第6話
「くっ……いつつっ」
「お目覚めですか? 双弥様」
「……ここは?」
馬車の振動により目が覚めた双弥は、何が起こったのかわからなかった。
どうしてこうなったのか、自分が気を失うまでのことを手繰り寄せる。
「ああ……」
思い出した。フィリッポにやたれたことを。
全く手も足も出せなかった。今までの鍛錬が無駄であったかのような無力感が襲う。
「俺は……あのとき……」
「双弥様、あれはお気になさらないほうがいいですよ」
「だけど……いつっ」
少し体を動かしただけでも痛みが走る。肌が張っているせいだけではなく、感覚が治ったことに対応できていないようだ。
痛みは思考を一時的にでも遮断する。生存本能的に脳は痛みを優先するようになっているから仕方がない。
双弥は痛む腕を苦々しく見、大人しくすることにした。
そして改めて自分が今、どこでどうなっているのかを確認する。
馬車……屋根と壁がある、
(ちょっとこれはおざなり過ぎないか?)
己を固定しているベルトを外そうとしたが、痛みにより両腕が使えないため諦めた。
対面を見ると、薄暗い室内に日が入り込み、リリパールを照らしているのが確認できた。
「今何時だ?」
「もうじき夕刻になります」
夕刻は17時か18時辺りだろう。するとあれから5時間くらいは経っていることになる。
日は大分傾いてきており、遥か遠くの山脈の斜面に半分ほど埋もれている。
街灯もないであろうこの世界で、日が落ちたらほぼ周囲が見えなくなる。
双弥は太陽と逆の方へ顔を向ける。すると広大な人工物、壁のようなものが夕焼けに照らされているのが見えた。
ほぼ均一の高さの壁に、一定間隔で塔のような見張り台がある。恐らく町か要塞の類だろう。
「なあ、あれって町か?」
「はい。私の家がある町なんですよ」
ということは恐らくキルミット公国の首都であろうと推測できる。
城或いはそれに準じたものがそこにある、ということだろう。
痛みのせいもあるが、異世界の町に対する興味でフィリッポにやられたくやしさが薄れかけてきている。
そもそも双弥の道場は皆、彼よりも倍の年数は練習している年上ばかり。つまり双弥は下っ端で、負けることなどよくあったため、負けたからくやしいという気持ちがそこまで強くない。
それでもやはり、つい先日まで素人だった人間に負けたというのはひっかかるものだ。
聖剣を持った勇者は人間の枠から外れている。素手でグリズリーに挑んだと思って諦めることにした。
馬車はようやく壁──門へと差し掛かった。
流石は領主の馬車。門を一瞬も止まることはなく、そのまま通過していった。
双弥はようやく異世界らしい建物を見て、体の痛みを忘れるほど興奮している。
所謂中世ヨーロッパ風の建築物。一瞬コンクリート製かと思うが、単に土壁の外側を防水性のある塗料で塗ってあるだけだ。
そこへ煉瓦や平石で飾っていたり様々だが、間違いなく日本の建物とは異なっていた。
夕暮れという時間にも関わらず、町は人で賑わっていた。
窓から外を覗くと、興味ないものは素通りし、子供たちや女性、老人などは笑顔で手を振り、リリパールは笑顔で手を振り返している。
領主が来たから土下座しろ、みたいな雰囲気は感じられず、領主は国民を愛し、国民は領主を愛しているのだとわかる。
そんな風景を楽しんでいたところ、また門へと辿り着く。道の先を見ると木々が生え揃い、一瞬外へ出たのかと錯覚する。
だがそれは庭であり、その先には巨大な建築物が建っていた。
「あれが私の住む屋敷です」
リリパールは屋敷だというが、城と言ってもいいほどの超豪邸だ。
むしろこれを城と呼べないとは、四大王国というのがどれだけのものを持っているのか想像すらできない。
馬車ごと建物に入り、双弥たちは階段の前で降ろされた。
そこには1人の男と、それを守るように立つ騎士たちの姿がある。
歳は50ほどだろうか。背はさほど高くはないが、しっかりした体つきと、漂わせる威厳のせいか大きく見える。
服装は豪華さはないが高価さが一見でわかるスーツを着ており、渋い顔に口ひげをたくわえている。
「お父様、双弥様をお連れいたしました」
リリパールが小走りで男──公爵の前に立ち、軽く頭を下げる。双弥もそれに倣い頭を下げた。
「ほう、そなたが……勇者か」
「天塩双弥です」
「アマシオ殿でよいかな」
「双弥で結構ですよ」
公爵は少し顔を顰めた。
