蒸気都市ロンディニウム

 蒸気都市ロンディニウムの空は今日も霧に覆われていた。

 ロンディニウムは大きく分けて三つの層に分かれている。上層には女王の住まうパレスが聳え立ち、その周囲に上流階級の市民の邸宅が並びたつ。

 中層は最も人口の多く、この都市の代名詞とも呼べる区画だ。上層の下部に位置する中層には、ありとあらゆる職に就く労働者たちが住んでおり、他の都市へと繋がる巨大な駅がある。

 下層についてはあまりよく知られていないが、ロンディニウムの根幹たる巨大な蒸気機関があるらしい。

 中層から見上げる景色はいつも変わらない。中層へと届く日光を大きく遮り、天を衝くパレス。従者のように追随する何本もの塔。停泊する飛空艇。晴れることのない霧。

 一つだけいつもと違うのは、少佐以上か、治安部隊でなければ騎乗を許されない騎乗竜が、時折空を駆けていくのが小さく見えることだ。一週間後に軍警のトップの就任式が控えているものだから、警戒を強めているのだろう。

 そうやってぼんやりと窓から空を見上げていると、一枚の写真が視界を遮った。

「見ろよ、この間の写真出来上がったんだ」

「ああ、うん」

 楽しそうに同僚が見せびらかす写真をちらりと見て、軍警の青年、クリフは生返事をする。

「なんだよ、元気がないな。ついこの間まであんなに正義感と意欲に燃える好青年だったっていうのに」

 同僚、エリックが写真をぱたぱたと振りながら茶化す。写真にはクリフとエリックが肩を組んで笑顔で写っていた。

「赴任先がこんな場所だとは思わなかったんだよ」

「それはまあ、そうだな……」

 新米の軍警である二人が任じられたのは、とある詰所の維持であった。しかしその詰所というのが酷い立地で、中層の東、端っこも端っこ。中層を構成する骨組みの剥き出しになっている場所で、しかも道路のすぐ横に張り出すように作られているのであった。噂によれば建設途中で放棄された区画らしい。

 もう二区画となりの詰所はきちんとしたビルディングの一階にあるというのだから、二人がここに任じられたのはもう不運だったとしか言いようがない。

 エリックは個人識別用のパンチカードを壁の識別機に入れ、警邏用のポーチを取り出した。クリフもそれに続いてパンチカードを入れる。カシュッと軽い音がして鍵が開いた。

「もしここの床が抜けたら、そのまま下層まで落っこちちまうかもな!」

「やめろよ。縁起でもない」

 クリフは想像して身震いした。

 労働者然とした男が慌てて詰所に駆け込んできたのはその時だった。

「事故だよ、事故! 馬車が横転してる!」


 事故現場には当然ながら人だかりができていた。軍服姿の二人が近づくと人混みは自然と割れ、二人を通した。二人が到着したのは、既に乗客は馬車から降り、御者が馬にかけられていた縄を切って助け起こしている最中だった。御者の運転がよほど上手かったのか、乗客も御者も、引いていた馬でさえも軽い怪我で済んだのは不幸中の幸いだろう。

「こう言っちゃなんだが、竜車じゃなくてよかったよ」

「まったくだ」

 二人は声を潜めて言い合う。

 竜車は、馬車と同じように竜が引く車だ。騎乗竜と同じく少佐以上もしくは上流階級の関係者しか乗れないことになっている。

 ため息を吐きながらクリフがふと足元に目をやると、何か白いものが視界の端に映った。屈みこんで馬車の下を覗き込むと、小さく真っ白な手が、馬車の下から伸びているのに気がついた。

「大変だ! 子供が下敷きになってる!」

 クリフの叫びに周りで静観していた人々は一大事と集まり、力を合わせて馬車を立て直し始めた。

 十分も経った頃だろうか。馬車はようやく持ち上がり始めた。大きめの蜥蜴が慌てて馬車の下から這い出ていったが、誰も気にする者はいない。誰かが呼んできた力自慢の労働者の手を借りて、ようやく馬車の下に押しつぶされていたものの正体が分かった。

 馬車の下に倒れこんでいたのは一人の少年だった。肩の上で切りそろえられた金髪。人間的ではない真っ白な肌に、特徴的な球体関節。

「なんだ自動人形じゃないか」

 協力していた人々は安堵の息を吐いて、ぞろぞろと去っていく。

 少年はぎこちない動きで起き上がると、緑色の目でまっすぐクリフを見た。クリフは急に気恥ずかしくなって、上着を脱いで差し出した。

「とりあえずだ。服を、着なさい」

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