第13話 俺、今、女子反攻中
この間の夜、
それは、柿生くんが沙月の親の病院に診察してもらうようになって数年経った頃のことだった。そもそもの、柿生くんがその病院に見てもらうことになったきっかけは、オフィス家具卸や事務所移転なんかの仕事をする会社に勤めていた百合ちゃんのお父さんが、紗月の父親の病院の担当だった。その縁で柿生くんの障害を見て貰うことになったのだった。
そして、その後、公私ともに頻繁に病院に通うようになった百合ちゃんのお父さんの、柿生くんを思う真摯な態度を見ていた病院の人たちから仕事でもずいぶんと信頼を得て、病院の建て替えの際に什器や移転工事を全面的に任せてもらえると言う大きな仕事を貰えたのだった。で、そんな信頼に答えようと、頑張って良いものを仕入れて丁寧に工事した百合ちゃんのお父さんもボーナスが増えて——ウィンウィン! となった……はずであった。
ところが、そこで百合ちゃんのお父さんの心に魔が差したのだった。非常に大きな工事で、内容も多岐にわたる移転工事の全貌は、任された百合ちゃんのお父さん以外に分からなくなっていた。そこを利用して不正を働いた——と沙月が中学校時代の百合ちゃんに見せたのが一枚の見積書なのであった。
『あなたのお父さんが、工事をごまかしてた証拠よ』
沙月がそう言って出したろう紙には、いろいろな工程の見積もりが書かれていたのだが、そのうちの一つ、事務机の入れ替え八百数十台が問題だったのだった。
『私は数えたの。あなたみたいな泥棒の一家はきっと数をごまかすだろうって思って。あなたのお父さんを信頼しきっていたうちのパパはちゃんと机の数なんてチェックなんてしてなかったからね』
なんとかして百合ちゃんの弱みを握りたい沙月は、納入された机の数と見積もりの差を見つけてそれを指摘してきたのだった。
『他も椅子とか、ロッカーとか数が合わないものも随分とあったわ。その調子じゃ、工事も手抜きしてごまかしているかもしれないわね』
あっ、ちなみに——柿生くんが知ってたのは、あの花壇の事件の前についうっかり百合ちゃんが漏らした『お父さんが仕事で数をごまかす……いいえなんでもないわ』と言う言葉までで、沙月の発言とは詳細は俺の脳内補完だが、でも……それは当たらずとも遠からずだと思っていた。なぜなら——その問題の見積もりのコピーを百合ちゃんが机の中に入れていたのを見つけた時に俺は、これがそれであることを確信したのだった。そして、これがそうなわけはない。百合ちゃんのお父さんはそんなものをごまかすような人じゃない。俺は、そう思って百合ちゃんのお父さんの部屋を探して、見つけたのだった。
見積もりは二つあったのだった。沙月が言う、不正を行ったと言う過大な見積もりと、もっと少ない数の納入品が書かれた見積もり。なんのことは無い。百合ちゃんのお父さんはちゃんと、誠実な仕事をしていて、単に二回見積もりを出しただけに過ぎないのであった。たぶん、概算の荒い見積もりと、しっかり検討してからの
その荒い見積もりと、実際の納入が合わないと言う理由で沙月は百合ちゃんに付け入ったのだった。百合ちゃんのお父さんが不正をしていると騙したのだった。実際はその後に、ちゃんとしたものを提出して、しっかりと契約をしたのに——虚偽の不正をでっち上げられて脅されたのだった……と俺はことの真相を予想したのだった。
百合ちゃんが大事にとっていた見積書——そんなものを理由もなく保存するわけがない。だから俺は確信したのだった。机の中にあったのがそれに違いない。「数をごました」と言うのはこの見積書に違いないと思ったのだった。そして、その本物も見つかった。これで沙月の脅かしを跳ね返せる。
俺はそう思ったのだった。
しかし……
「まったく泥棒猫が、良い度胸ね。あなたのお父さんがどうなっても良いのかしら」
俺を自分の部屋に連れ込んだ沙月が出してきたのは全然別の紙切れだったのだった。
——あれ?
