1】隣の教室の沢瑠璃さん -2

「女子を見つめながらの自傷行為はやめとけ」

 僕の前の席に座った理塚くんの第一言目はそれだった。


 僕は机へ無気力に突っ伏す。


 ……そうだ、そうだ。僕は想像対策で生駒さんと高安さんを見ながら考え事をしてたのだ、すっかり忘れていた。なんてことだ、どうやって汚名を挽回……いや挽回してどうするんだ、汚名を晴らしたらいいんだ、いっそ教壇の上で土下座を……いやそれじゃ結果として僕の頭の方が高い、ならいっそその窓の下で土下座を……いや見えない位置での土下座に何の意味がある、ここはやはりシンプルに

「何考えてるかは分からんけど、とりあえず二人にはオレから謝っといたぞ」

「理塚くぅんっ!」


 なんと手回しのいい友人なのだろう! 僕はがばと起き上がると最大級の感謝をこめて理塚くんへ抱きつこうとし、結果として顔面を押す形で拒絶される。


「り、理塚くん、じぇ、じぇひお礼を」


「うん、断るから座れ」


 理塚くんは、ぶつぶつ呟く僕に恐怖する二人へ謝ったあと僕の所へ来たが、自らを叩こうとする僕に彼もまた恐怖を覚えながらも止めてくれたらしかった。本当にリアルに怖かったらしかった。


「で、何があったよ」


 それでもなお、友人としての立場を崩さず問うてくれる理塚くん。


「あれ、その前に理塚くん、学食行ったんじゃ」


「なんも食わないんじゃ腹減るだろと思って」


 そう言って、メロンパンを一つ僕の前に置く理塚くん。この男子高校生はどこまで人が出来ているのだろうか。


 「それに」と彼は続けた。昼休み直前まで遅刻した理由が気になったのだそうだ。彼は「まあ、そんなに遅れたら普通は休むけどな」とも付け加えて、自分の分のパンにかじりついた。


 おかげで少しだけど戻った食欲のままに包装を破ってメロンパンをかじりながら、僕は朝に遭遇したあの出来事の始終を人の出来た友人へと語った。


「マンションノ……デセイフクノジョシヲミター」


「……なるほどな」


 この高校に入ってから三年目の友人は、少しのディレイを空けたあと、腕組みした。さすがというか、こんな抑揚も読点も漢字も平仮名もない言葉をよく理解できるな、と言った本人でも思う。


「つまり、マンションの屋上でうちの制服を来た女子が立ってたんだな?」


 まさに完璧で高度な翻訳だった。直訳ではなくある程度補完された訳文であるところもまたレベルが高い。黙ったまま鞄から包装チョコを一つ取り出して差し出すと、理塚くんに「そこまで血糖値下がってないから」と断られた。


 でも、ふとあることに気づく。素晴らしい精度の翻訳だけど、「うちの制服」という情報は開示していないというか開示し忘れているのに、なぜ訳文に含まれているのだろうか。


 尋ねてみると、理塚くんは「ああ」と指を立てた。


「ここ最近、よく耳にする噂があるんだよ」


「噂? 地球滅亡の?」


「あれ? お前、世紀末論者だったっけ? いや違うよ、変な学生がうちの学校にいるって噂」


「え? そんな、うちの学校の名を汚すような人がいるの?」


「……さっきそれにお前もなりかけてたこと、忘れんなよ」


 理塚くんが聞いた噂では、ここ最近マンションやビルなどに入り込もうとする一人の女子高生がいるらしい、ということだった。最近の特にマンションやビルは玄関がセキュリティドアになっている所が多いのだけど、その近くであからさまに隠れていて(矛盾に満ちているけどそうらしい)、住民や会社員がドアを開けると待ちかねていたように、というか待ちかねていて、走って入ってこようとするらしい。それだけでもよく分からないけれど、一番よく分からないのが、さすがに進入……この場合は侵入か、侵入を止められたとき、「おでんが、おでんがぁ!」という意味不明の言い訳をその女子高生が叫んでいた、らしいのだ。


「……なんだろうね」


「なんだろうな。ま、その噂もあって、うちの制服じゃねぇんかな、と思っただけだよ」


 言い終えて、理塚くんはパンを平らげた。

 僕も倣ってメロンパンの残りを口へ押し込みながら、理塚君の言った言葉を反芻した。「おでんが」と叫びながらマンションへ押し入ろうとした女子高生か。……要約してみたら、その正体は変を通り越してもう痛々しいだけだ。


「ふぁへふぉ、ふぉふぉあえ」

「食べてからしゃべる基本を思い出せ」

「んっく。だけど、そこまで分かってたらそれが誰か分かりそうじゃない?」


「ん、まあ分かるやつは分かってるみたいだ」


 妙な含みを持たせた物言いの理塚くん。どうやら彼は、大体の当たりはつけているようだった。ので、「だれなのそれ?」とストレートに尋ねると、複雑そうな表情で首を掻いた。そして焦れったそうな口振りとともに黒板のある方を親指で指した。


「隣の教室の沢瑠璃だよ」


「さわるり……さん?」


 人によっては一生出逢うことのないだろう超個性的な苗字を耳にした時、僕は思わずその耳を疑った。

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