第八〇話 クレイジーでサイコなお話

 雪が積もっている期間中の滞在は認められたものの、それ以降についてはどうなるかはわからなかった。この小百合女学院は森の中にあるから感染者に見つかる可能性は低いし、電気が使える。ポンプで地下水をくみ上げて利用しているから水の心配もないし、温室で野菜を育てれば一人分くらいなら余裕で賄えるだろう。

 拠点とするには理想的な場所だったが、問題もある。一番の問題はパンデミック前からここで暮らし続けている少女たちの存在だった。どこかで裏切られる可能性もあるし、人数が多ければそれだけ消費する物資の量も多くなる。


 小百合女学院にやって来てから三日。外に積もった雪は、まだ半分も溶けていない。この三日間太陽は出ていないし、夜には氷点下まで気温が下がってしまうので、せっかく溶けた雪もまた凍ってしまう。

 それどころか、再び雪が降り始めていた。雪かき用のスコップを手に校舎前に積もった雪を退かしていた少年は、灰色の空から降ってきた白い雪に顔をしかめた。せめて校門前まで車が通れるようにすべく一人黙々と雪かきをしていたのだが、始まって一時間もしない内にこれである。


「やんなっちゃうなあ……」


 せっかく雪かきを始めたのに、すぐに雪が降ってくるとは。どの道学院から続く道路上の雪を全て排除することは体力的にも時間的にも不可能なのだが、それでも運のなさに笑いがこみあげてくる。きっと明日の朝には雪かきした部分は全て埋もれているどころか、以前よりもさらに雪が積もっているに違いない。

 除雪車でもあれば話は別だが、普段雪が降らないというこの地方に除雪車などないだろう。雪があまり降らない地域に住む少年にとって、身動きが取れなくなるほどの雪なんて家族で出かけたスキー場でしか見たことがなかった。


 人間が激減したことによって排出された二酸化炭素が減って、温室効果が弱まったせいだろうか。それともどこかで核戦争でも始まっていて、核の冬でも訪れたのだろうか。そんなことを思いつつ、少年は額の汗を拭いながら校舎のポーチ下に停めたワゴン車へ向かった。これ以上作業をしていても、焼け石に水で体力の無駄にしかならない。

 屋根の下に停めて置いたはずのワゴン車も、吹き込んできた雪がタイヤにこびりついている。ようやく車だけでも動けるようにしたのに、この調子では再び雪に埋もれてしまうだろう。


 ひんやりと冷たい車体に手を触れ、ロックを解除し後部のスライドドアを開いて車内に潜り込む。ずっと外に放置されていたワゴン車の車内は寒く、吐いた息が白く漂う。暖房をつけたいところだが、燃料は節約しなければならない。

 積み上げた段ボールやガソリン缶で狭い車内を移動し、車体後部へ。最後尾のシートは左右に跳ね上げられた状態で固定してあり、床にはブルーシートが広げられている。それを捲ると、所狭しと並べられた銃器の数々が露わになった。


 校舎内への持ち込みが許可されているのは拳銃だけだが、校舎の外で自動小銃や散弾銃に触れてはならないとは言われていない。トリガーガードに通したチェーンを外した少年は、EBRキットを装着したM1Aライフルを手に取った。アルミニウム製のシャーシが、氷のように冷たい。

 寒冷地では銃火器の作動不良が起きやすくなると、少年が以前読んだ本に記載されていた。独ソ戦でドイツ軍が敗れたのも過酷なロシアの冬に武器の動作不良が多発したのが一因であると知れば、武器の点検を怠らないわけにはいかなかった。銃が動かなくなってしまえば、それこそナイフや斧で感染者に立ち向かわなければならないのだ。


 最低でも一日に一回は、少年は車で武器の点検を行っていた。最初は葵も興味津々といった感じでついて来ようとしていたが、当然追い返した。武器がどれくらいあるのか、どんな武器があるのか。それを正確に彼らに把握されるわけにはいかない。銃を持たせてやれば気が済むだろうと思っていたのだが、どうやら逆効果だったらしい。

 今や武器は水や食料と同じく、生き延びるために必要不可欠な存在だった。武器が無ければ襲ってくる感染者や暴徒に対抗できないし、食料が無ければ飢え死にしてしまう。どちらが欠けても生きてはいけない。


 弾倉を外したままののライフルのトリガーガードを跳ね上げる。するとM1Aライフルのトリガーブロックが丸ごと外れた。ハンマーや引金などのパーツの隙間に火薬カスがこびりついていないかを確認し、再びライフルに装着する。一番火力があるM1Aライフルは、何としても常に動作を快調にさせておく必要があった。いつも射撃の後に点検と清掃を行っているが、それでも用心に越したことはない。

