赤い鉢巻の旋風

伊達隼雄

赤い鉢巻の旋風

「正義の味方、参上!」


 十代後半といった感じの男であった。黒い詰襟を着ている。学生であろう。額に赤く長い鉢巻を巻いている。


 謎の少年の登場に、その場にいた全員が驚いた。

 全員とは、今まさに拳銃で幼き命二つを奪おうとしている初老の男、それに付き従う集団が十数名。そして、幼き命二つ――まだ小学生と思わしき女の子、グッと幼い、幼稚園児ほどの女の子。彼らは廃棄された工場で惨劇を巻き起こそうとしていたし、また、それを避けようとしていた身である。


 男たちは、珍客の登場に呆気にとられていた。

 先程まで互いの命だけは助けてほしいと叫んでいた姉妹は、彼に見覚えがあった――


 * * *


 始まりは、なんとも単純なことであった。

 幼心の気まぐれが偶然、殺害現場へと女の子を運んだ。初老の男にとっては、見られては困るものだった。互いに不運であるとしか言えない。大人ならば、隠ぺいされた現場など無視していただろう。しかし、幼子の純粋はそのベールを通り抜けてしまったのだ。


 初老の男にとって、唯一にして最大の幸運は、目撃者は始末に容易い子供であったことである。

 女の子は、見てはいけないものを見たと直感し、慌てて逃げた。子供であることを利用した通路の見出し方で、なんとか自宅まで戻れた。恐怖で動悸がおさまらず、人の死を見たショックが幼子を苛んだ。

 家でマンガを読んでいた姉は、慌てて帰ってきた妹の、妙な様子に気づいた。


「まこ、まこ、どうしたの? 具合、悪いの?」

「お姉ちゃん……う、うあああ……うああああ!」


 泣き崩れる妹に、今まで感じたことのない不吉を感じた姉――ちあきは、必死になだめた。

 しばらくして泣き止んだ妹は、自分が見たものを、自分の言葉で可能な限り姉に伝えた。ちあきはにわかには信じられなかったが、様子のおかしさが真実を物語っていると思った。警察に電話しようと手を伸ばしたとき、


 ピロロロロ……


 タイミング悪く、鳴り響いた電話。受話器をとると、知らない男の声。


「こんにちは――石橋さんのお宅ですか?」

「は、はい」

「――」しばしの間があった。「妹さんは帰っていますか? わたくし、妹さんの忘れ物を拾ったのですが」


 ちあきはまこに忘れ物の有無を尋ねた。逃げる時に、迷子札を落としたかもしれないと返ってきた。途端に、ちあきは身体全体が凍えるような恐怖を感じた――


 電話を切ったちあきは、急いで警察に電話をし、事情を話すとすぐに家に来てくれるよう頼んだ。そして、受話器を置こうとした瞬間、どんどんと玄関のドアを叩く音。二階に上がって見てみると、数名の男。

 確証はなかったが、確信があった。まこを連れて二階から外に出たちあきは、裏からこっそりと逃げ出した――


 それからのことを、ちあきとまこはハッキリと覚えていない。ずっと必死だったから。捕まる、その瞬間まで――


 そう、彼女たちはハッキリとは覚えていない。

 どれだけ必死に、ちあきが知恵を振り絞ったか。まこが姉を庇おうとしたか。


 ――そして、ボロボロになって意味をなさなくなっていたバスの時刻表に困っている一人の少年に、通り過ぎる瞬間、次のバスの時刻を教えたことさえも。


 * * *


「バスの人……?」


 気づいたちあきは、確認するようにつぶやいた。

 聞こえたらしく、少年は、ボロボロで転がっている姉妹の方を見た。


「さっきはありがとうな。気になって追いかけてみて良かったよ。あんまり必死な顔なんだもんなー」


 安心させるように笑って見せた少年は、男たちの方に振りむくと、ギュッと引き締まった顔を作った。


「お前ら、よせよ。この女の子たちが何したんだよ」一歩、踏み出す。「お前ら、誰かを殺したんだってな。近くまで来たら聞こえたぞ」さらに、一歩。「見られて口封じのつもりなら、絶対させないぞ」もう一歩――


 無遠慮に近づいてくる少年に、初老の男は戸惑っていた。自分は今、拳銃を握っているのだ。まさか、知らないということはあるまい。日本は銃社会ではないが、これが人命を一瞬で奪う、人類史において殺害方法を劇的に変えた凶器であることは万人が共通認識としているはずだ。だからこそ、銃は規制されるし、貴重である。


「お前ら全員、ぶっとばしてやる。正義の味方舐めんなよ」また一歩。やはり無遠慮。


 ――ただのバカか?

 男たちは目の前の少年を、そう判断した。笑いがこみあげてくる。


「鉢巻くん」初老の男は、唇を吊り上げ、拳銃を向けた。「正義の味方の登場には感動させてもらったよ。どういう理由か分からんが、そこの二人を助けようと言うのだね? いやはや、素晴らしい善人だ! しかし、覚えておきたまえ――時に正義は、力のある者にだけ宿る! この場での正義は、絶対的に正しいのは、我々なのだよ! 君は正義ではない。死体というゴミを増やすだけの悪人とさえ言えよう」

「俺は正義じゃない。正義の味方だっつってんだろ」やはり、一歩。


 なぞかけのような言葉は、戸惑いを蘇らせるのに十分だった。


「正義を名乗るつもりはないし、よく分かんないところもある。そんな俺にも、この状況でどっちが正しくてどっちが悪いかぐらいは判断がつく。寄ってたかって命を奪うようなあんたらが正しいわけないだろ。互いを守ろうとする子供たちが悪いってんなら、そんな世の中クソ食らえだ。正義はこの子たちにあるから、俺はこの子たちの力になって助けるんだよ。恩もあるしな」止まらず、一歩。

