1個目
猫はいい。猫が好きだ。猫になりたい。気ままに寝て起きて、屋根をつたって散歩して。
「かわいいー!!」
ここは猫カフェ。目の前には猫。会いに来た王子と、ヤフくんが今日もかわいい。ここに来ると嫌なことがいったんどこかに消えていく気がする。ふわふわの毛を撫でていると俺もまどろんでいく気がする。柔らかい肉球を握るとじわっと幸せが広がる気がする。でもそんな時間も過ぎていってしまう。いつもの帰り道を通り、いつもの家に帰る。ペット不可のこの狭い部屋。彼女もいない地味で根暗なこの俺が猫カフェなんぞに行っていることは秘密。
そして最近流行ってるこれ。肉球型のチャージャー。本物を握る俺からしてもかなりのできばえであのじわっと広がる幸せな気持ちを思い出せる。プニプニプニプニ。
「明日も仕事か」
明後日も。会社に持って行くのは抵抗があったけど休憩時間もプニプニしたいな。
〇〇〇〇〇〇
君のチャージャーな何かな?
俺が作ってあげるよ
俺は小さい頃から手先が器用で何かを作るのが好きだった。完成に近づく興奮と達成感を味わうこと、そして完成品を褒められることが何より好きだった。そして俺はあることに気づいた。人の役に立つことは何も直接人を相手にしなくてもいい。人が使う道具を便利にすればいい、なんて当たり前なことじゃない。
「人が進化すればいいんだ」
いや当たり前なことだった。
〇〇〇〇〇〇
会社に持って行ったチャージャーをロッカーでプニッているとタバコを取りに来た同僚に見つかってしまった。だが流行り物は受け入れやすいのか女性達にも俺の堅物のイメージが崩れていいと好印象で、さらに猫好きの上司にも気に入られてしまった。上司の猫はヤフくん似のもてっとしたみけにゃんこだ。とても可愛い。さすがに上司の前で猫カフェの時のような状態になるわけにはいかないと思っていたのに、猫の話で盛り上っているうちに上司宅に行くことになってしまった。返事をした俺を殴りたい。いや断りきれない俺を殴りたい。
俺が苦手なことは断ることだ。猫に少なからず憧れがあるのはそのキマグレさとふてぶてしさと、それでいてデレと呼ばれる愛嬌があることだ。断るということは程度はあるが相手を受け入れずに拒否すること。少なからず不快にすること。断る理由があってもあの雰囲気が俺は苦手だ。残業するのは仕方ないのだ、断れない俺が悪いのだ。最近は俺を殴る代わりにチャージャーをプニプニしていたため少し浮かれていた。気を遣いまくる休日なんて休めない。だったら猫カフェに行って癒されたい。むしろ上司も猫カフェに連れて行こうかな、相殺できないかな。そんなことを考えながら、いつもの帰り道を通りいつもの家に帰る。スマホをいじっていると面白い広告を見つけた。
『あれ?チャージャーの様子が…あなたのチャージャーが進化しようとしています。キャンセルしますか?はい/いいえ』
どうしてキャンセルの選択なんだろう、放置してたら勝手に進化するんだろうか。俺は広告を押してあげる趣味はないのでそのままにしていた。次の日早速その意味が分かった。チャージャーの進化、それは癒しが増えることだ。プニプニをして身支度を整え鏡を見ると、体が軽いことに気づいた。なんか今日大丈夫な気がする。そう思い家を出た。もちろんチャージャーを持って。
まず真っ先に上司の誘いを断った。自宅には伺えないこと、その理由として緊張してしまうからだと正直に告げてみた。意外にもすんなりと、
「急に家に行くのはハードルが高いよな、段階を踏まないと」
「なんですかその女子への対応みたいな」
「いや、急だったなあと。それより君からはっきりとした意見を聞いたのは初めてだ。いつも呑みに付き合わせてすまない」
「いえ!謝らないでください、呑みは自分も好きなので」
上司がいつもと違う。そう女性達も騒いでいた。その女性達の雰囲気もどこかふんわりとしていた。同僚もいつもはタバコを吸いに出かけるが今日は最近ハマったという曲を聴いている。鼻歌がうるさい。あっと思った時には口に出ていた。
「あ、ごめん。うるさかったか、気をつけるよ。いい曲なんだ。聞いてみて」
「たしかに、癒されるな、だいぶ甘い声だが」
「だろー俺のチャージャーってやつだ」
イヤホン渡されて片耳で聞くなんてリア充しかしないと思っていた。ちょっと感動する。
「あんま話したことなかったけど趣味合うかもな、ちょっとこれも聞いてみて」
こんな休憩時間を過ごしたのは初めてだった。地味な俺のちょっとだけの進化。これが俺の進化のはじまり。
〇〇〇〇〇〇
人の役に立ちたい。なんて大層な目標、実は俺にはなかった。ただ自分ができそうなことをやってみたかっただけだ。そしてできてしまった。後悔するほど悪いことをした気もしていない。だって俺は作っただけだからだ。使う人の勝手だろう。なんて使う人が勝手に進化してしまうのだけれど、キャンセルのチャンスはいくらでも作っているのだ。進化した人を作ったとまで言われるとそれは大げさだ。勝手に進化したんだ。完成したものは必ず俺の手を離れていく。それは俺にはもうどうしようもできないんだ。だってそれはもう完成したんだ。俺の役目は終わりなんだよ。
〇〇〇〇〇〇
俺がその変化を進化とはっきり認識したのはニュースでだった。そして瞬く間に世界中に広まった。そして俺は会社に行かなくなった。上司と猫の話をしたり家に行ったりしていた時期もある。今世界にはチャージャーが溢れ、もう少しで人が空を飛ぶ日も近いと噂されている。めまぐるしく世界が変わった。会社の仕事も病院の意味も、ニュースもお金も、生きることについてもいろんなことがいっぺんに変わっていく。変わりかけている。世界はこんなにも変わることに抵抗がないのか。受け入れてばかりで断らないものか。ふと気づいて俺は驚いた。自分も断ることに抵抗がなくなっていた。自分がこうも変わっていることになんの疑問もなくなっていた。そして、なんで俺はこんなことを考えているのか、不思議だった。
最近俺は病院のようなところに入れられた。施設かな?そこで日記を書いている。進化していく世界に逆らうように何もないここで、ノートと鉛筆と消しゴムを出して、そして俺は気づいたことを書く。
『これは進化じゃない。支配だ。思考することを悩むことを、抵抗することを忘れさせているのだ』
どうして俺は気づけなかったんだろうか。途中で止められなかったのか。俺は今戦っている。進化した自分と、進化したい自分と、進化したくない自分とで。その抗いを続けているうちは『彼ら』みたいにならないのだろう。そして今思い出すのは猫カフェの王子とヤフくん。俺の癒し。あの猫カフェは今もあるんだろうか、みんな無事なんだろうか。猫たちは変わらず自由なんだろうか。あの時いつもの道といつもの家で感じていた嫌なことや悩みが懐かしい。それを癒されていた日々が懐かしい、その心地よさが懐かしい。そしてその懐かしさでいっぱいの気持ちに反してこの体からは涙が出ない。
『チャージャーは満たしてくれたのかもしれない。進化は満足なのかもしれない。だけど何かが足りない。何が足りなかったんだろう』
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