 短機関銃も同様に点検する。特にMP5短機関銃は精度が高い反面内部構造は複雑であり、作動不良には特に気をつけなければならなかった。鉄パイプに引金や銃床を取り付けたような二連式の散弾銃や、構造が簡素なボルトアクション式のライフルは故障しにくい。信頼性を取るか、それとも瞬間的な火力を取るか。素早い感染者相手には一発でも多く銃弾を叩き込む方が重要なので、少年は自動式の火器に重点を置いていた。


 念のため、車の中から無くなっている物がないかも確認した。鍵はかけてあるし、警報装置も取り付けてある。もしも学院の人間が窓を割るなり何なりして無理矢理車内に乗り込もうとすれば、警報が鳴る。それが鳴っていないということは、学院の少女たちが車内に侵入しようとしなかったということだ。ピッキングなどの特殊な開錠手段を持っているというのも、少女たちの様子を見れば考えにくかった。

 だが念には念を、という言葉もある。特に今の時代、警戒はし過ぎて困ることはない。油断をした者から死んでいくのだ。ダイヤル式の小型金庫に納めた銃弾を確認し、ガソリンが抜かれていないかメーターも見た。貴重な移動手段を破壊するとは思えなかったが、配線が無事であることも確かめる。何も無くなっておらず、車も破壊されていないことを確認し、ようやく少年は一息ついた。


 少女たちが自分を歓迎していないことには気づいていたが、だからといって攻撃してくる気配が無いことも少年は知っていた。つい数日前まで平和な時代の論理に従って生きてきた彼女たちにとって、誰かを襲うなんてことは到底考えられないことだろう。

 もしも少女たちが襲ってきたら、悩みは一気に解決するのに。少年はそんなことを思った。彼女たちが攻撃を仕掛けて来たら、反撃して相手を全滅させることが出来る。そうすれば誰かに寝首を掻かれる不安は解消され、少年は安全な拠点を得ることが出来るだろう。ここにはまだ備蓄食料が残っていると裕子が言っていたし、温室で農業をやって行けば、一人で生きていくには十分な食料が継続的に得られる。そうなればもう、食料や安全な場所を求めてあちこちを転々とする生活から抜け出せる――――――。


 しかし彼女たちが攻撃の意志を示さないのであれば、こちらからも手出しは出来ない。いっそのこと一思いにやってしまおうかという衝動にも駆られたが、少年が己の中に定めた「ルール」は先に手を出すことを禁じている。法律も何も無くなってしまったこの世の中で、唯一少年が頼れるのが自分で決めた「ルール」だった。その「ルール」を無視してしまったら、今度こそ何も頼れるものが無くなってしまう。


 誰も導いてくれる者がいないからこそ、少年は自分で自分を導く術を持たなければならなかった。それが「ルール」だ。法律が失われ、秩序が消滅したこの世の中にとって、「ルール」だけが少年の中で唯一の確固たる存在だった。

 だから「ルール」に違反してはならない。それはまた秩序を失い、不安になる事を意味する。だから「ルール」は絶対なのだ。「ルール」を守っていれば、また過ちを犯さずに済む。

 

 だから少年は、絶対に少女たちに手を出すことはしない。ただし彼女たちが先に手を出してきた場合には、その限りではないが。




 点検を終えた銃火器に再びチェーンを通し、南京錠でロックを掛ける。車を降りた少年の顔に、吹き付けてくる雪の塊が張り付いた。

 まるで僕がここから出るのを阻止しているみたいだ。灰色の空を眺めた少年は、自分が天気にまで嫌われているのではないかと思い始めていた。昔は雪が降ればはしゃいで外を走り回っていたものだが、今はとても喜ぶ気分になれない。


 しんと静まり返った校舎に入ると、二階で授業を行っている裕子の声だけが唯一聞こえてきた。もう大学も受験も関係ないのに授業を続けているのは、彼女の教師としての意地なのだろうか。

 だが授業が行われていて校舎をうろつく生徒が少ないというのは、少年にとっては格好の状況だった。この学院に来てから三日、万が一の際に備えて校舎の中をあちこち探索し、緊急時にはどう動くかをシミュレートしている。

 もしもこの学院が感染者に発見されたらどう逃げるか。あるいは学院の生徒たちが心変わりして少年を襲ってきた場合、いかに交戦しつつ退避するかのためだった。しばらく滞在する以上、構造を細部まで把握していて悪いことはない。


 裕子は寮や一部の箇所を除けば、基本的にどこに出入りしてもいいと少年に許可していた。生徒たちはいい顔をしないだろうが、彼女たちのリーダーが決めたことだ。たとえ文句を言われたとしても、その筋合いはない。