「私は、今日はすでに人を殺しているんだぞ?」


 初老の男は、とうとう発砲した。今日二度目。轟音と光が新たな死を招く――

 はずだった。


「言っただろ。だから俺は、正義の、味方なんだよ」銃撃を見ても、弾丸が腕をかすめても、苦悶が現れても、一歩一歩の歩みは止まらなかった。


 戸惑いは遂に大きな混乱となった。

 初老の男は暴力と死の世界に生きてきた。それは事実だ。しかし、それでも、死を前にすれば誰もが恐怖を感じる、はずである。それは経験として理解できていた。銃は、その現実をもっとも直接的に与えるものだ。


 しかし、少年は怯むことなく歩み続けた。


「――我らは正義にあらず、正義代行者なり」ブツブツと、少年は何かを呟きながら一歩。


 混乱は暴力の嵐を巻き起こすこととなった。初老の男は、次の銃撃を放てなかった。控えた十数名は、混乱を振り切るために、それぞれの武器をもって少年に襲い掛かった。それでも、正義の味方を名乗る少年は止まらなかった。


「我ら正なる者、義ある者の力なり――」


 殺意と共に襲い掛かるそれぞれを、少年は歩きながら受けてたった。

 金属バット、鉄パイプ、ナイフ、スタンガン、カッター――様々な、簡単に手に入る武器。見事な身のこなしで、歩きながら少年はさばいた。しかし、いくつかは受けざるを得なかった。

 少年は、襲い掛かるそれらに対しても、前進をやめなかったからである。


「――我ら正義の力であるがゆえに悪逆非道に一歩たりとも退くこと許すまじ」


 力強く握られた拳。無造作に振るわれたそれらは、武器を持った男たちには巨岩のようにも思えた。迫るだけで恐怖があった。絶望があった。

 拳が当たった瞬間、それだけで襲い掛かった男たちは全身が砕かれたように感じ、それを最後に、倒れ伏した。


 決して背後の姉妹には到達させず、されど前進はやめず、通る暴力の者すべてを鉢巻の少年は渾身をもって叩き伏せた。


 平和な日常生活では決して聞くはずのない音が再び。そこから放たれた小さく、それいで最大の暴力が少年の右肩を貫く。

 続く轟音。かすり続け、脇腹には直撃した。

 姉妹は、悲鳴を上げ続けた。妹はとうとう姉に泣きすがったが――


 ちあきは、見ていた。

 目をそらしてはいけないと思った。

 血を見ても。暴力を見ても。銃撃を見ても。怖いことだが、決して目をそらしてはならない――少年が、戦ってくれている。守ろうとした自分たちの意志を、代弁してくれている。少年の言葉を認めるならば、つまりはそういうことである。

 目をそらすのは、彼への、自分たちへの、裏切りに思えたのだ。


 まこは、姉の表情からそれを読み取れるほどには年を重ねていない。

 しかし、思ったのだ。

 自分も見なければと――


 カチ、カチ――暴力の終わりを告げる、軽い音が廃工場に響く。初老の男は拳銃を少年に投げつけたが、胸に当たって落ちただけであった。

 暴力を越えた力で築き上げられたものをバックに、少年は一歩ずつ初老の男へ。

 男は、ナイフを取り出した。みっともない雄叫びをあげながら、がむしゃらに突撃する。


 少年は、歩きながら、拳を後ろに下げた。グッと握られる。


「我ら正義の力であるがゆえに――」

「うがあああああああ!」


 みしり――

 二ヶ所、地面が沈む。風を切る音の直後に、鈍い音。次いで、鉄の音――


「悪逆非道、一撃をもって倒すべし! それなくてなんの世界か!」


 拳の振り上げにより、天井を突き破って飛んだ初老の男は、そのまま位置をずらして、屋根に着地した。


 勝者を示すように、光が差していた。しかし、少年はそこをふらっと離れると、姉妹のもとへ歩いた。その歩みに、威圧感はなかった。

 目線の高さを合わせ、問う。


「警察呼んで、怪我もちゃんと治療してもらおーな。もう怖くねーぞ。君らの頑張りがあいつらぶっとばしたからさ」


 当然のことのように言う少年に、姉妹は反応を選べない。


「あの、ありがとうございます」ちあきは、咄嗟にお礼と――「さ、さっきブツブツ言ってたのは?」疑問を述べた。


 少年は、二人を連れながら、廃工場を出た。そして、歩きながら語った。


「おまじないみたいなもんかな。俺に色々教えてくれた人たちの受け売りなんだけどね。パワーが沸いてくるんだ」


 パトカーのサイレン。二人を送り出すと、少年は別方向に走って行った。


「じゃあな! 姉妹仲良く暮らせよ! バスには乗り遅れたけど、電車ならまだ大丈夫っぽいから、もう行くわ!」



 ――風のように飛び跳ねて消えていった少年のことを、どう話したらいいだろう。ちあきもまこも、そればかり考えていた。あれはそもそも、何者だったのだろう。分かるのは、自分たちを助けてくれたこと、想いを代理して戦ってくれたこと。

 警察の行動は迅速だったが、廃工場の状況は疑問を生むものであった。

 誰が、彼らを倒したのか?

 ちあきとまこは、そういえば名前を聞いていなかったと気づき、咄嗟に答えた。


「「正義の味方」」

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赤い鉢巻の旋風 伊達隼雄 @hayao_ito

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