その表情を見てリリパールは慌てて双弥に説明をする。
通常、領主が親しみを込めて苗字ではなく名で呼ぶのを拒むというのは不敬に当たると。
双弥は何を言っているのか一瞬わからなかったが、すぐ理解し訂正した。
「失礼。自分の国では苗字が先になるんです。だからこちらだとソウヤ・アマシオとなります」
「なるほど。ではソウヤ殿と呼ぼう」
公爵も異世界とこの世界では常識が異なるのだなと感じた。
この世界で暫く過ごすことになるから、ある程度は流儀を覚える必要があるなと双弥は思った。
魔王を倒すのに何年もかかったとして、その間傍若無人に振る舞っていられるわけではない。人間関係を大切にしたほうが後々自分の利となる。
所謂日本人気質である。
「見たところ、まだ傷が癒えていない様子。暫し体を休めるといい」
「はっ、有り難き幸せ」
双弥は何を思ったのか、アニメかマンガなどで聞いたであろう、配下が上司に使う台詞を吐き、公爵は『何言ってんだこいつ』と言いたげな苦笑いをして階段を上がっていった。
リリパールの顔は真っ赤である。
その顔には、まるで『なんでこんなの連れて来ちゃったんだろう』と書いてあるようだ。
「ここが双弥様のお部屋になります」
「おお……」
双弥は部屋の中を見て感嘆した。
天蓋付きのキングサイズベッドに、豪華な調度品。想像していた異世界の城の部屋そのままだった。
広さも学校の教室くらいあり、広すぎて逆に不自由レベルだ。
この部屋に来るまで同じような間隔で扉があったため、他の部屋も同じ広さがあると推測される。地球で例えると高級リゾートホテルのようなものだ。
「それと、双弥様の身辺は私が受け持ちます」
「リリパールは一応姫様だろ? メイドとかに任せなくていいのかな」
これだけの広さがある屋敷だ。メイドなんていくらでもいるだろう。
客室らしき部屋の数からしても、接客用で普段余剰になっているメイドがいるはずだ。屋敷のお嬢様が自ら世話をする必要はない。
「私ではお嫌ですか?」
「そんなことはないけど、やったことあるの?」
「ありません……でも努力すればきっとできますっ」
リリパールは力強く答える。
労働も武術も同じで、何度も同じことを繰り返すことにより技術が精錬されていく。
きっとロクなことにならないな、と双弥は苦笑いしつつ、自分好みの少女に尽くしてもらえることを嬉しく思っていた。
☆☆☆
夕食後、いつもなら家族で団欒をとるところだが、リリパールは無言で自室へ戻ってしまった。
半月も家族から離れ、王国の姫君たちを相手にしていたのだ。色々疲れたのだろうと公爵は言うが、公妃はそう思えなかった。
気になってリリパールの部屋へ行くと、中からすすり泣く声が聞こえる。
扉を開けると、暗い部屋の中で独り、ひっそりとうずくまるリリパールがいた。
「大丈夫か!? リリパール」
「だい、大丈夫……です。わた、私が耐えれば、ぐすっ、みんな幸せ、幸せになれ……」
「何があったんだ。話しなさい」
リリパールは話した。他の姫が勇者たちを競わせ、魔王を倒そうとしていること。
双弥は妖刀を持っているせいで外され、その代わりリリパールが管理しなくてはいけないこと。
もしできない場合……公国へ攻め入ってくるかもしれないことを。
「リリ。あなたは三女とはいえ、私たちの大切な娘です。あなただけに背負わせるわけにはいきません」
「そうだ。いざとなったら王国相手にだって戦う覚悟はできて──」
「駄目ですお父様! 国民のためになることをしなくては!」
涙をこらえるリリパールに慌てふためき、立場上口外してはいけないようなことを口走り、リリパールに窘められてしまう。
「しかし、気丈なリリパールが泣くほど辛いのだろう? どれだけ酷い男なのだ彼は」
リリパールは気弱で自己主張のできない娘に見られがちだが、泣きも愚痴もせず、国を真っ直ぐ見られる少女であった。
自分は民衆のために想うことができても、人を導くことができないと早々に継承権を放棄し、兄姉を立てつつ外交の補助などをしている。
そのうえ末っ子であるというのもあり、父母だけでなく兄姉からも溺愛されている。
だからといって調子に乗ったりもせず、兄姉の負担を少しでも和らげたいと、圧の強い王国への矢面に自ら進んで立ったりもした。
四大王国の姫相手にこびへつらったりも、意味なく笑顔でいたりもしない。怯えることで彼女らの気分がよくなり、結果、並みの王国程度では及ばないほどの力を持つキルミット公国を侮ってくれることも理解している。