 既に校舎は女子トイレの中も含めて全て把握済みだった。小百合女学院の敷地には普段授業が行われる授業棟を中心に、音楽室や家庭科室のある管理棟、300人以上在籍する生徒を全て収容できる体育館とその隣の食堂などが配置されている。校舎は渡り廊下で寮とも繋がっているが、出入りが許可されていないのならば行く必要は無い。


 ソードオフの散弾銃が入ったリュックを肩に掛け、少年は管理棟を目指した。管理棟には図書館があるから、暇も潰せる。この学院に来る前は常に感染者や暴徒を警戒していたため余裕などこれっぽっちも無かったが、この学院に来てから少年は時間が経つのが遅くなったと感じていた。

 多分、ここが平和を保っているからだろう。感染者に襲われる心配もなく、仮に生徒たちが襲い掛かって来ても余裕で撃退できる。だからといって警戒を解くわけにはいかないが、気を張り詰めすぎていてもストレスが溜まるだけだ。

 ならば気が抜ける間は、ひたすらリラックスしておいた方がいい。雪が融けてここを出て行くか、あるいは暴徒や感染者に襲撃されるかはわからないが、いつまでもこのような平和な生活が長続きするわけもない。チャンスは最大限に利用する、それが少年がこの9カ月で学んだ生きるための術でもあった。



 私立のお嬢様学校ということもあって、図書室は最早図書館と言ってもいいほど広く、蔵書の数も膨大だった。二階層分のスペースをぶち抜いて作られた図書室にはいくつも棚が並び、そこかしこにこれまた高級そうな丸机や木の椅子が置かれている。

 棚に並ぶ本には、若者向けの小説など一冊もなかった。分厚い本の背表紙には、難しい言葉ばかりが並んでいる。小説を見つけたので手に取ってみると、海外から直接仕入れたらしい英語の書籍だった。


「頭が痛くなりそうだな……」


 少年が知りたいのはローマ帝国の歴史でも英語で書かれた指輪物語でもなく、生き延びるための実用的な知識だった。いくつも並んだ本棚を回り、何か役に立ちそうな本を探して回っていた少年は、ふと何か物音が聞こえることに気づいた。

 今は授業中だし、授業に出ていない生徒も寮にいるだろう。本を読みたいと思っても、自室に持ち帰って読むはずだ。現に貸出カウンターの上に置かれた貸出記録帳には、律儀に本を図書室から持ち出した生徒たちの名前が最近まで書かれている。わざわざ図書室で本を読む生徒はいない。

 だとしたら、誰が何でこんな場所にいるのだろうか? 音の出どころを探して歩き回っていると、物音は貸出カウンターの向こうにある準備室から聞こえてきていることが分かった。何かが軋むような音と共に、微かだが荒い吐息が聞こえてくる。


「……まさか感染者とかいうオチじゃないよな」


 考えたくはないが、その可能性も排除しきれない。今朝見回りを行った時も敷地を取り囲むフェンスや校門に異常は見られなかったらしいが、それでも感染者がどこに現れてもおかしくはない。しかし感染者が誰にも気づかれずに敷地に忍び込み、わざわざ図書準備室に侵入して扉を閉める、なんて知識を持っているわけもない。

 あるいは自分や生徒たち以外の第三者が忍び込んだか。その可能性の方が高いだろうと少年は思った。誰かが勝手に外から入り込んだのならば放置しておくわけにもいかないし、ましてやそれが悪意を持った人間だとしたら、尚更排除しなければならない。カウンターを乗り越えた少年は拳銃を引き抜くと、図書準備室に繋がるドアノブに手を掛けた。


 鍵はかかっていなかった。ゆっくりドアノブを回し、音が立たないようそっとドアを開ける。そこからわずかに顔を覗かせた少年は、予想の斜め上を行く光景に思わず拳銃を取り落としそうになった。



 図書準備室には貸出準備や返却作業中の図書が並ぶ本棚と、作業をするための大きな机があった。その机の上で、二つの裸身が絡み合っている。顔はよく見えなかったが、その内一人のショートカットの髪には見覚えがあった。ボーイッシュで飄々とした態度の、三年生の大場礼だ。

 礼はもう一人の女子生徒の身体に両手を伸ばしていた。礼が手を動かす度に、女子生徒が嬌声を上げる。礼の引き締まった身体と、女子生徒の白い背中。「え、なにこれは」という言葉が喉元まで出掛かったが、どうにか声に出すことを阻止した。少年はどうしていいのかわからず、そっと扉を閉じた。

 

 二人は少年に気づいた様子もなく、相変わらず卑猥な行為に耽っている。無言でカウンターから這い出し、図書室を出た少年は、ドアを閉めた瞬間大きく息を吐いた。


「まさか真昼間から盛りあう馬鹿がいるとは……」


 やはり女子校というのは、男子の理解の及ばない場所だ。今の光景を見なかったことにした少年は、予定よりも大幅に早く教室へと引き上げた。

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