二匹のネコを見かけて、つい声を上げてしまった。


 二匹のネコはどうやら兄弟のようで、横切る途中で後ろのネコが急に前のネコに飛びかかると、そのままじゃれあい始めた。

 僕はその光景をほっこりとした気分で眺める。


 この地域ではご覧のとおり、ネコの姿を見かけることができるのだ。ネコ好きの僕にすれば、そして実家がペットを飼わない方針の僕にすれば、こうしてネコの姿を見れるのは嬉しい。しかも、野良ネコなのかな、と初めは思っていたけれど、去勢されたネコを何匹か見かけて、なるほど、これが地域ネコというものか、と思ってからはもう、無責任なヒーリングタイムに浸れるのだ。


 しかも、これは僕の特徴なのかもしれないけど。


「おっ」


 じゃれあっていたネコたちが、ふと僕の方を見てくる。そして「どうする?」とさも相談しあうかのように顔を突きあわせたあと、そろそろと僕の足元へ寄ってきた。僕はしゃがみ込んで、それを迎え入れる。


 このネコたちは二、三度、こうして寄ってきて、今しているように頭を撫でてやることはあるが、よほど小心者のネコでないかぎりは初対面でも僕のところへ寄ってくるのだ。僕が猫に見えるのか、もしくは警戒しなくてもいいほど弱い生物に見えるのか僕には分からないけれど、人にある程度慣れたこの地域ネコに限らず野良ネコもよく寄ってくるのだった。


 喉を鳴らすほどまではいかないけど、二匹のネコは僕の指が額から後頭部を行き来するたびに目を細めている。


「この時間に癒されるなぁ……」


 懐いてくれてる感を満喫できるこの時間を唾棄する人間などいるのだろうか。いやいないだろう、そんなやつはたぶん人間じゃないなぁ、と考えながらなおも猫の頭を撫でていると。


「ん……?」


 二匹のネコが同時に頭を上げて、これもまた同時にすっと振り返った。


 その振り向いた先に目をやると、この道路の先に、長いあいだ面倒を見られていないだろう植木鉢が並ぶその向こうに、もう一匹のネコがいた。


 白に茶色のブチ、いや茶色に白のブチか、そのどちらとも言えない半々くらいの毛並みのネコが、ちょこんと座りながらこちらを見ている。

 なんだろうか。少なくとも、がっつり目が合っているのだけど。


 この辺りで屯しているネコたちの特徴はある程度覚えているけど、そのネコの特徴は初めて見るものだった。この地域の新しいファミリーだろうか。いや、この辺りは地域ネコとして管理されている以上、新しく誕生したのでもないだろうけど。


「あ……」


 ふと気づくと、二匹のネコがいつの間にやらどこかへ消え失せている。振り返ると、お尻をこちらへ向けて走り去る二匹が見えた。恐るべし肉球。


 肉球といえば、ネコとじゃれていて肉球で手を叩かれたとき、あの痛くない衝撃が気持ちいいと思う人はどのくらいいるだろうか。

 などと考えているうちに、白と茶のネコも消え失せていた。


「あれ……?」

 変な感じがして立ち上がった。

 

 たち上がったその瞬間から――この物語は始まった。


 僕は、変な視線を感じて振り返った。


 振り返ったそこに――彼女がいた。


 ……いや。「彼女がいた」と表現したことは、彼女には伏せておこうと思う。そして彼女の名誉のために言い換えよう。


 振り返ったそこに、彼女が隠れていた。


 本当はこの表現すら間違っている。だって、「隠れていた」という表現から分かるとおり、僕は彼女の存在にすでに気づいている。けれど、彼女が隠れようとしている対象はまず間違いなく僕だ。その証拠に、今この瞬間でさえがっつり目が合っている。瞬きもなく、だ。だから僕は本来なら沢瑠璃さんが「隠れている」ことすら気が付かないはずなのだ。


「沢瑠璃さん……」


 僕は、その言葉の続きを言えなかった。


 なぜ。

 なぜ彼女は、僕の膝上くらいの丈しかない盆栽の陰に座って? 隠れて? いるのだ。そんなものでは彼女の身体の半分くらいしか隠せていないのに。なにより、今こうして目が合っていることは彼女にとって、見つかっていることの判断基準に入っていないのだろうか。つまり彼女は、まだ見つかっていない、と思っているのだろうか。


「……」


 僕は――何も言わず歩き出した。沢瑠璃さんの方へではなく、僕の家がある方へ。とりあえず、帰宅を再開してみることにした。


 そうする理由は、彼女の行動に何の意味があるのかを知るためだ。本当はストレートに本人へ訪ねてもいいのだろうけど……というより、これは僕だからいいようなもので、僕以外の人間なら、盆栽の陰にストレンジャーが座っている案件へと直結しているだろう。まあ、そんなことを考えている時点で、僕の中でもやんわりとそれに結びついてるのだろうけど。


 とにかく、ストレートに聞きづらいのでこちらの動向にどういう反応を返してくるのかを知ろうと思った次第だ。


 はたして。


 ……ついてきた。

 沢瑠璃さんは、隠れる努力を怠ったような隠れ方で、僕の跡を尾けていた。僕はスマホをいじる振りをしながら前面のカメラを動作させて、尾けてきている沢瑠璃さんの所作を盗み見ているのだけど。


 ……両肩をすくませて身体を小さく見せるというただそれだけの、それ以外に何もしていないその行動に、どれほどの信頼を置いているのだろうか。せめて物陰から物陰へ移動するなどしてくれれば、まだなにがしかの対応も考えられるのに。


 スマホで盗み見ながら、試しに立ち止まってみる。

 ……え、近づいてくるの!? あ、止まった。え、でも立ち止まるだけ? なぜに仁王立ち?


 彼女は本当に尾けてきているのか? たまたま帰り道が同じなだけなのかもしれない。そう思いたくなる、彼女の不審行動だった。


 ダメだ。これ以上は何かがダメだ。何かに対して、我慢できそうにない。

 僕は、沢瑠璃さんに声をかけることにした。

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