いくら馬鹿にされようが、蔑まれようが、国のためを思えばいくらでも喜んで耐えられる。それがリリパールという少女だ。
「いえ、双弥様はとてもお優しい方です。私のことを気にかけて下さりますし、頼りになります」
「で、では何が悪いと言うのだ?」
「それは……」
それ以上は言えないのだろうか、リリパールは俯き口を噤んでしまう。
「リリ。お父様も私も、いつもいつまでもあなたの味方です。遠慮せずにお言いなさいな」
「では、えっと、その……」
「そんな言いづらいことなのか?」
「いいのよ。なんでも」
「不躾な娘でごめんなさい……」
そう言い放った直後リリパールは顔を上げ、表情のない顔でこう言った。
「なんか
公爵と公妃は泣いた。
あの礼儀正しく気高い娘から、雑な言葉が発せられたことに。
双弥はやさしく真面目である。堅物というわけではないし、ある程度の空気は読める。
顔はいいと言えないが、悪いとも言いづらい。太っているわけでもなく、特別臭くもない。
ヲタクであるが、それはこの世界の人間に理解できないだろう。
「な、何がそんなに嫌なのだ?」
「わかりません…………。双弥様のことを考えると……」
「考えると?」
息苦しくなる。胸が痛い。その感覚が辛く、不快だ。
しかしそんなこと言えるわけがない。両親にこれ以上心配させたくないからだ。
「お父様、お母様。国のため、世界のために私は贄となります」
★★★
双弥がこの屋敷に来てから5日ほど経過した。
治癒魔法のおかげで傷もすっかり癒えており、普通に動けるようになっている。
だというのに全く外出することができない。部屋の扉を開けるとリリパールがすっ飛んできて止めるのだ。
トイレへ行こうとしても現れるため、庭にすら出してもらえない。
今日もまた部屋の扉を開け、どこからともなく現れたリリパールにため息をつく。
「なあリリパール」
「はっ、はい! なんでしょうか」
「町を見に行きたいんだけどいいかな?」
「そ、それはできません……」
「なんで?」
「えっと、それはまだお怪我の具合がよろしくないからです」
「別に骨折や捻挫していたわけじゃないんだから。もう大丈夫だよ」
治癒魔法というものはとても便利なものだった。
かけられてすぐに傷口が塞がり、出血が収まった。そして2、3日は傷口の皮膚が張っていたのと痛みが残っていたせいで動きづらかった。
しかしそれはもう消えており、ほぼ完治していると言ってもいい状態だ。
「えっと、その、町は危険があるので……」
「いやいや、これでも一応曲がりなりにも魔王を倒すために呼ばれた勇者だぜ。ごろつき程度ならなんとかなるさ」
双弥は素手での戦いも心得ており、武器がなくとも素人相手なら数人くらい問題なく倒せる。
リリパールも双弥が強いことくらいは知っている。だが双弥が戦っている姿を見たのは2回で、その1回が殺されそうになっているのだ。
だから双弥も絶対大丈夫だなんて言いきれずにいる。
「万が一があります」
「大事にされている感じがするのはわかったよ。それはありがたいんだけど、なんつーか、退屈なんだよね」
「も……申し訳ありません! 退屈な女でごめんなさい!」
リリパールは土下座でもするかの勢いで頭を下げてきた。
そんなつもりで言ったわけではない双弥は、慌てて誤解を解いた。
双弥にとってリリパールはマンボウが如き繊細な少女なようだ。
「それに……あいつらはもう出発しているんじゃないのか?」
「あっ……」
痛いところをちくりと刺されたように、リリパールの顔が少し歪む。
だがリリパールマンボウは強い子で、この程度のストレスでは死なないのだ。
「あの、あれです! あれ!」
「ど、どれ?」
「双弥様は一番強いのです。なので双弥様が出るほどのことではないのですよ」
褒めて気分をよくさせようという魂胆なのだろうか。だがそれは逆効果で、あんな大敗をした双弥は少し嫌そうな顔をする。
「だけどさ、どこの勇者が一番最初に魔王を倒すか競ってるんだから、早く行ったほうがいいんじゃないか?」
「えっと、あれです。ハンデです」
目を合わせようとしないリリパールを双弥は不審に思う。
縷縷隷属のこともあるし、本来ならばすぐにでも出なくてはいけないはずだ。こんな風にのんびりしている場合ではない。
何故この少女は自分が外に出ることを拒むのか、双弥には理解できない。
「こんなことをやっていて、もし誰かが先に魔王を倒したらどうするつもりだよ」
双弥は知らない。リリパールが賭けから省かれたことを。
知られないようリリパールも気を使い、似たようなチョーカーをあれ以来付けているのもあるが、確かに怪しまれても仕方がない行動だ。
「じ、実はですね、双弥様がそのようなお体になってしまったので、私は賭けから除外していただけたのです」
「でもその首についてるのって」
「ただの飾りです。ほら、普通に外せます」
と言ってリリパールは外してみせた。
なんでそんなものをつけていたのか双弥は腑に落ちないが、リリパールが無事でいられるならいいかと思った。
この件で押されると厳しいと感じ、双弥を安心させ外出させないためにも嘘を交えつつばらしたほうがよいと考えたのだろう。
それでも訝しげな表情で見る双弥に、どうしたらいいかわからなくなってきている。
「双弥様はここでの生活はお嫌ですか?」
「嫌なわけじゃないけどさ、そういうことを話しているんじゃないよ」
流石に追い詰められてきたリリパールは、最後の手段を取ることにした。
背中に嫌な汗が流れ、生唾を飲み込む。そして意を決して口を開く。
「す……」
「す?」
「す、好きです双弥様!」
「……? ススキ?」
「お、お慕いしています」
「押したい……? お死体……?」
リリパールは泣きそうな顔になってしまった。
別に双弥は難聴系主人公の類ではない。ただ単に脳が処理を拒んだだけだ。
今まで自らが好きになり告白したことは多々あるが、全て玉砕している。
女の子から告白されるなんてもってのほかだ。
そんな有り得ない状況が防衛本能により『お前が聞いたのは聞き違いだ。実際には別なことを言っていた』と変換したに過ぎない。
双弥は恐れているのだ。『え? なに聞き違えて勘違いしてるの? そんなこと言ってないのにバカじゃない? プークスクス』と言われることを。
あの屈辱的な恥ずかしさはもう味わいたくないと、昔あった事件によりトラウマになってしまったのだ。
「好きです! 双弥様! 傍にいて下さい、どこへも行かないで下さい!」
リリパールは双弥の胸に飛び込んだ。
これはどういうことだ? 虫でもいて驚いたのだろうか。
すきです? 隙があるとDEATHされるみたいな。蕎麦煮、射てください? 何かの儀式かもしれない。
あまりにも強引過ぎる解釈だ。こちらのほうが有り得ない。飛び込んできた行為とも結びつかない。
双弥の思考は活動を停止してしまった。
そしてリリパールは顔を真っ青にして走って逃げ出した。
「リリパールが、俺のことを……」
双弥は気味が悪いほど破顔した。自らの好みを具現化させたような少女が告白してきた。
拉致や誘拐の類とはいえ、異世界に来てよかったと心から思っている。
彼女は告白をしてくれた。しかし自分には何ができるのだろうか。双弥は悩んだ。
(そうだ、リリパールのために俺が魔王を倒そう)
リリパールの気持ちが全く伝わらず、この結論に達したのは早かった。
なんだかんだ言っても、やはり自国で選出した勇者が魔王を倒せば嬉しいだろう。そして他国に対して感じたリリパールの立場も変わるだろう。そう考えたようだ。
問題は倒せるかだが、今更になり考えてみれば、地面を衝撃波で切り裂くほどの威力を持った聖剣を相手に耐えられたのだ。技を磨けばなんとかなるかもしれないと気楽に考えていた。
だが彼女に言ったところで、ここから出してもらえるとは思えない。
ならばやることはひとつ。脱走だ。
もう5日経つのだから、そろそろ緊張も解け油断して眠るだろう。
狙うなら早朝。恐らく警備も緩んでいるころだ。
双弥は窓を開け、ベランダに立ってみた。
ここにいる分にはリリパールもやってこないようだ。
下を覗き、高さを確認する。
2階とはいえ、1階の天井がかなり高いため、日本の建築で例えると3階くらいの高さがある。
幸いキングベッドだからシーツは豊富だ。やぶって繋ぎ合わせればロープの代わりとして足りるだろう。
警備に関しては、通常外からの侵入には厳しいが、中から出る場合は手薄なはずだ。
後はここ数日見ていてわかった朝の荷の集配に紛れて外へ出ればいい。
双弥は明日の朝のため、残りの時間を睡眠に費やすことにした。
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