「まったく——何回言われれば分かるのかしら? あんたみたいな、やぶ蚊みたいな、お兄さんに近づく虫けらは、まともな人間の生活なんておくらせてあげないんだけど」
沙月は薄笑いを浮かべながら俺(百合ちゃん)に向かって言う。
この発言は予想通りだった。
「どう、どんな気分? あなたはいくらお兄ちゃんに気に入られていたって、その好意を受け入れられる資格なんてないのよ——自分が虫けらになった気分はどうかしら? そんな虫ケラがお兄ちゃんに近づいたって——虫けらなのに変わりはないんだから」
なんだかこのヤンデレ妹がかなりひねくれた愛を発動してしまっていそうなようだった。で。沙月は、百合ちゃんを兄の前で直接
「まったく、何、お兄ちゃんの前であなたの悪口言ったら『沙月、嘘を言う子はお兄ちゃんは嫌いだよ』って、あなたの方を持って……だって、だって、私は悔しくて、お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんなのに——それをあなたが奪ってしまう」
この女は、直接兄が百合ちゃんを嫌うように仕向ける、百合ちゃんを嫌うように仕向けるのは諦めたようだった、なぜなら、それは百合ちゃんを信頼している兄を騙すは大変だと思ったのもあるだろうが、
「どう? ねえ、どう? お兄ちゃんに優しくされるあなたが、愛される価値のないゲス女だなんて? そう思われてるって? あなたの学校でのことがバレたらどうする? みんなにそう思われてることとか——だから……今日みたいに友達と楽しくやってきちゃったりしたらダメなのよ。あなたはああならなきゃならないの。さあ、みんなに嫌われなさい。友達なんて誰もいなくなりなさい……そして」
なんとなく俺は沙月の言う次の言葉を予感した。
「私だけを考えていなさい」
このブラコン女は、百合ちゃんのことを邪魔に思って、虐げたいと思っているのだろうが、ずっとそんなことを考えている内に、その心が強すぎて、
「……逆に依存してるのか」
「なに? 何言ってるのあなた!」
「…………」
ちょっと狂気を孕んでいると言っても良い目の沙月。
俺は押し黙り考える。
百合ちゃんは——優しく……いやずるい百合ちゃんはこの女と自分がどう相対するべきと思うのだろうかと。
「……そうだよな」
「なっ、何するの!」
俺は一歩踏み出て、沙月が持っていた紙を奪う。
それは請求書と書かれた紙だった。
「はあ? 何? あんたのお父さんの悪行をもう一回見たいの? その追加の事務用イスの代金の振込み先、あなたのお父さんの口座なんだけど。あなたのお父さん自分用の口座作ってそこに会社に振り込まれる金を入れようとしたのだけれど」
なるほど。この女はそれもやっていたんだ、と俺は思う。
——ああ、お前の手はお見通しだよ。
幾ら何でも——不正の振り込みをさせるにしても——自分の名前の口座に振り込ませる? そんな雑なことをして——それが成功するなんてことはあるのだろうか? って俺はすごい違和感をもって沙月のドヤ顔を見ながら思うのだった。
それに——そもそも、
「名前間違っている」
「は?」
「名前まちがっているぞ。昭夫じゃなくて昭雄なんだけど」
俺の言葉に沙月は一瞬息を止める。その動揺を見逃さずに俺は言う。
「お父さんの名前間違うのおかしくない? 本人以外の名前で口座なんて基本的には作れないだろ。身分証明書必要なんだから」
「それは……きっと、何かの間違いで……」
ああ、見積書の件は新旧をごまかしての虚偽だったが——これは偽造だろう。所詮コピーなのでフォトショかなんかでいくらでもこんなものは作れる。なので俺は確信を持って、問い詰めるように沙月の顔を見つめるが、
「名前なんて——口座申し込みの時にどうにでも……」
なんだか動揺したような顔の沙月。
この女は銀行の口座開設は本人名しかダメなことも身分証明が必要なこともしらなさそうだな。俺はバイトの振り込み先の口座作る時にそれを知っていたが、このお嬢様はそんな必要なさそうだしな。
おれは更に言う。
「間違い? 何が?」
「……銀行の人が名前の入力間違ったとか……」
すると、沙月はなんとか言い訳を考えようとしてくる。
でも、ふん——なるほど、
「それも、無いとは言わないけど——不正を行おうとする時に名前の間違った口座に入金させようとする——ちょっと迂闊すぎるな。そもそも自分の名前の口座に入金させようとするのが迂闊だけど」
「迂闊でもなんでもこれは起きたことなのよ。証拠なのよ」
かなり焦った感じで俺に書面を突き出してくる沙月。
受け取った俺は言う。
「じゃあ、これを君のお父さんのところに持って言って見ようか」
「なっ! 何! あなた自分の家族がどうなっても良いの。あなたのお父さん、会社を首よ。うちで柿生くんの治療だってできなくなるのよ! あなただって犯罪者の娘って後ろ指差されるのよ」
はあ? 今、後ろ指差されるようになっているのはお前のせいじゃないのか。
俺は頭にきてじっと沙月を睨むが、
「何? その目? 分かったわ——これだってあるのよ! 見て、あなたのお父さんが数ごまかしていた見積書。きっとなんか計算失敗して——赤字なっちゃうのをごまかすために数を減らして納入したり、他に工事の手抜きもきっとしたに違いないわ!」
ああ、結局これに来たなと思って。俺はポケットから例の紙を出す。
最終的に提出されたと思う、沙月が俺に突き出したものよりも新しい日付の正しい机の数の入った見積書を出す。
「だから——それを君のお父さんに見せたらって俺は言ってるんだけど」
「………………」
沙月は追い詰められ、びっくりしたような顔をしながら俺を見る。
「誰?」
「——?」
「あなた誰よ!」
「——? 誰って、何言って……」
「百合……百合っぺならこんなこと言わないはずよ……あなたは誰なのよ!」
はい?
「あなた偽物でしょ! あなたは百合っぺじゃない……誰よ!」
突然の沙月の剣幕に思わず押されて後ずさる俺。
「返してよ!」
誰を?
「あなた百合っぺを何処にやったの? 私に返してよ。百合っぺを返してよ!」
「返してって、俺……私は百合で」
なんだか沙月の勢いにしどろもどろになってしまう俺だが……
「そこまでにしてください……」
「えっ……」
俺が振り返ると、開いたドアの前に立っていたのは喜多見美亜——つまり百合ちゃんであったのだった。
その喜多見美亜=百合ちゃんは、そのまま沙月にちかずくと、あっけにとられた彼女の肩をつかみ、ぐっと顔を引き寄せると、深く、なんだか物悲しい顔つきで——キスをするのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます